正しくは「物語で売れ」なのは周知のところだけども、これって実はいろいろとヤバいマーケティング(笑)なんじゃないだろうか。
たとえばこのページ、
http://clockworkapple.me/?p=6734
ちょっとウルリとくるようないい話風のエピソードが載っていて(最後にアフィが張ってあって)、ブクマコメも最初は普通にエピソード記事に対してつくようなのがついてる感じだったけど、途中からステマの指摘が入るや否やみんな右向け右で「広告としてどうか」としか評価を下さなくなっちゃった。
曰く「素晴らしい広告」「良い宣伝」「ポエム文体のアプリレビュー」。
これってなかなかデンジャラスだよね。
元の文章読めばわかるけど、これ文章はちょっとした読み物だけどそれは広告としてどうかっていう評価と直結はしない。
広告として評価するならむしろいくら売りあげたかとかで測るのが妥当だし、そもそも文章自体アプリとは関係ないんですよ1970ウン年生まれの筆者が高校の時どうこうって話だから。アプリの使用感レビューですらない。載ってる写真はたぶんwebからの拾い物で本人が撮ったもんじゃないし使った結果こんな感じなんて一言も書いてない。
つまり広告された側の方で「素晴らしい文章」と「素晴らしい広告」とをごっちゃにしちゃってるんだけど、果たして皆さんそこんとこ自覚あんのかなってのがすごい怖いしキモイし気になる。危ういと感じる。
これ突っ込まれて気付くんじゃなくて自力で自覚できないと認知が派手にゆがむけど大丈夫?みたいな。
「素晴らしい文章として評価しちゃったけどよくよく見たら読み物というか広告だった、けど文章は素晴らしいので広告として売り方として素晴らしい!」みたいな論理に陥る。書き出すとわかるけどまるで意味不明。
こんなグネグネの針金みたいな行動原理に基づいて消費行動がある程度の規模で行われるって光景としては非常に悪夢的ですよ? マジキチよ?
だって普通にストレスフルじゃんそんな認識。ちょっと考えればわかるけど、これは「物語でダマしてまで物を売るのは良くない、広告は基本的には商品の良さや必要性を直球で正確にアピールすべきだ」っていう価値観が根底になきゃ生じない混乱ですよ。
「文章としては素晴らしいのに。広告ってのが残念」と素直に言えよと。なぜ言えないのかと考えると何だかもう鳥肌モノなんですよね。
これからモノが売れないとこんなのが巷に溢れ返ると思うと「うえー」ってなる。
ニッポンの「物語を売れ」のいやらしいところは物凄くマイナス寄りの物語でモノを売ろうとするところ。 「物語を売れ」で検索して出てきた元記事?っぽいやつでは、 ・絶対不可能と...