たいていそういう分類をしたがる人は、自分が属するグループを優れてるほうにする。あるいは「こんな低レベルな争いには自分は加わらない」ことを「まとめ」というメタ視点に立つことで気取っている。
AグループとBグループが対立して、自分がどちらのグループにも所属していたとき、なんとか二つのグループが仲良くならないかと思って、「Aは○○文化圏、Bは××文化圏」とかってまとめたことがあるよ。
その場合、俺は誰を見下していたのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070120031806
印象で http://d.hatena.ne.jp/SNMR/20060427#p2 かと思ったけど違うかも
http://d.hatena.ne.jp/matuoka/ あたりで読んだ文にあった気がする
思いついたら調べろって最初に
全く調べないで「こうやればいいじゃん?」って考えたことは99%誰かやってるからね
提案する前に先行している人が何をしているか気にならないのかね
うちの教授は完全にアレだが
科学者迫害モノといえば、むかしアメリカのSFテレビドラマで「V」ってのがあったけど、序盤の展開はそんな感じだった。地球侵略の意図を隠して表向きは友好のために地球に飛来した宇宙人が、自分たちの真の意図を暴露する恐れのある科学者たちを社会的に抹殺していくといった筋立て。
http://anond.hatelabo.jp/20070120020700
占星術の精緻な議論(古代バビロニアの占星術あたりから書き起こすような)だったら読んでみたいと思うけどなあ。自分じゃ書けないけど。
俺「はーちみつたーべたいなぁー
奴「あーそうそう 自分自信満々でプーさんの真似するけどそれ全然似てないから
俺「え!?(本気で似てると思ってたので人前でも何度かやった経験がある人が驚くとすごい声が出るんですね)
奴「ぎゃはははは!!!似てるとおもとったん?
俺「だって本気で似てると思ってたから人前でも何度かやったよ!みんな笑ってくれてたのは優しみやったんか!
奴「だって似てると思ったら似てるって言うやんか そうじゃないから笑ってたんやろ
俺「うわーめっさ恥ずかしいこれはやばいもうやらんとこ つか早よ言えや!
オチなんかねえよ
http://anond.hatelabo.jp/20070120031806
その解釈で考えると、「リンク自由」の主張と「無断リンク禁止」の主張は、どちらも情報流通のコントロールを自尊心のリソースにしているという点で根は同じものである、とも取れるね。
わざわざ人を区分けして、「なんとか文化圏」とか「なんとか派」とか言ってる人、全然関係ないところから急に「まとめてみた」とか記事を書く人って、結局自己がしっかりと確立してないんだと思う。
たいていそういう分類をしたがる人は、自分が属するグループを優れてるほうにする。あるいは「こんな低レベルな争いには自分は加わらない」ことを「まとめ」というメタ視点に立つことで気取っている。他者と区別することでしか自分を認識することができない。他者を見下すことでしか自分の存在意義を見出せない。そもそも、大声で叫んで誰かに話を聞いてもらわないと、自分がここにいるのかどうかすら不安になる。
そういう「おこちゃま」には確かにインターネット・ブログって福音だ。特にはてなは、はてブという、ブックマークされる側にはブクマ数、ブックマークする側にはお気に入り登録の数という、自尊心を刺激する仕組みが整っているので、承認欲求を満たしたい人が寄ってくるのだろう。
いまどきほとんどはてな周辺でしか聞かれない「ネットはリンクで成り立ってて、便利な情報を繋げるのが目的」という話(それを大上段に振りかざす論調)も、結局は自分がリンクする・されることで、「ほらボクこんなに便利なリソースを作ったんだよ!」と誉められたいというのが第一の理由なんじゃないかね。
「ブログは書けば書くほど自己不安が高まり、攻撃的になる」という研究もある。リンクが大事だと思うのって、WWWの思想を知ることによってではなくて、それがどんどん自尊心を満たすための手段として重要度が増してくるからじゃないのか。
決着がつくなんてめずらしい
で、お風呂に入ったところ。
物凄く久々の会社がらみの飲み会で、酔っ払った勢いで、同僚や上司に結婚観や恋愛感についてなんとなく聞きまくった。ここのところの増田を見ていてなんとなく整理できない気持ちを抱えていたのだ。
代行車の運転手さんまで、話を振ったら物凄く突っ込んだ話をしてくれた。話を聞いていてすごく楽しかった。今思えば相手はシラフだよね。自然な感じに持っていったつもりだが、相手はきっと不自然だと思ったろう。
恋愛感とか、そういう事って人生において物凄く重要なことなんじゃないかと思った。じゃなくちゃあんなに語れない。
