はてなキーワード: 棲み分けとは
同人誌に関心をある方なら10月中旬以降にこの話を聞かなかった人は少ないでしょう。要約しますと、「なんらかの理由」により都の会場運営側が特定の成人向け同人誌即売会の内容について問題を感じて、それ以降会場を提供するのを取り止めました。しかしその後、事の顛末が新聞で「都施設」「ポルノ漫画即売会」「過去6回開催」などという見出しで公表されてしまい、問題は一気に悪化。それまでは特定の同人誌即売会を廻る問題だったのですが、「ポルノ」等と言った表現が振りまわれた結果「不謹慎な都の公共設備の運用は不適当」というような考え方を匂わせるような基準で各種の成人向けイベントへの風当たりが一気に悪くなり、いくつかのイベントは即売会主催者側の判断の元でサークル側に自粛を促がすかの如くの語調やイベント自体の形態を変化させたり、はたまた開催を取り止める例まで発生してしまいました。
基本的にはどのイベントも「法令に準じた出版物以外を禁止」や「未成年者に対する配慮を気をつけて下さい」と予めに注意事項に書き記していましたが、「ポルノ」とかの単語が軽はずみに振り回せれた結果、特定のイベントに対して非常に厳しい眼差しが内外から向けられ、これが多大な影響を起こしたと言えるのではないでしょうか。
法令に準じているかどうこうではなく、同人誌の中に社会悪と結び付けられる「ポルノ」があるというのが一人歩きしたが為にさらに状況は悪化したといえるのでしょう。事実その後に都の会場運営側も「成人向けの作品の販売自体を禁止するわけではないが、主催者側に法令順守の徹底を求めていく」と談話を新聞に載せているわけですから、同人誌の内容がどうこうというより「世論を意識した反射神経的行動」が色々目立った事の顛末という印象がぬぐいきれません。
主催者側も会場運営側もより多くの話し合いを進め、相互理解を深めることで必要以上に状況を悪化させないようにする必要があると思います。信頼関係がしっかりしていれば、外因性の迷惑や干渉が発生しても適時に冷静にそれに対応できるのではないでしょうか。一夜にしてこれが成り立つとは思っていませんし、このようなノウハウは簡単に取得できるものではないのも充分わかりますが、今回の事件の悲劇を繰り返させない為にも念頭に入れないと駄目ではないかと思います。
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自分は20年近く同人誌を見てきているのですが、とにかく悲しかったのが、こういった隙間的イベントに作品の発表と交流の場を依存していたサークル活動へのひどい逆風となってしまったことです。
大きな同人誌即売会でも様々な活動は可能ですし、ネットでの交流も現在のところ可能です。しかし隙間的イベントにはそれ自体に大きな魅力もあるのです。大きなイベントではやりとりが難しくなりますし、なによりもまったりとした交流はほぼ不可能です。物理的同じ場所にいることで成り立つ対話や新たな作品との偶発的な出会いはネットでの交流とは異なります。どちらが良いという話ではなく、オンライン・オフライン、両方の交流が大事なのです。
そもそもこう言った隙間的イベントにおける創作活動はその他の表現の発表の場ではどうにも目立ちにくく、埋もれがちになりやすい側面があります。同人誌委託販売書店において先鋭的な作品は取扱にくいこともある現状がありますから、小規模オンリーイベントには他では日の目を見ない作品の為に発表の場を提供すると言うはっきりとした意義があります。
「少女に対する性行為や猟奇的な描写などを売り物にしたコミック」が販売されていると新聞で書き叩かれた件のイベントでも女性サークルさんも結構の数が参加していて、やおいとかショタとかの区分けとは別の個性的な女性らしい作品が見れる数少ない場所の一つでした。「過激すぎたから叩かれたのだ」と言うのは簡単ですが、その乱暴な思考の元で様々な貴重な芽が潰されていくのも事実だと私は信じて止みません。
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しかし今回の一件を振り返って思うことの一つは現在の同人誌に携わっている方々はどこまで「ニッチ(少数派・特殊趣向)である事の覚悟」の必要性を自覚しているのだろうかという事です。
