増田で書いてきたもので本になった人が出て来たら尊敬するしカリスマ性を感じる。
悪印象が強いほどその輝きは増す。前例がないことをなしとげるのが重要なのだ。
今さらなろうやアルファポリスで書いてる人がプロの物書きにジョブチェンジしてもなんとも思わないのとちょうど逆だ。
我々は自分と同じものを持っている人間に圧倒的なものを求める。
ちょうど日本人として大谷翔平や錦織圭が尊敬の対象とされているのと同じだ。
中途半端な優劣が僻みを生むことがあるだけで、多くの人間には圧倒的な存在を心の拠り所として受け入れる用意がある。
そういう存在は、自分ももっと上を目指せるとか思うための生きる支えになるから。宗教における神みたいなものだ。
増田においてもそれは変わらない。こんなくそったれの空間の中からこそ、そういう偏見を跳ね返す書籍化という名の功績を出す人が現れてほしいと思っている。
増田で書籍化の例がないのは権利関係を把握するのが大変だからとか、目立ちたくない人、副業禁止の人がいる可能性があるという出版社側の配慮にあるという言う人がいる。
それもあるかもしれないにしても、そもそも書籍化の水準に達している書き手がいるのかという問題がある。
なろうでも書籍化の話をかけてもらえるためには、最低一つの作品を完成させるために「書き続けなければならない」ということがある。
増田で何か一貫性をもった記事群を本にまとめるだけの分量だけ書いた人はいるのか。配慮よりもまず書き手側の質の話なんじゃないかと思える。
実際、水準に達している人の方から出版社側に「増田で書いた記事に書き下ろしつきで本にまとめれば増田という媒体のイメージとのギャップから一時的にも話題になりますよ」とセールスすれば、通ると思う。ちょうど電車男の話題性に2ch発ということが大きく寄与していたように。