2017-04-20

黒人差別幼女レイプ

ちょっとした思考実験に付き合ってほしい。

ここに、2つのフィクション作品があるとする。

A: 白人黒人奴隷鞭打ち、様々な虐待を加えるシーンを克明に描いたサド作品

B: 大人幼女を犯し、様々な性的虐待を加えるシーンを克明に描いたエロ作品

Aのような作品出版されたら、おそらく世間から非難の声が浴びせられるだろう。私が出版社立場にあれば、出版許可しないのではないかと思う。

ところで、私はロリコンだ。Bのような漫画は実際にたくさん目にしてきた。犯されているのは実在幼女ではない。表現の自由だ。そういう主張を聞いたことがあるし、私自身もそう主張したことがある。

この二作品本質的な違いは何だろう。どちらの作品も、登場人物架空のものだ。Aには人種差別の要素があってBにはないかもしれないが、Bには性差別の要素があるだろう。

依然として私の感覚では、Aは出版するべきではなくBは出版されても良いとなっている。その感覚の大部分は、私がBのような作品を好んでいるからだとは思う。

しかし、本当にそれだけなのだろうか。

私がもしロリコンでなかったら、Bのような作品出版されるべきではないと判断するのだろうか。

もちろん、世間にはBのような作品規制するべきだと思っている人がいることは知っている。

私はそれに対しては異を唱えてきたし、おそらくこれからもそうするだろう。

しかし、そうするとAのような作品はどう捉えるべきだろうか。同じように、表現の自由の名のもと、規制されるべきでないとするのが正しいのだろうか。

そういう方針もなくはないと思う。しかし、それは黒人が長い年月で勝ち取ってきた差別されない権利を踏みにじっているようにも見えるのだ。

Aの作品から人種差別要素を取り除いたらどうなるだろうか?

それなら良い、と感覚では思う。ということは、人種差別要素がいけないのだろうか? 性差別要素は構わないのか? 虐待要素は?

世間の反感の大きさを予想しているのかもしれない。人種差別要素がある方がより反感は大きい気がする。

しかし、その反感の大きさを、私は想像見積もっているだけだ。「反感の大きさがこれくらいだから駄目」と示しているのではなく、「駄目だから反感の大きさはこれくらい」とバイアスをかけた想像をしている気がする。

やはり単なる好悪の問題で、私は嫌いなもの規制されても良いと思おうとしているのだろうか。

ならば、Aのような作品もBのような作品もなんら規制されることなく発表できる世の中が良いのだろうか。

残念ながら私は結論を出すことが出来なかった。

みんなどうやって線引きをしているんだ?

  • 一個人はどのような行為を行ってもいい それによって引き起こされる結果は選べないが 法律や道徳観その行動に変化を与えるよう働くが強制はしない

  • 難しい問題だけど人種差別は日常的かつスケールのデカい問題を引き起こしかねないでしょ。 そして人種差別は正当化する余地が(比較的)大きい。 それに対してロリ凌辱は明らかに非...

  • 黒人差別を題材にした小説は、例えば、「アンクル・トムの小屋」とかリチャードライトの「アメリカの息子」などがあるし、Aのような小説も差別があった事実を忘れないための作品...

  • A.格差差別・人種差別・虐待。 B.虐待しかない。 例題が変。例えばBが男の娘で父親がバイに目覚めて犯される、なんて話なら性差別になるんじゃないの。 で、男の娘は性的には男なの...

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