今回は美少女系男性向け創作が槍玉に挙げられましたが、実際には「パロディ」も「やおい」も「同人誌と言う概念」自体もまだまだ世間一般では広く認知されているわけではなく、非寛容な意見の元で吊るし上げが行なわれないという可能性は否定できません。『電車男』やアキバ系という単語がマスコミの間でもてはやされる最中において、なかなか気付きにくいかもしれません。しかしマスコミを通して焦点を当てられている「萌え」の概念とその取扱については日本国内の中でかなりの隔たりがあるということです。要は明日は我が身にも、と言う可能性があると言う事です。
しかし同時にもし自分たちの趣向が特殊でありことを認識し、それをより確実に守る姿勢を打ち出せれば、今回の事態もこれほど悪化しなかったのではないかと頭を傾げます。内容がどうこうではなく、その内容はどうすればより拒絶反応を避けられるような形態で守るのかを可能にする姿勢です。
そもそも16年前、1991年2月25日の新聞の見出しに「大手含む書店摘発:わいせつ漫画の販売容疑」や「正規のルートに乗っていない本」と書き立てられ、日本の成年向け同人誌は非常に苛烈な冬の時代を味わった過去があります。その時にもはっきりした事は、規模が大きくなるにつれ少数の間で楽しんでいた物事がより厳密に公然と精査されるようになり、異なる基準が衝突する時、重大トラブルが発生しやすいという事ではないでしょうか。
あの時の教訓や同人誌の立ち位置を廻る議論が現在おざなりになっているのではないか、と感じて禁じ得ません。
古来同人誌は私的領域の延長線上にあり、同じ趣向の人間同士でやりとりするのが基礎でした。だから「同人誌」だったのです。しかし同人誌書店の台頭とインターネットの登場によって私的領域と公的領域の交叉が激しくなり、棲み分けが以前のように機能しなくなったのではないでしょうか。そもそも現在において同人誌と商業誌の棲み分けの概念を意識の議論が希薄になっているのではないかと危惧します。これはこの両者間の問題だけではなく、同人誌創作者やそれに携わる方々の「覚悟」に影響することと思います。
なぜその作品を同人誌で送り出すのか。何のために同人誌活動を続けるのか。これらはそれぞれ自分で答えを見つけなければいけないと思います。一番怖いことは周りの流れに身を任せるままに居るといつのまにか自分では対処できない状況になりかねないと言う事を意識する必要があると思います。
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最後に自分にとってもっとも大事なことは、規制の対象だからといってそれを「悪」とは限らない事です。創作物を「害悪」と決め付けるのは人間です。人間の主観によって成り立つ価値判断であり、絶対ではないのです。これから先、何があろうともそれだけは忘れずにいたいものです。
作者自ら閲覧数に関していろいろ書くのはどうなのかなぁ。
そんなものはどうでもいい作成者と閲覧者の集団に
棲み分けができればなぁ。
過度に意識すると、
そういう方向に行ってしまうんではなかろうか。
作られたムーブメントもどきには強い違和感を覚えざるを得ない。
# 俗に言う祭りの一種かもわからんが。
順調にページビューが伸びていったわけだけど、
ニュームーンやわに洗いに比べて、
あそこまで閲覧数に差が出る
ほど、出来に大きなレベルの違いがあったとは思えないんだよな
(熱帯魚が悪いとかじゃなく、過去の作品のレベルも高いってこと)。
つまるところ、あんま参考にならんのだよな、閲覧数は。
が、自分のなかで最近ますますかぶってきたんだけど、
動画見た。長ぇょ。
ニコニコはたまに見る程度。
2chでの実況板生活はそれなりに長い(分割前から)。
そのうち適度にすみわけ(実況でも人気のある番組なら特定の人向けのスレがいくつか立つ)ができていくんじゃないかな。
棲み分けができるようになればマナーがどうのこうの言わなくてもよくなっていくような気がする。
腐女子云々は別にしても。
