2021-01-22

尾崎豊成人式

僕は新成人になった。成人になると、成人式新聞社説、その他諸々の機会に、エライ大人たちがありがたい言葉をかけてくれる。

そういえば昔、朝日新聞の社説尾崎豊の話が出てきた。当時はまだ中学生小学生くらいの頃だったが、何故かメディアで取り上げられていた内容を覚えている。その世代おっさんらしい人が、尾崎豊の話を引き出してきて色々と説く内容だったが、「平成若者尾崎豊押し付けるな」なんて批判があったと思う。そいで、とある精神科医のおばさんが「尾崎豊の曲に共感する若者はグッと減っている」みたいな事も言ってた気がする。

じゃあ新成人のお前はどうなのかと思われるかもしれないが、僕は尾崎豊の曲が大好きだ。だけど、『15の夜』や『卒業』で歌われるような不良行為非行共感するわけじゃない。

彼の曲が好きなのは、「自由とは何なのか」とか、「自分はどう生きたいか」とか、そういうアイデンティティにまつわる苦悩を描いているから。自分は何物なんだと苦しみながらも、強く生きていこうとするエネルギーに溢れた彼の曲と歌声が、大学進学やら何やらに悩んでいた僕の心に刺さったのである

尾崎豊の事を「若者教祖」「反逆のカリスマ」なんて表現する人が沢山いるけれど、それは誤解だと思う。『15の夜』や『卒業』で描かれる不良行為は、自由自分らしさにまつわる苦痛にあがいたゆえの行動として表現されているし、『傷つけた人々へ』という優しい曲もある。そして、『僕が僕であるために』のように、ストレート自分らしさ、生き方表現した曲を、彼はたくさん遺している。

彼が曲の中で描いた大人への反抗は、アイデンティティにまつわる傷跡を描くための一面でしかない。そして、尾崎豊とは「若者教祖」ではなく、「迷える若者のひとり」だったのではないかと、なんとなく思う。その時代に生きたわけではないから、実際のところは分からないけれど。

また、「尾崎豊の曲はあの時代じゃないと理解できない」みたいなことを言う人もいるけれど、それも違うと思う。自分らしさに悩む若者はいつの時代にも居るし、とても普遍的なことだから。もちろん時代によって多かったり少なかったりするだろうけど、彼の曲は今も、そしてこれからも、輝きを放っていくと思う。

僕の自分らしさとは何なのだろうか。そして、それは人に受け入れられるものなのだろうか。

きっと、受け入れられなかったり、理解してもらえないことが沢山あると思う。現に、死後30年近くたっているのに尾崎豊と彼の曲は誤解されたままだ。僕も彼の曲のように、自分人格、考えたこと、感じたことが、人に受け入れられなかったり、誤解されていくことになるだろう。

そして、それらを理解してもらえないばかりか、そもそも理解しようとすら思わないような人が、世の中にたくさんいる。物事について、何が間違っていて何が正しいのかを考えようともしない人たちが、間違ったことを真実であるかのように信じ、それを広めていく。でも、僕はそんな世の中を生きていかなくちゃならない。きびしい大人の世の中を。

成人式で、エライ大人が「自分らしく」という言葉を、軽々しく言い放った事を思い出した。

  • じゆーていったいなんだーいッ?! どーすりゃじゆーになるかーいッ?!♪

  • Scrap alley とかまじいいよな。

  • 「不良少女」とか「スクールウォーズ」とか「ビーバップ」とか、そんなので埋めつくされてたあの頃の中高生を取り巻く雰囲気と偏見が凄く息苦しくて馴染めなくて、ヤツの歌も理解...

  • そりゃ大オタク時代なので。 尾崎だの山田かまちだ、長渕の言ってるナルシシズムな青春より、ギークな方面しか興味がない奴らがその頃にもいた。 潜在的なギークたちは80年代のネア...

  • 「鈴木先生」のエンディングテーマで懐かしのナンバーを聞いたときはいい選曲だなって思った。素直にそう思った。 思春期の子供たちかれ見れば大人側であり体制側である年になり、...

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