日頃よりファンクラブの活動にご理解ならびにご助力をいただき誠にありがとうございます。
さて、「HAPPY BIRTHDAY TO LBH 7.12 in 日本武道館」に関する韓国メディアでの写真記事掲載に関しましては、ファンの皆様に
ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。
7月12日イベント終了後に、日本と韓国のメディアに向けてファンクラブ、
BHエンタテインメントから公式開催写真を提供いたしましたが、その際、
BHエンタテインメント内で素材の取り扱いに手違いが発生し、韓国メディア
に向けて正しくない写真素材が配信・掲載されてしまいました。
写真の管理体制の不備についてお詫びするとともに、今後このような事態が
発生しないように厳重に注意をしてまいります。
今後ともイ・ビョンホンならびにファンクラブをご支援いただけますよう、
宜しくお願いを申し上げます。
勉強は得意だったし、好きだった。英語は嫌いでたまらなかったけれど、数学や化学や物理や国語や歴史は大好きだった。運動は得意だし、好きだった。持久力は致命的なまでになかったけれど、それでも総合的には上位5%に入るくらいには出来た。たまにもっと運動部で何かに打ち込んでみればよかったとは思う。絵を描くことも、工作することも、大好きだった。
だけど、音楽が本当に本当に大嫌いだった。
そもそも父と母は私にそれなりの頭とそれなりの運動神経を与えはしてくれたけれど、音楽の才能は全く何一つ与えてくれなかった。
エレクトーンは一年弱で、音符の長さというものが理解できなくて終わった。順番にキーを押す、ということは理解できても、私には規定の長さでキーを押す、ということは出来なかった。手拍子だって、周りを見て、真剣に合わせないとずれる。集中せずに一定のリズムで手を叩くなんて、私にはできない。
歌を歌えば音程がずれる。「そこ高いよ」なんていわれても、どこが高いの低いのか、どうやったら下がるのかがさっぱり分らない。ちゃんと歌っているつもりでもずれる。だから人前で歌を歌うことが苦痛で仕方がない。誰かと一緒に歌うと、自分の声が聞こえなくなって、混乱して、歌えなくなる。でも一人で歌うと、伴奏とどこまでもずれていく。音程も狂っていく。
音楽の時間、歌のテストの時。音程がずれていることを薄々感じながらも必死で歌い終わって、でも何故か伴奏はまだ続いている。その五秒か十秒の空白の時間。私はただ死んでしまいたい、ということだけを考えている。苦痛で溜まらず、涙すら出そうになる。
音楽教師は、私のような人間がいることを理解できない。私が、運動が致命的に出来ない子を見て真面目にしなよ、と憤るように、彼女たちは私を見て、真面目にしなさい、と怒る。真面目にしている。真面目にしているけれど出来ないのだ。歌を歌うことが苦痛で仕方がないのだ。そして彼らは私を笑う。音痴だと。冗談交じりに言われても、私には嘲りにしか思えない。
自信を失えば失うほど、声は小さくなり、伴奏とはずれ、音程は狂っていく。誰が好きでこんな醜態を晒すだろうか。
私が必死で個室でテストを受けたいと申し出ても、彼らはそれを容易く退ける。一曲くらい大したことないでしょ。すぐ終わるんだから歌いなさい。一曲。一分か二分か。それが私には十分にも二十分にも感じられる。
歌のテストをクラス全員の前でさせる教師を、私は心の底から憎む。彼女たちは生徒を晒しものにして楽しいのだろうか。音楽以外に、試験の内容も結果もを衆目に晒す教科が存在するだろうか。
人前で歌を歌うと考えただけで、脂汗が出る。足が震える。息が苦しくなって、逃げ出すことばかり考える。今、熱が出たらいいのに。怪我をしてしまいたい。お腹が痛い。
音楽なんていう教科は全ての教育課程から消えてしまえばいい。音楽教師なんて全員死んでしまえばいい。音楽なんてこの世から消えてしまえばいい。そう、願って止まない。
「先々の期待利益」って書いてあるんだけど読めないのかな。
(随分前に書いたので状況は異なっているんだけど、今日、アニバーサリーを迎える君に贈る)
僕は君に会ったことがない。
君のブログを読んで、コメントに感想を書いただけ。でも、僕が君にどこかしら共感を覚えるのは確かだ。
君は夢日記を書いている。その内容を読んだ僕は、自分のことが書かれている、と直感した。「これ、僕のことだろ?」なんて気軽に聞ける仲でもないから、何も書かずにやり過ごした。