きっといろいろ悩んでそれなりに答えを出して今を生きているんだろうな。
僕にはそういう経験がない。それは人生において損失なんじゃないかとちょっと不安になる。その喪失感を実感するのもまた人生という気もするけど、と分かったようなこと書いちゃうのがなんかいけないような気がした。明日早いので寝る。
血液型占い、水からの伝言等のエセ科学の精緻な議論はここを読んでいるおまえらがやるとして、私は現実的にどうやって彼らエセ科学教徒(以降、彼らと呼ぶ)を改宗させるか、というのを論ずる。
「論座」では足りない。メーカー、電力系の会社が金を出してまでやるべきことではないか?マイナスイオンを冠した製品を作っているところはお断りだが。
彼らに対して、感情という面で訴えかけることは納得できないものもいるかもしれないが、目的のためならば仕方ない。おまえらの中にだって、ハヤカワ文庫のSFもの、スターウォーズ、ブレードランナーなどのSF映画、攻殻機動隊、ガンダム等のアニメに傾倒しているものがいるだろう。それらを本気で科学的でないといって馬鹿にするのか?しないだろう。フィクションとしてのエセ科学(超科学と言ったほうがいいか)と社会的、優生学的な問題を含む血液型性格診断や、安い道徳のために「科学的な事実」として紹介される水からの伝言等、様々な問題を孕むエセ科学の違いなんて彼らに理解できるもんか。彼らには適当な物語を与えといて、とりあえず引き離すほうが得策だ。
例えば「世の中の血液型性格診断(差別と言い換えてもよい)に人生を狂わされながらも、果敢と立ち向かっていく物語」とか「水からの伝言を証明しようと奮闘するマッドサイエンティストと戦う科学者たち」とかそういうのがいいね。痴漢冤罪が映画化される時代なのだから、エセ科学の問題が社会問題になっている昨今、上に挙げたような物語が映画化されてもおかしくないではないか。
エセ科学教徒よ。道徳を説くならば、神話や童話、プロジェクトXでも使えよ。科学のようでそうでないエセ科学物語なんか使うな!
去年、福岡で飲酒運転による事故が起きてからというもの、飲酒運転に対するバッシングは苛烈を極めている。これを使えばよい。
たった一つの事件が世の中の流れを大きく変えることだってあるのだ。暴論だが、小中学生が自殺したとして、遺書には「血液型で性格を一方的に決め付けられ、傷ついた」とか、「水からの伝言を否定したら、仲間外れにされた」とかって書いてあればよい。こうして社会問題化すればエセ科学は一種のタブーとなるに違いない。マスコミが大々的に報じれば完全にこちら側の勝利だ。これも一種の社会的な物語であり、道徳的な科学者連中は承服しかねるだろうが、了承してくれたまえ。だが、現実的にこのような事件が起こってもおかしくないとは思わないかね?
この手は今すぐできるのだが、現実的にはかなり難しい。おまえらがどういう学校、職場にいるのかは知らんが、雑談としてエセ科学チックな話題を振ってくる人間の一人や二人はいるだろう。そのときに反論できれば有効なのだが、おまえらが「血液型で性格が決まるわけねーだろwww。なぜなら……」と言っても、彼らは(夢のないやつだ<フィクションとしての「夢」と区別されなければならないのは前述したとおり>)とか、(空気読めねー奴だ、話題もないし、別にいいじゃん)とか(まじになってんじゃねーよ。頭かてーな、そんなんだから彼氏or彼女できねーんだよ、科学的とかどうでもいいの)とか思うに違いない。これらの思考に対して我々は有効な反論ができない。彼らと物語を共有できない以上、反論することそれ自体がタブーなのだから。結局スルーするか、付き合い上ノッてあげることしかできない。
結局のところ彼らの言論を「シュード・サイエンティフィック・ハラスメント(Pseudo Scientific Harassment)」、エセ科学ハラスメント略して「エセハラ」としてセクハラ並みの扱いにするしかない。だが、認知までに長い時間がかかりそうなので、これには道徳的科学者諸君の啓蒙活動がたいせつになってくるであろう。
しかし、これをやってしまうと彼らから我々が「サイエンティフィック・ハラスメント」と逆批判を受けてしまうことになってしまうので現実的には使えないだろう。やっぱりこの手法は無理か……。
本筋とは関係ないがカナダでは"Scientific Harassment"が問題になっているようだ。民間の医薬品メーカーが公的な研究資金をもらいながら研究結果の一部しか公表しなかったり、科学的な議論を法廷に持ち込んで意見を阻害したりしているのが問題らしい。
世の中にはUFOに宇宙人が乗っているだとか、マイナスイオンとかいろいろエセ科学はあるけれども、血液型性格診断はその中でも性質の悪い猛毒だ、と考えている。
