はてなキーワード: 著作物とは
最近のYoutubeにはPCに接続したWebカムの映像をキャプチャしてアップロードする機能がついたんだね。さらに、携帯電話から動画をアップロードする機能もいつのまにかついてる。ということは、
が実現すれば、野外からの動画アップロードなども行われるようになるんじゃないかな。
一億総なんちゃって報道カメラマン時代が到来するかもしれない。
個人撮影の動画コンテンツが現在さかんな既存の著作物のアップロードを凌駕することはないだろうが、動画共有サービスが保有するデータ内訳をあらわす円グラフの数十パーセントを占めるようにはなるだろう。
ITmedia News:「面白くないものが面白くなる」 ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の価値 (1/2)
本当に、面白くないものが面白くなっているのだろうか。
「動画に対する“突っ込み”が生まれて、突っ込んだ人に対してさらに突っ込む人も現れ――どんどん段階が増えていく。盛り上がり所の前に、『みなさんご一緒に』『数秒後にすごいの来ます』と指示する人が現れ、数秒後にみんなで一斉に書き込んだり。滑舌が悪い人のせりふを解説する人もいる」
画面上では「こんなのつまらない」「いや面白い」と言い争いも起き、それを仲裁する人も現れる。前の人のコメントを見た上で新しいコメントが入るので、コミュニケーションがどんどん深化していく。コメントは最新200件しか表示されないので、深すぎて何が起きているか分からない――というところまでは行きにくい。
「テレビだと『職業:ボケ』『職業:ツッコミ』の人がいて、突っ込んだ時点で初めてそこが面白いと分かり、テロップで『ここが笑う所だよ』と教える。ニコニコ動画は、テレビとしての完成品の上にさらに『ここが面白いんだよ』とやる」
「YouTubeは、他の著作権者の著作物をそのまま劣化させ、広告モデルにしようとしている。それはそれでビジネスと思うけれど、元の作品の権利の奪い合いになっているような状態。そこはあまりやりたくない。YouTube上の素材にユーザーが突っ込むことで新しい価値が生まれていると思うので、その部分を売りにしたい」
ITmedia News:「面白くないものが面白くなる」 ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の価値 (2/2)
「でも、すでにYouTubeなりAmebaVisionに動画が載ってしまっていて、そこに載った映像は、権利者にとっては何の収益のもならない。だから新しい価値をぼくらが加えた上で、何かうまく収益になる形を作るという方がいいのではないか」
最終的には、テレビ画面に対してリアルタイムに突っ込み合える環境ができれば面白いと、個人的には考えている。2chの実況板の映像付き、といったイメージ。
はてなブックマーク「注目の動画」とそこでのはてブコメントの関係に似てなくもない。が、ニコニコ動画のコメントの嵐は罵詈雑言だらけで内容がアホすぎる感がある。増田の皆さんどう思いますか?
http://anond.hatelabo.jp/20070127100937
著作権法第32条の引用については、かつてマッド・アマノのパロディ事件で最高裁が示した「引用の原則」がある。
これが満たされていれば、全文であっても引用できる(旧著作権法では「一部を引用できる」とあったのが、「一部」が削除されたところから導かれる解釈)。((ただし、これはパロディ作品に対して訴えられた被告が「引用の一種だ」と言ったという、真っ向からの引用を取り上げた事件ではない。引用がらみなら、最近の小林よしのり「反ゴーマニズム宣言事件」の方が適切か))
ちなみに、新聞記事などであっても、死亡記事や気象情報といった誰が書いても同じになるようなもの以外の報道については、著作物性が認められている。ブログのエントリについても、独自の意見や独創性がある限り、こんな駄エントリであろうが著作物性は認められている。2chのニュース系板のように、>>1に他のサイトの本文しかのっけていないようなものは、上記3を満たしていないから当然著作権法違反である。ただし、著作権法違反のこの部分は親告罪であり、著作権者が告訴しない限り刑法に問われることはないし、民事上の損害賠償請求も受けない((winny事件はAdobeの告訴があったことを考えよ)。
以下、「ニュース記事転載系ブログサイトを読むと憎いし苦痛だ」(アホ理系青年の主張??窓野マサミ☆アホージャーナル??より)からの引用である。
最近、ニュース記事をまるまる載せちゃったようなブログ系サイトが量産されているような気がする。多分、なんらかのテンプレートなり、カラクリがあるんだろうけど。
どこまでを引用と言い、どこまでを転載と呼ぶのかはしらんが、ニュース記事をまるまる載せちゃったら、転載になっちゃってまずいんじゃないのかなあと思う。
サイトはつぶれていないが、去年こんな問題が起こったのを覚えているだろうか?
