はてなキーワード: mp3プレーヤーとは
世の中には、
という人が多いので、ほとんどの人はiPhoneは「電話」としては劣っている、と勘違いをしている。しかし、それは間違いだ。
「電話を使うことが主な仕事」という人で、受話器や携帯電話を手に持って使っている人はいない。みなマイク付きのヘッドホン(ヘッドセット)を使用している。両手が自由になること、相手の声を両耳で聞くことは、電話の快適さを大幅にひきあげるからだ。携帯会社も、もちろんそれはわかっていて、オプション製品としてヘッドセットを提供してはいる。しかし、それらを購入し、普段から常用している人は極めて少ない。
iPhoneの標準のイヤホンには、掛けたときにちょうど口になるあたりにリモコンがあるのだが、実はそこにはマイクが内蔵されている。iPhoneは、追加で何も購入することなく「ヘッドセットでの電話」ができるようになっているのだ。しかもiPhoneはiPodでもあるので、「常にイヤホンをつけて携帯する」ことにたいする心理的な抵抗が極めて少ない。
iPodで音楽を聴いているときに電話がかかってくる(誰からからの電話かは呼び出し音で分かる)。リモコンを一回クリックすることで通話を開始する。終わったら、再びリモコンのクリックでiPodにもどる。この間、iPhoneは胸のポケットに入れたまま。
この快適さは一度味わってしまうと、もう普通の携帯電話には戻れない。
国内の携帯会社は、iPhoneをただの「スマートフォン」だとあなどってはいけない。ただちにやらないといけないことが一つある。MP3プレーヤーとしての利便性を高め、マイク付きのイヤホンを標準添付とすることだ。そうしないと「電話」としての市場もiPhoneにとられてしまうだろう。
解決方法
サンヨーのXactyとかだとズーム機能があって高画質なのでオヌヌメ
場所と日時がわかるように記載してアップすれば、鬼母たちが特定してくれてアボンしてくれる
ちなみに少年を殴った時点で傷害罪適用。青少年保護育成条例違反でも引っ張れる。
ただし6ヶ月が時効。
とにかくだ、そういう場面にあったら、動画カメラで撮影すること。これ必須な。
物損で刑事裁判で求刑懲役1年(おそらく執行猶予の前科持ちになる)してもらって、民事裁判で精神的被害の慰謝料と物損による弁償を請求(50万くらいかな)。勝てば裁判費用は相手持ちになる。
ちなみに肖像権うんぬんというのは、その肖像をもって金銭他利益をあげている人が本来受け取るべき報酬が得られない場合に金銭的報酬を求めて裁判を起こす。
精神的被害がどうのこうのといっても、根拠となる論拠が崩れるので、裁判にならない。
絶対してはいけないことは手を出すこと。
とにかく殴られるなら勝ち。
あと、音声だけでも有力な証拠にもなる。
今では音声録音できるMP3プレーヤーがあるから、常時持っているといい。
勝負のときは必ず録音ONな。
いっそ転職したらなおるのだろうか。鬱って。
http://anond.hatelabo.jp/20090712003205
負担ではないのです。
うれしいなど、とんでもない。
ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20090712172113
天野月子とか久しく聞いてません。博士と孔雀が聞きたくなりました。
しかし、MP3プレーヤーの中身を入れるためのPCは調子が悪く、
身近な人様にはあまり聞かせられない感じのごちゃ混ぜ感です。
そうなのです、人生長いのです。でも、せめて三年は生きようかな、というくらいの意識しかないです。
>甘い物だとどーゆーのがいいですか?
>風俗
なんか、自分の遺伝子が入ると障害を持って生まれてきそうなきがして…。
障害を持っている人が不幸だとはいわないけれど、
やっぱり周りは大変なのだなと小学生のときの特別学級を見て思ってるので。
>ところで、本ってどういう種類?小説?新書?教科書?絵本?自伝?
自分と同じようにSEをしながら作家さんになった人とかは、どういった生活をしていたんだろう。
すごいなあ。
明日もがんばらなきゃ。
がんばろう…。
あーごめん、気づくの遅れた!