今のニコニコは棲み分けができてないから一本の動画にみんな集まってコメントしちゃって、どうしても見えてしまう不快なコメントが、各人のスルー力の閾値を超えやすいんだと思う。
棲み分けができれば趣味の近い人のコメントが目に付きやすくなって、相対的に不快なコメントは目に付きにくくなるんじゃないだろうか。
現状では、不快なコメントを一切見たくない!というならコメント非表示にするしかないけど。
システム的な面で、2chブラウザのNGワードとかIDあぼーんみたいなことができるようになれば、よりいっそう不快なコメントを目にしなくて済むようになるのにね。
目がしょぼしょぼしてきた。眠い。
スカートを履いた男性とかいたし、道端でラジコンカーを走らせてたり、こっそり芸能人とか来てたらしいけど誰も反応しない。裏には電子街があって、表には萌え系の本屋やAVショップがあって駅の近くには家電量販店があって、わりとどこも競争せず、なんのための街だとかそういうことを主張することはなかった。
観光客が押し寄せてきて、道を歩いてるだけで笑われる人なんかもいたけど。
「昔のまんまだー! 安心したー」と電子街の店にやって来ちゃあにこにこと笑ってくれる人もいた、中には道歩いてるだけで水商売の女みたいに見るようなのもいたけど、メイド店とか聞く人はカップルだったりお歳が上のご夫婦だったり、若い兄ちゃんは場所を聞いたあと、もごもごっと口ごもって言い訳してたりした。「よく聞かれますよ」と言ってあげたがちょっと失敗した。
やっぱりなんか混沌みたいになって、あまりなんの街という気がしなかった。
メイドさんたちの顔のレベルが高くなったということは歴然とした変化か。
別にそれ自体が悪いわけじゃないけど正直あんまり増殖して欲しくない。
今はそこに行かなくなったんだが、まあ今もやっぱりどっちつかずの街だと思う。
やっぱりちょっとずつ、淘汰がどうだという話が出てくるんだけど、なんとなくそれも長いうちにうやむやになって流れてしまうんでないかと思ってる。
今はまた、人も減って、余所でだと笑われる人らもまた戻って来てるだろうか。
紙袋いっぱい下げてたり、珍妙な格好してたり、ただ女が増えちゃったのだけはちょっと減りにくいかもしれないけど。それも街の一部として織り込まれて、どうしても駄目なら棲み分けしたりするんだろうかね。
俺がニコニコ動画をなんでこんなに楽しめているのか、というのを分析していったら
・地上波放送とのタイムラグがない(見逃した回をニコニコで補完→次回は地上波で、ということが可能)
・観たいと思ったときにすぐ観られる(店舗に行くためにシャワー浴びて、着替えて、車出して……という手順を踏む必要がなく、また「店舗にあるのに貸し出し中」というような非常にイライラする状況もなく、ようつべよりも圧倒的にサーバーが軽いのでさっとキャッシュが貯まる)
の二点が導き出された。
・視聴本数制限なしの月定額制契約
・アニメーションとドラマは地上波放送直後から即視聴可能(パッケージメディアとは画質・音質・コメンタリー・映像特典などで差異化)
・映画はパッケージメディアの発売と同時にレンタル開始(これもコメンタリー・特典などで差異化)
問題としては
・CDレンタルには店舗方経営がまだ必要(DLモデルのネット音楽配信はレンタルCDの代替になりうるのか?)→ビデオ・DVDなしでCDレンタルだけで店舗経営が成り立つのか? その点では不便になりそう
というものが考えられる。
「ストリーミング配信でもDLして無料で楽しむ人間がいるのでは?」という疑問には、「記録媒体を買うにも結構な金がかかるんだから、オフライン保存にも限界がある」と答えたい。実際、ニコ動のお気に入り動画(いつ消えるか分からない)を逐一DLしている人間がどれだけいるのだろうか。
……こんな感じ。
この環境が整えば、
・正規の映像作品→有料配信で観る
家賃高そう =ω=. とか思ってしまった。
九州の方でしたか。…だよね、地元の人だったらとっくに慣れてるはずだもんね。
時間によって違う街になるから、そういう「棲み分け」は必要かもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20070426022959
まったくそのとおり。
