全人類が善良で正しくふるまえるなら何も問題ないんだけど、現実は頭おかしい人も自分勝手な人も犯罪者もいるよね
なので、自分が被害を受けないための自衛って当然必要になってくる
それは何も間違ってないし必要なことなんだけど、大っぴらにそれを公言して正しく自衛すると、それは差別との境界が分からなかったりポリコレ的に間違ってたりすることが起きる
そのギャップは、今の社会は解決していないと思うんだけど、どう解釈したらいいんだ?
例えば被差別部落
元々差別による不利益を受けていたため、教育レベルや所得レベルが高くない住人が多く、地価が下がり、それがさらに低レベルな住民を招き、結果的に犯罪発生件数なども多い、という場所があったとする
それを見て、あの場所は犯罪が多いから近づいてはいけないよ、と地域住民が噂する
これは当然、完全アウトな差別なのだが、現実として犯罪発生件数が高いなら、差別と認識なく吹聴する人は案外多い
他にも、例えば女が犯罪者の男女比率を理由に男を警戒するのも、上記と同じ理由で差別になるわけなんだけど、ポリコレを掲げて正しくふるまっても褒められもせず一部の犯罪者にレイプされるだけで、いいことは何もない
それでやっぱり男はやばい、と話すのは当然駄目なんだけど、女からすると犯罪する男と犯罪しない男を所見で見かけだけで判断することはできない
今はまだ、ポリコレが完全に上位の概念になっていない時代だから、なんだかんだ差別を正当化して自衛をやることは認められている
ポリコレが廃れる。それで解決だ。 ただ、信仰って、一回はじめちゃうとほぼ死ぬまで治らないんだよね。 ポリコレ信奉者はポリコレを信奉してるまで死ぬまでそのままだ。 信仰...
つまりポリコレは未解決な問題を多くはらんで、現実として無理があるってことよね?
そう思うぜ でもポリコレが出てきた素地もあったんだろうから、無理ない範囲で残るもんは残るんだろうな。 別にこっちだって、令和にまいっちんぐマチコ先生を新連載しろとは思...
そうだよね そするとポリコレと自衛が衝突するときのガイドラインというか、「男がこわいから車には乗れません」みたいなのが差別じゃないとする基準を、明確にどっかで出す流れに...
この手の問題は大抵 「ただしこのルールを決めた私はこのルールの例外である」 というメタ階層を導入することによって回避できる というのが論理学の知見
そうか? 憲法上の権利と権利の衝突みたいな話じゃないの?