解説した記事があったので、
http://plaza.rakuten.co.jp/ippindou/diary/200607070004/
こっちまず見てね。
>>AMラジオと言うのは技術レベルは低いのですが、一旦電波を取り込むとノイズを多く発します。
>>携帯電話やMP3プレーヤーの中に組み込むと、一番重要な電話や音楽再生の機能に悪影響を与えてしまうので、回路設計がすごく難しくなるのです。
>>つまり作っては試してやり直し、ノイズをシールドしたりなどと言った試作の連続でしょう。
で。上の記事でのアンテナ問題というのは、現在は解消されていて(性能の良いバーアンテナできてるので)比較大丈夫なのです。これはワンセグの普及でアンテナ技術が高まったお陰。
問題が大きいのは、やっぱりノイズの話。
ここからは主にラジオ側から見た話になるんだけど、
特にノイズの発生源として多い、いわゆる電源ユニットっていうのが、特に相性が悪いわけです。
で、携帯電話にしても、音楽プレーヤーにしても、バッテリーを内蔵する関係上、ノイズ源とAMラジオのバーアンテナをほぼ隣接させないといけなくなる。
それこそラジデンは携帯電話部分にガンガンシールド貼って、なんとかバーアンテナへの干渉を抑えたんだけど、やっぱり感度はよくないのね。サイズも普通の携帯電話よりでかいし。
http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/10/post_3563.html
トークマスターに関しては、独自技術でシールドを効率よくやってるみたいなんだけど、やっぱりサイズはそれなりに大きいんだよね。
で、iPodとかみたいに、中身開けてみればビッチリ中身詰まっている機器だと、そこにシールド入れて、アンテナと電源ユニット離してってやると、大体2倍くらいの大きさになって、実際の携帯性がなくなるんだよね…。
さらに手間の分本体の価格も上がるわけで、各社試行錯誤しなきゃいけない開発費上乗せすると、そんだけしてAMラジオ内蔵iPodとか買う人はいないだろうという判断なんだよね。
3行まとめ
●携帯電話やiPodなんかのバッテリーとAMラジオの相性が悪い
●そこまでの手間掛けて開発しても買う人がいない
PSPの競合相手は実はNDSではなく iPod Touch なのかもしれない。最近 iPod nano を壊してしまい、代わりのMP3プレーヤーとしてPSPを持ち歩いてみて、そう思った。
どちらも写真、動画が見れてウェブブラウズが出来て音楽も聴ける。PSPはそれに加えてゲームができ、ネットラジオが聞けて、最新型ならワンセグを見て録画する事だって出来る。これだけみればPSPの方が iPod Touch よりもよほど高性能だ。
しかしPSPの惜しむべきところは、あくまで自身はゲーム機というところにコンセプトを置きすぎてしまい、本来なら魅力的であるはずのこれらメディアプレーヤーとしての機能を煮詰める事がおざなりになっている点だ。最近になってようやく Sony からパソコンとPSPをデータシンクさせるソフトが出たという怠慢ぶりからしても、この点がよく分かるだろう。
もう一つ惜しむべき点は、もしPSPがNDSとの競争を考えず最初からポータブルメディアプレーヤーという点に的を絞って展開していたなら、 iPod Touch が出てくる前にそれなりの地位を確立できていたであろう事だ。しかし時は遅い。もう iPod Touch は市場に放たれてしまった。
PSPと iPod Touch とのポータブルメディアプレーヤーとしての戦いは、まず間違いなく iPod Touch が勝つだろう。PSPはメディアプレーヤーとしては致命的な容量不足という問題を抱えている。 iPod Touch の容量も十分と言えるものではないが、かたや最大2GBのPSPとエントリーモデルであっても8GBの iPod Touch 。それに加えて、 iPod Touch にはAppleの開発者達が考え抜いたコンセプトに基づいたインターフェイスがある。どちらに分があるかは火を見るより明らかだ。
最後が上手く纏まらないが、頑張ってくれ、PSP。
http://anond.hatelabo.jp/20070924231846
著作物の流通、対価の支払いなどにいろいろと問題が起きている。PC関連機器の発達が著作物の流通過程に生じるコストを大幅に現象させたからである。著作物をなにか形のある商品として流通させることが困難になった今、著作物の概念の見直しが迫られているのではないか。
この文章では、著作物とは「誰が」、「何を」(、「誰に」)伝えたかが重要であると主張してみる。例えば、ゴッホが描いた「モナリザの微笑み」には価値があっても、私が描いた「モナリザの微笑み」には価値が認められないだろう。ビートルズが歌うイエスタデイは、私がカラオケで歌うイエスタデイとは違う。
録音物はあくまでも録音物。MP3プレーヤーがどんなにがんばろうと、歌い手も聞き手もそこには存在しない。録音物を聞く限り、自分はそれを横から聞いている第三者でしかない。
言い替えれば、現行のインターネット上における著作物の流通は中身だけが先行し、その中身を伝える人が見えない。これは表現の世界においてものすごく損をしているのではないか。J-POPの歌詞がどれだけ愛を叫んでいても、それをCDプレーヤーで聞いている限り、その伝えたい内容はあくまでも他人ごとでしかない。つき合っている彼女が私に「愛している」と言えば感動するが、スペースシャワーTV(歌や音楽の専門チャンネル)などで「愛してるぅ」といったフレーズを百万回聞いても感動しない。
つまり、メディアの流通はあくまでデモであり、そのアーティストが自分という個に向けて発信(すなわち、聞き手が共感)したときに初めて大きな価値が発生すると考える。そのアーティストが使った表現を他人が単にパクるだけでは単なる劣化コピーでしかなく、アイディアを拝借するにしても、それが作品として認められるにはより高度な洗練が要求される。
本文章の問題点: