元エントリ自体「ソースは自分との周囲の人間、根拠なし」って書いてあるから、
説明を求めても「そういう人もいるんですねえ」としか答えられない気がするの。
必要以上のお金はいらない、広すぎる家もいらない、
立派すぎる子供はいらない、でも一人二人ぐらいは欲しい、
実現出来ない夢はいらない、確実な収入源がひとつあればいい、
寄付するなら親とパートナーと友人と子供と、趣味のために使いたい、
成功って、何?それは誰かに価値があると認められること?
成功って、何?それは誰かに一定の基準で評価されること?
風呂はアパートの小さなシャワー付き、自分一人が体を清めるので精一杯の。
キッチンはアパートの小さな流し台、自分一人が食べるものを作るので精一杯の。
井戸端会議?それは何?井戸端なんて自分が生まれたときはなかったよ?
ネットで同好の士と交流するのは井戸端会議?井戸端会議とそうでない語らいの差は何?
100円ショップの食器とそうでない食器の違いはどこ?落としたら割れない食器がそうでない食器?仏の御鉢?
ジャージとそうでない部屋着の違いはどこ?燃やしたら燃えない服がそうでない服?火鼠の皮衣?
たくさんあれば嬉しいのはお金だけ?友達だけ?誰かの評価だけ?
純粋ななにかなんてそんな素敵な物いらない。それが汚物の排泄と引き替えなら。
必要なだけ頭は良くなりたいけど、それ以上偉くなんかなりたくない、立派になんかなりたくない。
今一番欲しいのは誰かをDISることもなく、誰かに腹を立てることもない穏やかな心。
誰かを羨むことも蔑むこともない穏やかな心。毒なんて湧いてこない心。
きれいもきたないも区別しない心。目に見える誰も不幸にしない心。
相手を受け入れる心。違う意見を受け入れる心。ワイドショーを笑って忘れられる心。
たとえ地面に空いた穴であろうと、便所の落書きだろうと、チラシの裏だろうと、痰壷だろうと、
天も地も誰も見ていないところであろうと、自分の負の感情を吐き出すにまかせることがない心。
俺は何よりも美味しいおやつを知ってる。まあ聞け。
親が買い置きしているお菓子から好きなのををこっそり選んで隠す。独り占めするためだ。
兄弟がみんな工夫して自分の隠し場所におやつを隠した。そして一人になったときに全部食う。最高だ。
しかしだ、やはり人気のあるお菓子はみんな食べたい。必然的に競争率は上がる。親が買出しに行った先でこっそり確保したり
学校から帰ってからの戸棚チェックをまめにやったり、俺たちはおやつ確保に余念が無かった。そして俺たちはついにお互いの
隠し食糧庫を暴きあうようになった。
他人が隠したとっておきのお菓子を盗み食う。これが究極最高に美味いおやつなのだ。
勝利の快感は文字通り甘美なる味わいとしておやつの最高の調味料だった。
そしてとどめに「バーカ」と書いた紙を隠し場所に置いておく。
悔しがる兄弟の顔を思い浮かべながら貪るおやつタイムは、勃起するほどの多幸感に包まれていた。
兄弟が帰宅してからは一修羅場だったが。
時はたち、俺は家を出た。
実家からかかって来た電話で、親がポツリと「お菓子がぜんぜん減らなくてねえ」と呟いた。
競争相手が減った兄弟たちは、さぞや好き放題におやつを食っているだろうと思っていた俺は驚いた。
おやつを食ったり食われたりして掴み合いの喧嘩になることも全く珍しくなかったのに。
ちょっと笑った。
そしてやっぱりちょっと、寂しくなった。
