A: 白人が黒人奴隷を鞭打ち、様々な虐待を加えるシーンを克明に描いたサド作品
B: 大人が幼女を犯し、様々な性的虐待を加えるシーンを克明に描いたエロ作品
Aのような作品が出版されたら、おそらく世間から非難の声が浴びせられるだろう。私が出版社の立場にあれば、出版を許可しないのではないかと思う。
ところで、私はロリコンだ。Bのような漫画は実際にたくさん目にしてきた。犯されているのは実在の幼女ではない。表現の自由だ。そういう主張を聞いたことがあるし、私自身もそう主張したことがある。
この二作品の本質的な違いは何だろう。どちらの作品も、登場人物は架空のものだ。Aには人種差別の要素があってBにはないかもしれないが、Bには性差別の要素があるだろう。
依然として私の感覚では、Aは出版するべきではなくBは出版されても良いとなっている。その感覚の大部分は、私がBのような作品を好んでいるからだとは思う。
私がもしロリコンでなかったら、Bのような作品も出版されるべきではないと判断するのだろうか。
もちろん、世間にはBのような作品も規制するべきだと思っている人がいることは知っている。
私はそれに対しては異を唱えてきたし、おそらくこれからもそうするだろう。
しかし、そうするとAのような作品はどう捉えるべきだろうか。同じように、表現の自由の名のもと、規制されるべきでないとするのが正しいのだろうか。
そういう方針もなくはないと思う。しかし、それは黒人が長い年月で勝ち取ってきた差別されない権利を踏みにじっているようにも見えるのだ。
それなら良い、と感覚では思う。ということは、人種差別要素がいけないのだろうか? 性差別要素は構わないのか? 虐待要素は?
世間の反感の大きさを予想しているのかもしれない。人種差別要素がある方がより反感は大きい気がする。
しかし、その反感の大きさを、私は想像で見積もっているだけだ。「反感の大きさがこれくらいだから駄目」と示しているのではなく、「駄目だから反感の大きさはこれくらい」とバイアスをかけた想像をしている気がする。
やはり単なる好悪の問題で、私は嫌いなものを規制されても良いと思おうとしているのだろうか。
ならば、Aのような作品もBのような作品もなんら規制されることなく発表できる世の中が良いのだろうか。
残念ながら私は結論を出すことが出来なかった。
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