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2014-04-14

底辺校と言われている高校入学してから1週間が経った

中学校での成績やその他いろいろな事情によってタイトルのような高校入学する事になった。

同級生には「名前が書ければ入学できる学校」などとバカにされたりもしたが、そんなことはないだろうと不安感を胸に押し留めて入学式に臨んでから早くも1週間が経った。

学校についてを書くと、特定されてしまうので詳しくは書かない。

ここでは、自分なりのこのような高校についての考察を書いていきたいと思う。

見た目は高校生、心は小学生

授業や休み時間の行動を見ていると、小学生のような行動を取る人が多いことに気がついた。

  1. 誰かに認めてもらおうとする行動
  2. 真面目に取り組む生徒をバカにする
  3. 周りが見えていない

まだ、入学してから1週間ほどしか経っていないのにこのようなことを要求するのも酷かも知れないが、上記3点が特に気になった。

先生に認めてもらうために、発言などを周りにほとんど当たらなくらいする同級生がいた。

まだ授業は易しい内容なので、誰でも質問されたことはわかるよう。しかし、そんなに質問に張り切って挙手をし、大きな返事をし、発言をする。先生が「どうぞ」と言っていないのに発言する。

私はこの同級生を見て「まるで小学生みたいだな」と思ってしまった。失礼かも知れないが、そう思ってしまった。

何故このように張り切って発言をしているのか自分なりに考えると、このような結論になった。

中学校勉強ができずに、発言をし、褒められるということがなかった。その結果、褒められるということに対する憧れがまだ残っている」

底辺校と言われるような学校なので、当然、学力はあまりいい方ではないのだろう。

中学校ではみんなの前で発言をし、褒められるという経験も少なかっただろうと勝手推理した結果このような結論になった。

そして、このような生徒をバカにするというのが、2点目だ。

積極的に発言したり、クラスのために何かをするというのは悪いことではないだろう。

「誰かを認める」というのは、なかなか簡単なことではない。

自分の考えと同じ考えをしている人がクラスにいるというは非現実的だろう。

誰かを認め合えるようになるとうのが、大人になるということの一つだと私は考えている。

そのようなことができる人は、言い方は悪いかもしれないが「賢い」と言われて中学校時代を過ごしたのだろう。

賢いことと、勉強ができることはイコールではないが、両方できる人は、進学校と呼ばれる高校入学していった。

そして、残った人がこの学校入学する。そう私は考えた。

から「誰かを認める」ということができない人が目につくのではないか。つまり人間として幼い人が多い、そう思った。

最後に、3点目。以上のことからわかるように、人間として幼い人がこのクラスには多かった。

そのために、高校生ならできてほしい気配りができない人が多い。自己中心的な行動をしてしまう。

周りが見えていないことはまだ入学したてで学校に慣れていないからだ、と思いたいが、あまりにも自己中心的な人が目立っていた。

まとめ

長々とへたくそな文章を書いてきたが、言いたいことは、このような学校には人間として幼い人が多いということ。

私達は、9年間の義務教育を終え、大人への道を歩みだしている。

そんな中、同級生達は、人としての成長や苦労をせずにこの学校入学してきたのだろう。

こう考えると、顔立ちも幼い人が多いような気がしてきた。

このクラスがどのように成長していくのか楽しみだ。

 
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