そしてまた時間が過ぎて兄弟たちもそれぞれ独立し、所帯を持った。
俺が子供のころよりも種類も嗜好もぐんと増えた。
それでもやっぱりあの頃ほどに美味いおやつは食ったことが無いんだ。
なんとかしたいよ。FOX?FOXとIEで見てみたけど見れんじゃんw。つーかFOX重すぎてタマが潰れるかと思った。なんであんな重いの使うのブラウジングに。俺sleipnirのことしか考えてないっぽい。だって結局どのブラウザで見るか問題になるんじゃないのかなあ、よくわかんないけど。
これ、事実として受け取ります。
踊らされているように見える反面、追い求めるものがあるんだよな、彼女たちには。
心のちんこは勃起するが、自分のまんこは濡れない。
心のまんこじゃなく、心のちんこか。納得。
いわゆる「健全なもの」だけを与えれば子供は健全に育つのか?それが疑問。
http://anond.hatelabo.jp/20070507211416
だがしかし、増田で何か書いている人間のうしろには、書き込みせず見てるだけ、の人間が数倍、いや数十倍いるわけだ。便所の落書きというが、あなたもそれに書き足しをしてる。見るだけ、通過するだけの大多数ではなく、精鋭のひとりなわけだ。俺はおまえらと違うといいたい意識はわからなくはないが、我慢できず書き込んでる時点であなたは相当濃い参加者だ。あなたが便所と蔑むその場所の中心付近に、あなたはどっかりと座り込んでるようなものだ。
俺の彼女はさあ、私物を他人に触られるのを極端に嫌がるのね。
自分の中で「ここは私のテリトリー!」って決めたところに人の手垢がつくと、それこそキチガイみたいに怒る。
じゃあ自分は他人のテリトリーを侵さないのか?っていったら、これが平気で侵す。
侵略しまくり。俺が読んでる雑誌や新聞を横取りするのは当たり前。好き勝手にふるまう。
俺も一応怒るんだけど、正直まあどうでも良いんであまり怒りが持続しない。
でもあんまりにも一方的過ぎるな。と思うことは多々ある。
元記事を書いたものです。反応有難うございます。
そうなのかもしれません。彼等のことを「ひょっとして何も考えてないんじゃなかろうか」と思ういっぽうで、「偉いなあ。俺にはできない。凄い」とも思います。みんなまるで聖人か何かのように自分を捨てて何かに尽くしているようにも見えます。
ただ、自分にはそれは無理そうだ、という風に諦めてきていますが。。。世の中の多数派から自分のような人間は脱落するしかないかと思っています。
例えば、とてもマイノリティな趣味に没頭していたとする。そこで、「こんな面白いことを知らないなんて、世間は人生損してるぜ」と考えるか、「こんな珍妙な刺激を定期的に得ないと生きられない自分は、人生無駄が多いぜ」と考えるか?
うーん、これは僕は100%前者ですね。「無駄」という風には考えられないかな。むしろそれが「人生の醍醐味」という風に考えてしまう。
「ママー、なにか食べるものないの?」
「しょうがないわね、今まかないでなんかつくってあげるから。」
空が白み始めおかまのヒゲが青くなったころにひとつの料理が出てきました。
「はい!おかまだけに釜揚げよ!」
「えーー、うどんだけーーー!」
金は価値を生み出す道具だけど、金そのものが価値のように思えてしまうんだろうね。
使わない金は死に金。
使われる金だけが生きた金。
金属の車軸が破断して車体が傾いたとかいってるから、なんかオカシイなと思ってたんだけど。
やはりそうだよな。
過負荷だよね?
