2016-01-18

思考実験:少数者の優遇

昔やっていたネトゲでは、回復支援といった職業がちやほやされていた。

どこでもそうだろうが、ネトゲプレイヤーというのは概して戦闘である

人様の支援をするために異世界に降り立つプレイヤーは少ない。

よって、彼らはゲームシステム必須なくせして、いつも不足する運命にある。

なので、それはもうちやほやされた。パーティを組むリーダーが、彼らの機嫌を損ねないよう、

誘い文句にも気をつけたほどである。実際、パーティには多すぎて逆にうざいほど誘いが来たし、

自分がやらされるよりはマシだからと、大した装備がなくてもコンテンツに誘ってもらえた。

もっとも、ちやほやされるのは誘われる時だけで、戦闘が始まった途端にこき使われるわけだが。

ところが、そのネトゲが末期になって、レベル上げがアホみたいに緩和されると、状況が一変する。

カンストレベル支援職がそこら中にあふれると同時に、彼らの扱いはずいぶん適当になってしまった。

逆に、アタッカー増長し始めた。中には、あいつら俺が苦労して取った装備に寄生してやがる、

という目を堂々と向けるものまで現れた。

さて、いい加減リアルの話に戻ろう。

この世界でもいろんなものが不足しており、故に優遇してなり手を増やそうという試みがあるが、

少子化にしても僻地医師にしても田舎の定住者にしても、日本ではなかなかうまく行っていない。

もちろん、全く無駄ということはないだろうし、どれもまだまだ徹底する余地がある。

だが、それらが目立った成果を上げられないのは、内容が悪いというよりも、

この流れはいつまでも続かない、と思われているところに問題があるような気がする。

「少数」「不足」という冠がなくなれば、優遇策もすぐさま取り上げられるのではないかと。

そもそも、出生数を政府管理下に置く、という点では、中国一人っ子政策も大した違いはない。

そして、あっちはもう撤廃が決まっている。

子供が少ないのだから優遇すべき、という考えは、逆に多ければ邪険にすべき、という考えにも通じている。

彼らはわかっているのかもしれない。その手に乗ればいつか手の平返されると。

  • 個人感では > 人様の支援をするために異世界に降り立つプレイヤーは少ない。 という心理と > 子供の世話をするために人生を生きている若者は少ない という心理はかなり類似し...

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