2021-01-29

anond:20210129002024

もちろん定義問題といえばそうだけど

共感能力とは「誰にでも共感する」能力ではない

「仲間をみわけて共感する能力」というのが本質

まり仲間じゃないやつ、演技してるやつの存在は前提

たとえば

ウィリアムズ症候群という稀な疾患を持つ人間自閉症と逆で

「誰にでも」共感して非常に社交的に振る舞う

幼児はほぼ必ず身なりの怪しいおっさんとかを怖がるけど

この症候群だと同年代友達と同じように一緒に遊ぼうとする

めちゃくちゃ怪しい嘘にも何度でも騙されるから

犯罪の使いっぱしりにされるとか、性的虐待とか受けてしまう人が多い

これは共感能力が高い、といえるだろうか?

まあ高すぎて暴走しているとは言えるかもしれないが、異常ではある

そして、挙げられていたような活動家たちや支持者も

殆ど場合「誰にでも共感してるわけではない」

これがポイント

シールズならネトウヨには共感しないだろう

グレタさんは環境問題無視する人間たちには共感を示さな

ただ共感を感じる基準が違うだけだ

ウィリアムズ症候群のように共感能力が高すぎて暴走しているとかではない

いうなればメタゲーム問題

メタゲームは単純に強いほうが勝つとかではない

相手の内心をどう見積もるかに正解はない

単純な心とものすごい複雑な心まで全部推論すれば誰にでも共感できるが

それがあっているかどうかなど誰にもわからないだろう

良心的に解釈してたらただの詐欺かもしれない

当事者性だけで判定するのが単純だというのはそのとおりだ

だが単純だから共感性が低いかと言うと違う

単純な人間によく共感しているだけである

複雑な人間共感し、単純な人間共感しないのは共感能力が高いか、といえば微妙だろう



もちろん誰にも共感しないのは共感能力が低いと言えるだろうが

誰にも共感できない極限と誰にでも共感する極限が共感能力がぶっ壊れている人間であり

胡散臭いなーって感じるのは正しい共感能力の使い方と言える

まして、同一の対象をみんなで叩くのは

叩いている側の集団共感しているだけのことも多い

共感能力という観点では正常といえるだろう

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