2017-05-21

適応障害会社を辞めた話

前職はそこそこのブラックだった。

サービス残業は当たり前、頻繁にある出張では移動時間は勤務時間に含まれず、出張すればするほど働かなければいけない時間が増えていく。

それでも制作として働いていた三年間は楽しかった。今思うとやり甲斐搾取ってやつだったのかもしれない。しかし同部署の先輩が二人辞め、いつの間にか案件外注してまとめる営業側に立っていた。

慣れない営業と、社内で処理したい小さな制作業務と、辞めていく人達の引継ぎに追われて、元々身体が弱かったこともあり、ある日ぽっきり折れてしまった。

不眠と動悸と頭痛と、今まで感じた事のない不安感に苛まれ心療内科に駆け込み、倒れこむように休職をもぎ取った。病名は適応障害だった。

それから傷病手当金会社で止まっていただの、退職届を出しても辞められないだの、しょうもない事で私の精神時間を消費し、病気は治る事もなく一年が過ぎた。転院したり、薬が増えたり、労基に会社をどうにかするよう頼み込んだが、労基に親に頼めと言われた事もあり、結局は親に連絡してもらってようやく辞められた。(傷病手当金会社経由で振込まれていたが、計算の合わない額が振込まれており、そこでも無駄に消耗した)

まったく休まることのなかった一年を経て、私の頭はどんどんおかしくなっていった。焦燥感不安感が常駐し、光や音に過敏になり、思考は胡乱になった。とにかく何かを作ってみようとアイディアノートに書き留めても、明日自分が引き継いでくれない。継続した日々ではなく、苦しみながら起きて安定剤を服薬し睡眠薬眠る、分断された一日を送るようになった。

最初休職してから、もう二年が経ったが、まったく良くなる気配がない。傷病手当金給付も昨年で終わり、貯金を崩しながら死んでないだけの日々を送っている。

はやく良くなりたい。

働きたい…。

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