君が初めてコメントをくれた。サービス精神が旺盛な君は、知っている限りのことを教えてくれる。ちょっぴり理屈っぽいけど、正直、嬉しいよ。僕にだけ親切なわけじゃなくても。きっと思いやり深い両親に育てられ、礼儀正しく、人に敬意を持って接することのできる「美しい」人がこの世にいる。それだけで、僕の心に灯がともるんだよ。
ある日、君に質問をしてみた。表現力のある君は、自分が経験したことと、Webで調べたこととを織り交ぜながら、とにかく正確に、詳しく教えてくれた。とてもありがたいことと思う。でも、ちょっとひっかかったところがあった。僕は、君の感想を聞きたかっただけなので、わざわざ調べなきゃわからないことを書いてくれなくてもよかったんだよ。もっと、いい加減でいいんだ。僕が本当に知りたいのは君自身、君のこころなんだから。それに気づかないで、質問を文字通り受け取って、正確な事実を徹底して答えてあげたいと思う、君の一種の誠実な友情と僕の想いはいつもすれ違う。
君は僕に会ったことがない。
君は僕を「文章」で判断するしかない。でも、何事も字句どおりなんだと受け取らないでほしい。僕は君ほど表現力がないし、ある事柄について書いていたって、そこに僕が思うすべてを書き込めているわけじゃないんだ。言葉には、いつも表現されなかった余白がつきまとう。重要なのは「言葉」じゃなくて「意図」。いつか、僕の意図が君に理解されることはあるだろうか。
君が経営者の器じゃないのだけははっきりわかる内容
「好き」を伝えた後がないと、お付き合いには発展しませんので
最近知り合いが「結婚した」とかいう話を聞くようになって、「そういやそんな歳になったんだな」とか思いつつ。
ふと気付いた。
中高が一貫校で男子校だったということに加えて、大学時代のゼミでも男ばっかりだったというのもあるんだろうけど。
まあ当然キモヲタピザデブ童貞交際歴なしな自分には、およそのところ男女交際というものが未知の物体X以外の何物でも
ないな、と。
というかね。街歩いててカップルを見ることはあるから、男女交際の存在自体は分かるんだけど、およそ「告白」という
現象が全く想像つかない。
例え知り合いの人でも、この人がどういう風に告白したんだろうって、見当もつかない。
自分が誰かに告白している様も全然想像できない。まあこれは多分無理な話だから良いんだけど。
「告白」という現象は多分世界中で行われているのだろうけれど、何だか僕には得体の知れない儀式に思えてきた。
人は、どんな風に告白するんだろう。
告白ってな、どんなものなんだろう。
全然分からない。
まあ想像できない僕のメンタリティに問題がある気はするんだけどね。
大体、女の子がどうとかよりも男の子同士で遊んでるのが楽しいお年頃ってのがかれこれ十年以上は続いてる気がするから。
しかし、こういうことを考え出したというのは、それも一つの終わりを迎えようとしているのかもしれないな。
この人は、企業がユーザのために存在するとでも思ってるんだろうか。そういう企業があっても良いが、企業は利潤を追求するために、投資とリターンを天秤に掛けて事を決めるのだけの話。
廃盤にする製品の良さを競合製品に組み込めば製品の売り上げや先々の期待利益が上がるとしても、そのための投資には見合わないと判断しただけのこと。何も考えずに片方があればいいや、とやるほど、アメリカの経営者はそんなに馬鹿ではないだろう。
お返事ありがとう。
ただその喩えで言うなら、単にガチムチの女ってだけではなく、ペニバン付けたガチムチの女に突っ込まれるとこまで限定しないと意味ないと思う。
ペニパンは要らないと思う。男を拘束して裸になるなりして、ペニスをしごいて勃起させたうえで、合体すればよいのでは。ペニスが立つか立たないかは女性が美人か否か、などにも関わってくるけど。
逆レイプが起こりえない関係は、レイプも起こりえない関係である、といえるはず。
ここで、女性は男性に逆レイプはできない、なぜなら男性は女性が綺麗でないとペニスが立たず、女性は男性のペニスが立ってくれないとセックスできないからだ、という論法(いわゆる「こんな女じゃ勃たねえよ」論)というのもまた問題のある論法だと思う。
なぜなら、ペニスが立った場合は強制じゃない、という結論につながりかねないから。それは、通常のレイプに対する弁解として、女性器が濡れていたから強姦ではなくて和姦だ、と言っているのと変わらない。
でも、その説明だと、女性器だけでなく、尻の穴に突っ込んでも強姦罪が成立するとはなっていないのはおかしい、立法の不備だ、という結論につながるよね。どう思う?