正直言って最近問題になっている「水からの伝言」は、たいしたことではないと考えている。小学生程度の人間にわかりやすくて、道徳的な物語として使えるというメリットがあるし(科学的な事実として受け入れるかどうかは別にしてだよ)、芸能人や有名人が事実として広めたとしても、TVで「幽霊、超常現象は存在するんですねぇ」と発言する位のレベルであり、笑い話として通用する。小学生に教えたとしても「サンタクロースは存在する」ぐらいのレベルで受け取ってもらえるかわいいものなのだ(今は、の話なので芽は摘み取っておくべきだが)。
だが血液型性格診断は違う。人間として生きてゆくには、「性格」というアイデンティティが必要だが、血液型性格診断はそれを生まれながらに決定付けるという非道な行為を恥ずかしげもなく行っていおり、教育的、社会的な弊害が大きい。環境的な要素をまったく無視しており、一部の青少年の心を傷つけることは必定である。居酒屋の笑い話としてならばまだいいが、幼少期の性格形成に影響を与えることは間違いない。最近格差社会がどうとか騒いでいる割には、生まれながらの血液型で人生の性格が決まる性格格差社会を推奨しているといってよい。
その他の弊害は適当に検索してくれ。
最後に、小中学校で教員をしている人たちは、圧力やしがらみによってゲーム脳や水からの伝言などの授業をするかもしれない。だが血液型性格診断だけはやめておくれよ。もちろん反面教師としてならば、どしどしやっておくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014520
いいじゃないっすか、それもまた生き方。
とりあえず、そういう気持ちを書いてみたらちょっと反応あったでしょ?少しはさびしさ紛れませんか。
とりあえず性別書いてみろYO。
http://anond.hatelabo.jp/20070119230616 (と、其れに対する反応)を拝見して羨ましくなった。
素直に、羨ましい、と思う。
きっとこの方は、増田でこのようなエントリを上げていらっしゃるけれど、現実でも上手く寂しさを消失させる手腕に長けているのだろう、と想像した。そうでなければそこまでの流れを踏まえた上であの文章でこの内容は書けないだろう。そう考えた故の想像だ。
私には無理だ。
「さびしい。メールや電話をしてくれる異性の相手が欲しい」と考えているのは同じだが、其れを上手に表に出して、結果を出す方法が判らない。
現実でも電気の網の上でも、全くそういうスキルのない私は、ただただ羨望の眼差しでモニタを見つめ、二匹目の泥鰌を豆腐に滑り込ませる様をイメージしているだけだ。
嗚呼やはり、どう書いても二匹目だ。先に作った泥鰌豆腐を泣きながら食べる自分を想像し、涙しながら眠ることにする。
追記:
丑三つ時のエントリだったというのに反応をいただいた。涙が出るほど嬉しく思った。ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014619
とりあえず性別書いてみろYO。
当ててみろYO、と返すべきなのだろうか、と考えてしまう。もちろん素直に「男」「女」「その他」等正答にて返すのが筋なのだろうが、増田で素直に、というのも何だか面白味に欠ける…と捻れた思考が巡るから寂しい毎日なのだろう。
個人的には「文面で判ると思ったYO!」、なのだが…。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014842
でも俺はあんたみたいな人の方が好きだよ
ありがとう。人から好きだと言われることなど久しく無かった、嬉しかった。貴方みたいな人がもっと現実に沢山居れば好いのに。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014520
いいじゃないっすか、それもまた生き方。
とりあえず、そういう気持ちを書いてみたらちょっと反応あったでしょ?少しはさびしさ紛れませんか。
確かに紛れた、仰るとおりである。ありがとう。
「いいじゃないっすか」については微妙なのだが(良しとしているのなら相手募集などとは書かないだろう)、拗らせた出会い願望を抱えたまま生きて行く人生もありなのか、と一考するきっかけをいただけたのは有り難く思う。
泥鰌は養殖物でお願いしたい。天然物は高い上余程上手く処理しないとすぐ泥臭くなり、とても食べられない故。
そういえば書かなかったが、泥鰌豆腐は地獄鍋とも称する。出会い欲求を拗らせ悩みに苦しむ地獄でつつく鍋としては出来過ぎの呼称。この日記に反応してくださった優しい貴方がたに食べさせたい類の料理ではない。泥鰌に拘るならせめて柳川にした方が良いかも知れない。
とりあえず「プラトニックチェーン」を読んでみると良いかも。