小さなお子様や高血圧の方を断るのと同様に断らなければいけない事例だったのではないか。
いずれにしろ整備や対応に不備があったというところかな。
ご冥福をお祈りもうしあげます。
知人からこの日記を改変してくれーと言われたので書く。ということで間借りしますー。
常々ここをヲチされている、顔も知らない愛すべき増田民たちの想定の範囲内だったかどうかは別として、自分はふだんはてなダイアリーで日記を書く人である。いや。1ヶ月ではてなブックマーク100個ブックマークしてそのうち半数をコメントするかどうかも結構あやしい超ライトはてなダイアラーの自分が、ここを覗いている数多の重度のはてなダイアラーたちを前にしてこう堂々とはてなダイアラー宣言するのもおこがましい話ではあるのだが、世間一般的な基準に従うと、いちおうはてなダイアラーの部類に振り分けられるらしい。もともとがまんが足りなく、「finalventの日記」のいいかげんな書き飛ばし記事がはてブ注目エントリー入りしているのを見た瞬間に心がムズムズして記事を書いてトラックバックを送らずにはいられない、傍目にはおよそ典型的なはてな依存症の自分がなぜそうまでして毎日はてなダイアリーを書いているのかと言えば、これでも物書きの端くれだと思っているからである。モノを書く人間ならはてなのダイアリーやブックマーク、嗜んだことがなければ文字通り「お話にならない」し、はてなダイアリーを使わない人間が書いた文章なんて、大抵ロクなもんじゃない。
読む価値が無い、とまで言ってしまうとそれは過言として。非はてなユーザーが書いたものでも読むべき文章は無数にある。はてなユーザーが書いたものでもはてブ1発分の価値すらない文章もザラにある。あらゆるものの90%はクズである。はてなダイアリーを使わない物書きがなぜダメなのかと言えば、それははてなダイアリーを使っていないからだ。彼らは「はてなダイアリーがない世界」のことしか知らない。はてなダイアリーを使う人間は、はてなダイアリーを使わなかったこともある人間である。彼らは「はてなダイアリーを使う世界」と「使わない世界」、両方について自らの経験に基づいて一応の見識を持つことができる。モノを書く人間や、ブロガーにとって一番の武器は、彼が持ちうるそのパラダイムの多さだろう。
普段はてなダイアリーを使っていない人間は、ためしに想像してみてほしい。どうやって「記事を書く」のかを。まずジャンルは? いったいどれを選べば良い? 非モテダイアラーのrepublic1963とfurukatsuとkiya2014とumetenは、それぞれどうキャラが違う? スキンはどれを選択する? hatenaシリーズはともかく、指定なしって結構ディスプレイサイズがでかいユーザーにとってはクセ者よ? キーワードになっている単語はどうやってつける? なにも考えずに記事を書いてるだけじゃ、誰も読まずに流されるだけですよ? どこで記事を書くのを止める? 先っちょだけ書いてほのめかす?真ん中まで書いて読者に思考の道筋を与える?それともギリギリのところまで書いて「続きは後日」? [続きを読む]って、どこまで溜まったらつけてほしいものなんだろう……? 等等。いかに「はてなダイアリーの世界」について無知なのか気づくはずだ。自分の周りには、あんなにもはてなダイアラーが多いと、ずっと思っていたはずなのに。いままで非ダイアラーは一体ネットの何を見ていたというのだろう?
はてなダイアリーひとつとっても、「こちら側」と「あちら側」でこれだけものの見方が違うのだ。思考の越境はかくも困難なり。しかしおそらくモノを書くことを生業にする人間こそ、常々何かについて考え、不断の「思考の越境」に努めなければならない人種である。それが日常の些細な事象についてなら尚更だ。ここで勘違いしてほしくはないのだが、自分がはてなダイアリーを積極的に奨励し、その欠点を必死に覆い隠してはてなダイアリーの普及に尽力している、と思われるのは心外である。そんなつもりは毛頭ない。どう言い訳してみたところで自分の文章をロハで叩き売るのは毒だ。百害あって一利なしである。それでも、絶望の際に立っておずおずと久遠の深淵を覗き込んで尚、闇の底から見るはてなダイアリーのシンプルな美しさについて必死に思いを巡らせる。それがモノを書く人間の、最低限持つべき心意気だと思う。
『はてなダイアリーを使わない人間にものを書く資格がない』と言うわけではない。が、やはりモノを書く人間には何かしらの「はてな(hatena)」がなくてはならないように思われる。別にそれがはてなダイアリーであれ、とは言わない。ブックマークでも、アンテナでも、人力検索はてなでも。物書きならば何かのhatenaじゃなければならない。そうでなくては、思考がねばついたものにならない。さらさらした思考からは、何も生まれない。さらさらした文章が生まれるだけだ。思考の「越境」と「拘泥」はものを書くために必要不可欠な要素である。その為には、多くのブログを読むのもいろんなアルファブロガーから話を聞くのもよいが、やはりはてなの「キーワード検索」こそが最も頼りとする素養となるだろう。
と、ここまで書いてしまえば、これ以上ない決定的な批判に晒されずにはおられないことは馬鹿ではないから自分でも分かっている。
「オマエのダイアリー、まだはてなアンテナ登録数10人いないじゃないか」と。
いや。まぁ。それはそれで。そっちのほうがマイノリティな界隈にバカ受けな文章が書ける、ということにしておいて。
おまけ
手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』
宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』
庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』
富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。