人が話していることに対して無意識に「でも」とか「まあ」とか付けてしまいそうになる(意識はしているけど)し、楽しそうな人を見ると「なんか楽しそうだね」と思って一定の距離を置いてしまいがちだし、身近な人が人脈作りに奔走したりしているのを見ると「頑張ってるなあ」とか思ったりしてしまう。
なにかにつけて冷めているし、上から目線にものを見てしまうきらいがある。自分で自分の性格が悪いなと心から思っているし、そんな自分が大嫌いで仕方ない。
でも、昔は自分で自分のことを、そう性格が悪いなとか思わなかった気がする。
ド真面目で、曲がったことが好きじゃないタイプの人間で、でも楽しいことも大好きで。社会人になったらばりばりのキャリアウーマンになりたくて、働いている自分に誇りを持ちたいと思っていた。鱗片はあったのかもしれないけど、今ほど卑屈じゃなかったし、社会とか、自分の人生とか、未来にもっと希望を持ていたような気がする。こんな大人になりたいと思う人がいて、未来がすごく明るく見えていた。少なくとも、自分のことが嫌いなんてことはなかった。
心がどんどん貧相になっていくのが、自分でも分かる。
そんな自分と向き合うのが嫌で、怖くて、本とか映画とか美術館とかに行って、まだ大丈夫、まだ大丈夫と自分を安心させている節がある。良かった、感動したと無理矢理飲み込んで、自分がどんどん自分の嫌いな人間像になっていくのをどうにかして保とうをしているのが分かって、よけいに皮肉を感じる。
社会人になってもうすぐ3年が終わる。
このわたしの感情の変化は、社会を知らなかったただの子どもが世の中というものを知ったから、というだけなのか、そうじゃないのか。なにか環境が変われば、考えも変わるのか、そのままなのか。
先日、満員電車に乗った。
金曜日の夕方。明日は休み。だというのに、ぎゅうぎゅうの満員電車に30分ほど乗ってたら、2回程舌打ちが聞こえてきた。
「かんべんしてよ」と思った。
苛立つのは分からなくないけど、仕事も終わったこの時間、もう少し心に余裕があってもいいじゃん。仮に苛ついたとしても、それを舌打ちとして表現することでなにになるの。もう少し心に余裕を持ってよ、と。
でも少しして、たぶんわたしも、この舌打ちをした人と現れ方が違うだけでなんら変わらなような気がして、ますます自己嫌悪に陥った。
どうすれば良いんだろう。すごく心がしんどい。
でも、自分のことが嫌いだ嫌いだと思い続けていただけの頃よりかは、脱却に近づけているような気もする。
オレはお前のことけっこう好きだよ