2014-07-14

人生に失敗したのかもしれない

正確には「人格形成に失敗した」。

気が付いたら社会不適合者になってた。家も小学校中学校も、ろくな場所じゃなかった。今でもそうだが、家族以上に他人が怖いから家に居るのだ。

本当のことを言っても信じてもらえなかったこと多数。俺が望んでそうなった訳ではないのに「○○だから」といって馬鹿にされ爪弾きにされること多数。

家に帰れば父親は訳の分からない事でキレる。母親はやや過干渉で、高校時代自分の行動範囲を広げるのに一々苦労した。

小学生の頃から運動は出来ない、情緒は常に不安定、口癖は「誰もわかってくれない」。

 

ようは小学生時分から社会が僕を嫌っていたのだ。

 

そうなれば出来上がるのは、社会を怖がり、社会を強く恨む自分

この失敗した人格は、だいたい境界性人格障害の特徴によく当てはまる(※医師の診断を受けたわけではない)。

 

しかし一応こんなゴミクズでも、18歳頃から人生上向いたのか、彼女が居て、親の金専門学校に行き、(専門学校生としては)そこそこの会社から内定をいただく事が出来た。

そこだけ見れば自分でももっと明るく生きれそうなものなのに、頭に浮かぶのは「俺なんて居ないほうがマシ」「所詮専門士学士様には敵わない」ということばかりだ。

 

そういう感情しか浮かんでこない自分は、人生というより人格形成には既に取り返しの付かないダメージがあるのだと思う。

現在でこそ、言うほどに人生が失敗している訳ではないが、この人格だと人生まで下降線を辿ることになりそうで怖いのだ。

 

そして本当に怖いのは、将来職も彼女も友人も失ったとき社会への恨みがまた表に出てくるのではないか、ということ。

そう考えると、この後平均余命だと死ぬまでの60年もの間、そうならないように常に心配する必要があるというのが非常にめんどくさい。

 

はァ、明日にでも人格が書き換わってないだろうか。

  • 予期不安ですな。 今現在の状況に対する不安ではなくて、今自体は問題ないのに、この先もしこうなったらあんな状況になってしまうかもしれない、とかそういうやつ。 俺もそうなんだ...

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