2023-12-16

嫌いなものが多すぎる

子供の頃から好きなものがなかった。熱中できるものが本当に何も無い。周囲に勧められて見たり聴いたりして話を合わせることはあったが、心を揺さぶられるほど好きになったり、眠れないほど熱中することはなかった。

なぜだろう、なぜ皆は好きなものがあるのに私だけないのだろうとずっと不思議だったけれど、今朝わかった。私は「好きなものがない」と言うより「嫌いなものが多すぎる」のではないか

考えてみれば食べ物からして嫌いなものが多かった。炭酸飲料は嫌、ビールカプチーノの泡もダメ、ぐにゃぐにゃした食感は無理、とにかく嫌いが多い。

服や靴だって色や形が嫌で、流行っていても買わないことはよくあった。センスは無いのに好みはある。好き嫌いの「好き」が売ってないから、食べ物も着るものも消去法で選ぶ。

数行読んで無理な小説や、絵柄が受け付けなくて読まない漫画もたくさんある。買うとしても全巻揃えるということができない。好きな巻しか買いたくない。

好きな場面はあっても、作品全体を好きになることができない。興味が出て少し調べるとすぐ嫌いな部分が出てきて、冷めてしまう。極度にワガママなんだ。

推し活できる人はすごいと思う。他人他人が作った物に一生懸命になってライブに行ったりグッズを集めたり、自分ならできない。蒐集癖や創作意欲もない。対象を丸ごと好きになってそれに心血を注ぐようなことは、私には多分生まれ変わってもできない。

私が推せるものがあるとしたら完全に自分好みに作られた何かなのだろうが、自分で作っても自分好みになるとは限らないから、私が何かを推せる可能性はほとんどないのだろう。

好きなものがないというより、嫌いなものが多すぎるんだ。この事実に気づくのに40年以上かかったことにも愕然とした。私は今まで一体何をしていたんだろう。

ここは私のために作られた世界ではないのだから、完全に自分好みなんてことは無理なんだ。妥協して、消去法で選ぶしかないんだ。ベストよりベターなんだ。

みんなそうやって生きているのか……なんてことだろう。気づかなかった。皆好きだと言って一生懸命になっているように見えたのも、妥協や優しさだったのか。それとも一時的にであれ何かに熱狂したり陶酔したり、執着できる才能を持っているのか。

この世界で満足するしかない。嫌なら自分でなんとかするしかない。多分そうなんだ。そうか……。

何かじんわりしたショックがあるけれど、何に対しても執着薄いことが正直それほど苦痛でもないので、まあそれなりに生きていこうと思う。

  • この世界を創造したのは自分だとしたら

  • 転載ではないのなら厨二な文章を書いて共感やツッコミ待ちっぽいが、 それ典型的な発達障害やHSPや精神障害の症状やでってマジレス おそらく個性の範疇じゃ無いヤツでしょうね   は...

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