2021-06-13

他人のことを考えられる」は無根拠な自信に基づく幻想しかない

慢性的な腹痛や頭痛に悩まされてる、って人に同情する人は多々居るが、それは自分の腹痛や頭痛体験を想起しての「あーつらいよね」っていうものしかない。

それが悪いとは全く思わないし、人類はそんなもんだ。自分体験を想起すること以外で、他人の辛さとか苦労とか乗り越えなきゃならんハードル想像できるか?出来る人はごくわずかだろう。

男に生理の辛さを分かれっていっても、まあ難しい。せいぜい慢性的腹痛を持つ男が「あーつらいよねわかる」程度の理解程度しか期待できないし、マジで全くモテない男の辛さに関して「消極的からモテないんだよ」なんてもともとモテる要素のある男に言われたって、まあ分からんのも当然やなって。

自分はこう克服した、っていうノウハウに関しては価値があるよ。慢性的頭痛に悩まされてる人がバファリンみたいな有名市販薬でどうにかなった、っていうマスプロダクトな解決法でどうにかなることは本当に多々ある。前述の「全くモテない」も、積極的になる≒出会いのある場所に行くだけで解決する人も沢山いるし、実例も見てきた。だいたいが高専理系大→名の知れた企業就職の十分な給与があって、かついじめ被害者等のコンプレックスが無いまたは弱い、女性に縁がなかっただけの男だが。でもそのノウハウ自分自分の周りの実例だけのことでしょう。

その実例だけをもって「こうすれば解決、できないなら怠惰。お前が悪い」は無根拠かつ自信がありすぎでしょう。せいぜい「こうして解決した例もあるよ」以上の語気では言えることじゃない。

他人のことを考えられるなら、自分とは全く異なる生い立ちを持つ人に対してもその能力を生かしてほしいし、考えられないなら「○○でないならクズ」みたいな語気が強いことはかんたんに言えないと思うんだがなぁ。ほとんどの「私は他人のことを考えられる」を自認する人、自分体験を過度に一般化してるだけだと私は思ってる。幻想だよそれ。

私の人生ほんとゴミ

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん