2011-03-05

京大カンニング事件と受験オッサン達

カンニング事件の報道が気持ち悪い。京大の問題を、試験中に携帯を使って、よりにもよって知恵袋なんぞで質問するというところが面白いのは分かるのだが受験生本人やその周囲に関する個人的な情報がここまで報道されなければならない理由は僕にはよく分からない。ということは、僕にはよく分からないが、報道機関にはよく分かる理由が何かあるということだ。それはなにか。

仮説を一つ。一般論として、ある「価値」が自分にあると信じている人間は、その価値をあまねく必要不可欠のものと考える傾向が強い。「コミュニケーション能力」が必要不可欠だと考えるのは実際に「コミュニケーション能力」が自分にあると信じている人間であるし、「人間力」が必要不可欠だと考えるは実際に「人間力」が自分にあると信じている人間である。この傾向は自分の持っている価値を必要不可欠なものとすることで、その価値をさらに高めようとする意図に基づいている。

さて、受験戦争がもっとも激しかった1970年前後受験生だった人達は今大体55〜65歳である。彼らを便宜的に受験オッサン達と呼ぼう。受験オッサンにとっての「価値」として、「凄絶な受験戦争経験した」というものがあるのではないだろうか。その頃の受験に「勝った」受験オッサンは「凄絶な受験戦争で勝ち抜いてきた」という価値を必要不可欠のものと考えるだろう。「負けた」受験オッサンであっても、いや、負けた受験オッサンであるが故に、「受験戦争経験した」という価値にこだわらずにはいられないであろう。どちらにしても受験オッサンは「受験」を神聖なる価値とみなさずにはいられないのである

ここに一人の少年が現れた。彼は受験オッサンには想像もつかない手段で「受験」というシステムをくぐりぬけようとした。これは受験オッサン達にとって単なる不正行為ではない。受験オッサンのアイデンティティである受験」という価値を揺らがせる行為であるアイデンティティが揺らぐと人は不安を覚える。不安を覚えた者は原因の追究に走る。これが単なる追い詰められた受験生カンニングであるはずはない。何か原因があるはずだ。その受験生人間性か、家庭環境か、学校が悪いのか。報道機関の偉い人になっている受験オッサン達は、彼のプライバシーを暴くための力には事欠かない。かくして、その受験生プライバシー受験オッサンのアイデンティティの奪還のために消費される。

というシナリオを考えたのですが、いかがでしょうか。個人的には、受験生自殺する前に(逮捕という形になったにせよ)保護されたのは良かったと思います。やったことは許されることじゃあないですが、死ぬほどのことじゃあない。あと、もう一つ個人的な興味としては、偽計業務妨害の「業務」の範囲が気になります。「不正行為があったときに原因を調査するところまで業務の範囲だ」という論法が成り立つならば、今回の件は別に業務妨害にはならない可能性がある。もちろん、そんな大学に過度の負担を強いる論法が成り立つはずはないとは思うんですが。

  • 入試関連には判例がいくつもあって、 「入試のような大規模なテストは業務」 「カンニングは妨害行為の扱い」 は判例として定着しているので、揺らぐ余地がないでしょう。

  • まぁ、替え玉受験に関わった学生が有印私文書偽造で逮捕されてたり、 以前から話題にならなかっただけで、罪には問われてるよね。 今回はマスコミが騒いだことだけが特別であって、...

  • 揺らぐ余地があるとしたら、 「業務妨害にあたるけど偽計とは言えない」って判決が出る可能性じゃないかなあ。 そんな前例ないけど。 業務妨害は「偽計」と「威力」にしか刑事罰が...

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