別にセカンドライフが新しいものじゃないと思っているから。
僕たちは10年以上前から3D空間でのインターフェースとかコミュニティ形成とか商売ということにチャレンジしてきた。
http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/970331/machiko.htm
http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/970203/chat.htm
その頃に冷淡だったのはむしろあんたらマーケティングの方々とか一般層じゃないか。
というか存在を知らなかったんだろうけど。
それから10年たって、こちらから見ると何も変わっていないように見えるものが、急にブレイクしたというだけの理由で、新しいといわれている。技術的に同じものが、社会的に見て違うから熱狂するなんてことは、IT技術者の本分じゃないから冷淡で当たり前だ。
ビデオオンデマンドが1994年頃登場し、米国のオランドで実験が開始された時には、惨めな失敗に終わりました。当時、情報スーパーハイウエーは幻想であり回線が細く、写真すらまともに見られないインターネットと呼ばれる脆弱なネットワークだけが、わずかに実現していました。
僕らはその頃にNetNewsでエロ画像を収集していた。95年になるとそれはもうWebに移行して動画もダウンロード可能な状態になっていた。
普通の人たちは何も知らなかった。Webを見たこともなく大容量HDDを使ったこともない人には、電話回線を使ってビデオがリアルタイムで送られてくることしか想像できず、それが正しい未来だと(技術屋以外の)みんなが思っていたんだろう。
でもその頃、僕らはWebとNetNewsとRealPlayerみたいなストリーミングとメールがどう棲み分けされていくのかを考えていた。
今回もそうだろ。
たまたま目の前に現れたセカンドライフというソフトがアバターベースだからといってどうしてアバターが主流になると思うのか。それはこいつらがセカンドライフしか知らないからだ。
アブノーマルな趣味を持つ者は、それを発言する前に、それを発言する場であるかどうかをわきまえるものだし、そうするべきだ。
趣味を持つのは自由だけど、それによって人様に迷惑をかけないように最低限の配慮することが、モラルだと思う。
だからスカトロ趣味の人は自然と同じ趣味の仲間が集まるところに行くだろうし、エロゲ好きはエロゲ好きで集まり、自然と棲み分けが行われる。
そして、ここからが俺の言いたいことだが、増田にはオナニーやエロゲーを発言できる土壌があるということだ。
つまり、不快感を示す人もいるだろうが、それらについて発言することは全くの場違いというわけでもないということだ。
なぜなら、それらについて割と深く言及されている記事がすでにある程度の数、存在しているからである。
すなわち、増田市民の構成にある程度、それらを語れる仲間がいて、それらを発言できる場ができているということである。
逆にスカトロの土壌はほとんど育っていない。なぜならキーワードで検索してもほとんどそれに関する記事が発見されない、つまりまだほとんど言及されていないからだ。
だからスカトロマニアはここでは全くの場違いであるし、発言しても理解を示してくれる望みは薄いから自ずと他の場所で発言するわけである。
エロについてのエントリーが割と増田に投稿されている事実は、すでにここにそれを発言できる空気ができているということの表れである。
逆に、土壌ができていないスカトロの話をしにくるような人は、よっぽど空気が読めない奴か、わざとそこに相応しくないものを持ってくる嫌がらせ目的の奴か、あるいはこれからその土壌を開拓しようとするパイオニアかのいずれかである。
パイオニアはもちろん、そこにその話題を発言できる場を作ることが目的なので、そうなる見込みのない所にわざわざ労力を割かない。
つまりパイオニアは投資家みたいなもので、その議論が育たないと予測される投資先に投資はしない。
だから結論!
たとえ世間ではどっちもどっちだと思っていたとしても、増田ではスカトロマニアとエロゲオタは全く別のものである。