経済学の基本だよね。
でも、「給料=労働力を再生する道具」っていう仮定は変えれないのかな…
いや、元増田を批判するわけじゃないけど。
同じ額の給与であっても、その与え方を変える事によって
効率よく長時間働くように変えれないのかな…と思った。
給料をトークンと考えれば、
なんか条件付けができそう。
自動化するためには「効率良く」という基準を作らないといけないから、
結局難しいよね。
FFは3と4の間でも入れ替わってる。3までしか認めない派も居た。
DQもロト伝説しか認めない派(1-3派)とFCの頃は好きだったけどSFC以降はいまいち派(1-4派)が居るような
DQ4まではDQがFFより技術的にも先行していた(4のAI戦闘も当時は画期的だった)けど、DQ5はFF4より後に出たと言うのも大きかったのかな。
FF4やった時は画面の美しさに驚いたものだけど、DQ5の頃はとっくに慣れてたし。
プラットフォームの変更なら4もだよ。
FC,FC,FC,SFC,SFC,SFC,PS,PS,PS,PS2,色々,PS2,PS3?
だっけ?3作ごとにハード変わってるね
という方向で事態を収束させる方針なのかも
その昔HTMLソースはエレガントであるべきでそのためには手打ち以外にないという職人派が居ましたね。
理由はいろいろいわれましたが結局は経済的な問題のためです。ドキュメントを表示するクライアントマシンのリソースとそのデータを取得する通信回線の帯域がとても少なく貴重であり、そのために通信量が少なくなるように簡潔なデータで再現にマシンの負担が無いように無駄なドキュメント要素の無い「エレガント」なソースが求められました。
さらに当時Webのコードを書くのは物好きでしかなく、金になりませんでしたので労働単価が安く、コードを人間様が調整するほうが安く済んだのです。
そして今目の前にあるのは有り余るマシンリソースとP2P以外に使い切れないような通信帯域。はっきり言って見た目が同じならいいです。(適当すぎて原因特定もできないトラブルが頻出して手間が増えるのは問題だけど)あまり気にするのは偏執であり、不経済です。
データの再利用も機械がデータを整理するべきで忙しい人間様を煩わせてはいけません。つまりそれはSEOもデータの分析が商売であるGoogle側が頑張るべきことでこちらがやることではないということです。
一部のエンタープライズなサイトではCSS等駆使したキレイな構造化による効率化はクリティカルに効くでしょうが、現実アドホックに組んでるその他圧倒的なページは数十ページ程度で局所的に最適化していてもシステムメリットは出ず、その規模ではむしろ抽象化上昇でオーバーヘッドの増加となるでしょう。
とはいえSEOで見積書の行数が稼げるならなにかと手間が増えた方が商売になるというものでもありまして、まあ良い時代になったのですよとごまかすのも処世と。