これは、Livedoor PJニュースに掲載された「アキバにはセーラー服で行くべからず!?」という記事(現在は削除されているが、リンク先に飛べば見られる)が、「『セーラー服』をカメラが取り囲む。実はただの女子高生」(アキバBlogより)と非常に酷似していたことから、Livedoor PJニュース側にコピー疑惑がかけられた、という問題である。この問題のポイントは、引用元や関連リンクとしてではなく、文章中の「秋葉原」という単語にアキバBlogへのリンクが張られていたということである。それで引用したことになるのだろうか?著作権法の中から調べてみた。
(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
(出所の明示)(引用と関わる部分以外は割愛)
第四十八条 次の各号に掲げる場合には、当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。
三 第三十二条の規定により著作物を複製以外の方法により利用する場合
2 前項の出所の明示に当たつては、これに伴い著作者名が明らかになる場合及び当該著作物が無名のものである場合を除き、当該著作物につき表示されている著作者名を示さなければならない。
「ネットのエントリに著作権はあるのか?」と言われればなかなか答えに苦しむ部分があるのだが、もしもネット上の記事ひとつひとつに著作権が与えられるのなら、Livedoor PJニュースは違法行為を犯したということになる。しかし、
(著作物の例示)
という条文を見る限り、残念ながらネット上の速報記事には、法的な意味での著作権は存在しないことになる(まあ、だからこそ2chコピペブログは存在していられるのであるが)。
しかし、著作権が存在しないことをたてにしたweb上での転載が横行すれば、独自性のあるブログを作ろうという野心を持ったブロガーが減少してしまわないか不安になる。現に、2chコピペブログやここはてな匿名ダイアリーにおいても、無断転載と思われる記事が結構多いのだ。無断転載をされた側は糾弾するすべがなく、無断転載をする側は何も考えずにブログのエントリやニュース記事を作製できてしまうことになる。これがネット上での議論をより質の低いものにすることは、目に見えている。よりよいネットでの議論を維持し再構築するためにも、「引用」を正しく用いてくださるよう、私から皆様にご協力をお願いしたい。
http://d.hatena.ne.jp/Hamachiya2/20070114/ha_url_janaiyo_poem_dayo_hi_konnnichiha
URLって住所みたいなものでしょ。で、URLを作成するっていうのはいわば自分が大家でマンション名をつけるみたいなものだと思うんだ。「メゾン山の彼方の空遠く」とか「幸い住むと人のいうハイツ」とかマンションに名前をつけて、地図会社に「このマンション名は自分の作ったポエムで著作権は自分にある。勝手に地図に載せるな」といって通るのかなということ。
あるいは、図書館戦争という本があって、私は読んだことがないんだけど、これは確か各章の題をつなげるとひとつの宣言文になるんだよね。仮にこの本が章ごとに一冊ずつ出ていたとして、「題をつなげた宣言文は私の著作物である。それを勝手に転載してはいけない」といっても、タイトルに関しては著作権は限定的にしか適用されないからそれはどうなのとか。(今ちょっと調べたら図書館戦争の章題は実在の宣言からとってきたものなのかな? まあこのたとえ自体なんか本筋からずれちゃってるしそこら辺は適当に読み替えてということで。)
ちなみにこの日記のタイトル部分に含まれるリンクのURLが日付止まりなのは文字数制限に引っかかったから。決して他意はないよ。って、はっ!! まさかそれがはまちちゃんの陰謀だったのか!? タイトル中にリンクを張っていたのを、本文中にURL直書きに変更しました。
ということは他所のサイトに勝手にリンクすることは著作権法における同一性保持権の侵害に当たる。
他人の著作物に手を加える行為になるからだ。
参照先(リンクされた側)は何一つ変わってなくね?
ここでいうリンクはimgやiframeは勿論aも含む。
imgやiframeが良くないということは分かりやすい。視覚的に変化をもたらすからだ。
しかしaは視覚的に変化をもたらさないが故に分かりづらい。
imgやiframeだろうがaだろうがリンクされた側は何一つ視覚的とやらには変化なし。
っつーか視覚的ってのは何に対して?リンクした側?された側?それ以外の何かの概念?
とはいえ、ちょっと考えてほしい。
おk
単に参照すぎないaを何故リンクと呼ぶのだろうか。
そこに目には見えない繋がりを閲覧者に抱かせるからではないだろうか。
目に見えるものが全てではない。視覚的に変化させないからといって、手を加えていないわけでないのだ。
リンク元とすればリンクしているのだから繋がりはあるね。でも、リンク先に手は加えてないよね?
「あそこに、ほげほげがありますよー」
って言ったからって「ほげほげ」ってものは変わらんよ。
目に見えるものだけで判断してしまう逆盲目的といもいえる意見なのだ。
閲覧者の心象に変化を与える、これは立派に著作物に手を加える行為だ。
めんどくさいのでやめ。