2023-02-14

「重複」の読み方で思うこと。

よく「じゅうふく」を「ちょうふく」に訂正された人の言い訳で「日本語は変化するものなので」というものが多いが思考停止言い逃れで使うのはどうかと思う。

その一方で、訂正する側が「本来の読み方が大切」だの「日本語の乱れだから」だの思考停止押し付け行為もどうかと思う。

例えばテレビで「手水(ちょうず)」を「てみず」と読むと「最近はてみずと読む人が増えた」と嘆く人がたまにいるが、本来の読み方は「てみず」である上に神社によっては「てみず」とふりがなしている場所もある。

そもそも本来の読み方」は慣用読みは誰も疑わないような言葉も多くあるから一般人がわざわざ深堀りするものでもない。世間信仰されているのは「本来の読み方」ではなく「伝統的な読み方」である。それにも関わらずそこを勘違いしている人が多い。

「重複」がどう読むべきかという議論はさておき、自分の知らない・気に入らない読み方を無闇に「本来の読み方」だの「日本語の乱れ」だのと押し付け行為は、指摘された側が「日本語の変化」と言い逃れする行為と同じ次元だと思う。

そもそもこういう細かい上に槍玉に挙げられがちな日本語マナーにだけやたら口うるさくあげつらってくる行為自体がどうかとは思う)

追記:上の話はどちらの立場無知言い逃れしていることがどうなのかという話なので本筋からそれますが、「重複」はどちらの読み方でも正しいと思いますあくまで「ちょうふく」が適切かつ伝統的な読み方なだけ。近年派生したとはいえ昔の世論調査多数派だった「じゅうふく」を否定することはできないでしょう。

これも「どちらがより適切なのか」という議論をするべきなのに「どちらが正しくてどちらが間違いなのか」という議論すり替えられがちだと思います

「重なる」の意味の時は「チョウ」と読むという説明をしている方は「多重」や「重箱」など例外だらけです。そういう推論が間違いであることに気が付きましょう。(呉音漢音かの違いで呉音が根強く残ったか漢音に置き換わったかぐらいの違いです。)

  • 「ちょうふく」は室町時代から、「じゅうふく」は明治時代ごろから使われていた。 つまり、室町生まれか、明治生まれかで、常識が異なるってことやね。

  • 知ってる分野になると、やたらとマウントを取りたがる人が増えたってことだよ。 手水で思い出したけど、神社で参拝するとき、二礼二拍手一礼の形式にはやたらとこだわるのに、何の...

    • 鈴鳴らすタイミングっていつなの?

      • お金入れる→ガラガラ→二礼→二拍手→一礼 こうやってる

        • どうでもいい 賽銭投げいれて手をパンパン2回やってそのまま手を合わせて祈る これが俺の流儀

  • 辞書で「じゅうふく」を調べると「ちょうふくのこと」って出てこない? 確かに昔は誤用だったけどじゅうふくでも通じるようになったから変わってきて辞書にも反映されたんだなと思...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん