はてなキーワード: 旧字体とは
梅田もっちーとダンコーガイの自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。
ま、そんなことはともかくとして、言語学を新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評と著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学のバックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家の言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。
そもそも、著者が言うような意味で日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語の歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語のフランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学の伝統が花開いた。
日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥・奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。
単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。
そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島の言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語や琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。
いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語やオランダ語は、かつてはスペイン語やドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人はドイツ語やフランス語を使っていて、アンデルセンやキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。
その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁はラジオ・テレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者や子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語が日本の言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝の米朝師匠が事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。
あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言や歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。
このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。
というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言を通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力の政治的な措置なのだ。
それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れのナショナリズム、保守反動でしかないとさえ言えるのだ。
からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧な英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。
仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズムの伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。
b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。
水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。
「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。
はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。
どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。
知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。
ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。
ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。
この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。
といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。
そんなことされたら困るよねー。
原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。
んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。
2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。
世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。
しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。
A4一枚分以上は紙で読みたい。
こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。
そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。
これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。
あ、ごめん妄想入った。
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070601023114
>ら抜き言葉使ってない?「すいません」って言ってない?方言を使ってない? すこし考えてほしい。
それはね、一口にはいえないとっても根深い問題であってね、日本語の歴史そのものと非常に関係してるわけよ。詳しくは、大野晋とか福田恆存の本なんか読めばいいんだけど、旧字旧カナを使う人はちゃんとそれぞれの理由があって排除すべきではないわけね。例えば、宗教、つまり仏典やキリスト聖書なんかは断然旧字旧仮名の古語文体で読まないと駄目って人がいるのよね。「はじめに言葉ありき」なわけで、特に新約聖書の文語訳なんかは、日本語の形成に非常に非常に大きな影響をあたえたわけ。おいらなんかも、さすがに新かなで書くけど、一部の漢字はいまだに旧字体で書くんだよ(「惡」とかね)。そういう風に覚えてきたしいまさら変えられないよ。
ただ、惜しむらくは旧字旧仮名ってのは残念ながら体系的に統一されてないんだよね。「The 日本語とその統一的な表記」ってのは残念ながら、敗戦以降にやっと確立したといっても過言ではないのよ。英語圏のやつらがシェイクスピアをそのまま読めるのと比べてなんたる無念さ(まあやつらも古英語は読めないだろうが)。だから、おいらは新字新かなを選ぶ。とくに日本語はもう日本人だけのものじゃなくて、外国人が学習している国際的な言語だから、いまの基準からなるべく変えるべきではないと思うんだよね。外国人のために。
だからさ、今「旧字旧仮名使ってるやつなんなの?」って思ったんなら、ついでにわが身を振り返って、あなたもなるべく正しい日本語表記を使うよう心がけてほしいのさ。ら抜き言葉使ってない?「すいません」って言ってない?方言を使ってない? すこし考えてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20070109073629
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
京都大学の国語入試では漢文の代わりに擬古文(江戸―明治)があるので、工学部以外は受験期に少なくとも1冊は読んで慣れておく必要がある。そこからはまれば平野化可能。
と思ったら、平野をレアモンスター
といってるのではなく、平野を読める人をレアモンスター
と言っているのか。彼の擬古文はただの擬態でしかないから簡単に読めるよ?
ついでに言うと、世の中には普段から旧字旧かなで書く一派が存在する。
■枕部削除本題剥き出しVer.
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
■ウェブで長文書いて議論してるのを見ると 改行Ver.
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。
はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。
どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。
知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。
ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。
損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり、松下幸之助も中内功もビックリな制度。
ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。
この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。
といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。
そんなことされたら困るよねー。
原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。
ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生(商社出身)もやったことあるって言ってたよ。
んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。
2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。
世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。
しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。
A4一枚分以上は紙で読みたい。
こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。
そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。
これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。
あ、ごめん妄想入った。
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり、松下幸之助も中内功もビックリな制度。ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。そんなことされたら困るよねー。原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生(商社出身)もやったことあるって言ってたよ。んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehackだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。A4一枚分以上は紙で読みたい。こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。あ、ごめん妄想入った。文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。それこそ昨年末のK-1みたいな。お前2時間でいいじゃんみたいな。ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。そんな目で見ないでお願い。それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。切ないなぁ、ああ切ない。大島弓子ばりに切ないよ。伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。非モテでわーわー言ってる人は『太陽の塔』でも読むといいよ。あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。ってかこれって物象化じゃないのか。マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。中二病といいたければ言うがいいさ。でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。どうせスルーされるんだろうなぁ。