2013-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20131104000421

まず、語の定義として、ゆるく

 ・ある程度の定義・教本があり教義のある固定化されたもの=「(狭義の)宗教

 ・厳密な定義、教本の類がなく、習俗・習慣的に行われるもの=「信仰

…と呼ぶ。これは、人類学かなんかにおける定義だけど、分かりやすい。で、この二つを総称した「非合理的に何かを信じること」一般を「(広義の)宗教」とする。この辺をごっちゃにすると厄介。

で、かつての日本の「神道」や「神社」というのは、まあ乱暴に言えば元増田が言うような存在であり、上の定義で言うところの「信仰」だった。「古事記とか日本書紀とか昔からあんじゃねーか」と言うかもしれないけど、読んだことあんのか?あれは歴史書だよ。別に宗教教義が書いてあるわけでもないし、拝み方やらあがめ方、生き方を規定しているもんじゃない。神話だよ神話。大体、古事記日本書紀に出てくる「神」なんて、おおよそろくなことしてねーだろ。鳥の真似してセックスして死んでゾンビになっておっかけっこしてろくでなしの子供つくって岩屋にこもって人間迷惑かけて裸で踊り狂って酒飲んで酔っ払って……なあ。どこをどうあがめろっつーんだw

しかし、そこには一定の「信仰」の姿や概念は描かれていなくもない。超越的な神のいない世界豊富な水に守られた農耕民らしい「清め/穢れ」の概念を基盤に、あらゆるものが神となり、つぎつぎと生命が生まれ継がれていく世界観……みたいな、漠然とした民間信仰世界は描かれている。たぶん、そういう世界の中で、日本人はそれこそ「餃子神様にしちゃう」勢いで、信仰生活を送っていた。

それが、明治維新により「国家神道」を作ることになった。それは「(狭義の)宗教」としての「神道」だ。そのとき、これまでいい加減な神様を祀ってたあらゆる神社は、全て「日本書紀(という教典)に基づく、神としての皇室祖先祖先神を祀る神社」にすべし、となったんだ。その後、「皇室に対して大変貢献した存在を神とする神社までは許す」ということになった。靖国神社ができたのは、その流れってわけだ。この新しい宗教国家神道」観に基づく神社の再編つーのは、明治のはじめの結構とてつもない作業で、由緒ある餃子神社のたぐいはこの時期あらかた「再編」の名の下にぶっ壊されたり、拝んでた神様を変えられたりした。それは知っておくべきだよ。

から、今ある「(明治国家神道から生まれた、宗教としての)神道」と、もともとの意味での「(日本人信仰としての)神道」とを、あまりごっちゃにしない方がいい。明治にできた国家神道観点からは「餃子神社」なんて邪教は認められないし、「(狭義の)宗教であるところの「国家神道」としての神社には、当然ちゃんと教義教典があって拝むべき対象は規定されているのさ。

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