はてなキーワード: 大槻ケンヂとは
「KERA」という雑誌の最後のページに大槻ケンヂのコラムがあるのだけど、
そこで「おしゃれは自己肯定の表れだ」みたいなことを書いてあったよ。
バンギャでオーケン好きだからかもしれないけど、すごく納得できた。
私も少し前までは全然おしゃれに興味なかった。
好きな形とか色はあっても、Tシャツに5000円以上出す気が知れなかった。
普段着は普段着、お洒落着はお洒落着、という2極化しかなかった。
何がきっかけだったのかは忘れたけど、
普段着にもお洒落要素を取り入れようと思ったら、これが結構悩むんだよね。
・オカンがジャスコで買ってくる服=自分の意思は入ってない
・自分のお金で自分で選んで買う=自分の意思が入ってる
ここが大きな違いなんだと思う。
その服やセンスの善し悪しは別問題であって、
「着る物が自分を表現していることを知る」ことが「お洒落(への第一歩)」なのだと思う。
まあ、どのくらいの数のUMAオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「UMAオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないUMAの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、UMAのことを紹介するために
紹介するべき10体を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にUMAを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、精神的に過大な負担を伴うUMAは避けたい。
あと、いくらUMAオタ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
UMA好きが『ネッシー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
UMA知識はいわゆる宇宙人的なものを除けば、川口探検隊は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「チュパカブラ以前」を濃縮しきっていて、「チュパカブラ以後」の人型UMAを決定づけたという点では
外せないんだよなあ。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なUMAについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、UMAオタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなUMA(そうUMAオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「UMAオタとしてはこの二つは“首長竜”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のUMAオタが持ってる宇宙への憧憬と、矢追純一監修のUFOオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも矢追純一的な
の二点をはじめとして、オタ好きのする特徴を有しているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「猫だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
ネガが飼い犬に噛みちぎられたことで、特徴的なしっぽの検証を行うことができなくなったこと、
大槻ケンヂが楽曲のモデルにし、と学会もねたにしたことなんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりUMAは大人の夢だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「スカイフィッシュ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このUMAに懸賞金をかける糸魚川市の思いが好きだから。
断腸の思いで賞金一億円、っていう金額が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「そもそも見つかったらUMAでなくなる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
つちのこの胴の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ただのまむしならきっちり1m40cmあるだろう。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて賞金一億円、というあたり、どうしても
「つちのこはただのまむしの見間違いと認められないオタク」としては、たとえ糸魚川市が賞金を出す気がなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。つちのこ自体のレア度と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でビッグフットを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ネッシーよりも前の段階で、UMAの存在意義とか不確かさとかはビッグフットで頂点に達していたとも言えて、
こういうUMAが人々の中で語り継がれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくUMA好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる川口探検隊でしかUMAを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
赤く光る「目」あるいは「背中の大きな翼」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「UMAは夜現れる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそモスマンは、宇宙人のペット以外ではあり得なかったとも思う。
「UMAは夜現れる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はモスマンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうただの鯉をこういうかたちでテレビに出して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9体まではあっさり決まったんだけど10体目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
チュパカブラから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なったUMAでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいUMAがいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
今では割とまともなリアボチ(リアルでボチボチ)生活を送っている自分なんだけども、まとめサイトにある加藤の独白を読んだ上で、(http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080610/1213066999)ここのエントリにある
僕と加藤は同じ年でオタクで派遣で非モテロ志向がある。大槻ケンヂではないが「(あの頃の)僕の代わりに捕まってくれた」とどうしても感じてしまう。
とか酒鬼薔薇事件に関連付けたエントリ読んだりとか、踊るダメ人間の「この世を燃やしたって一番ダメな自分が残るぜ」をこのタイミングで見て、それこそ自分が一番ダメだった中学生時代を久しぶりに思い出した。流石に殺してやろうとは思わないまでも、男女が仲良く楽しそうなクラスの奴らみんな「しねばいいのに」とか思ってたんだった。(ドラえもんの独裁スイッチが欲しかった)そんでサボテンとバントラインの映画館爆破に甘美な憧れを抱いたりしてたんだった。そんで酒鬼薔薇事件がおきた時もなんとなく嫌悪感よりはまず「ああ、分からんでもない」と思ったんだった。
はてなにも既にそういう感情を抱いたことある人たくさんエントリ書いてるし、東浩紀も書いてるけどこういう感情ってそんな異常なもんでもないのではないよね。たぶん。これを非モテと童貞と派遣での人間扱いされない怒りとかあれこれの劣等感で煮詰めてくと、誰でもああ成り得るんではないかなと思った。
「踊るダメ人間」で、大槻ケンヂはこう歌った。
「世界を燃やしても、ダメな自分が残るぜ!」と。
マイケル・ジャクソンは、こう歌った。
「まず、鏡の前の男(Man in the Mirror)から変えてみよう」と。
160 :最近風呂入ってないけど、 :2006/10/31(火) 19:32:46 ID:w586Zf1z0
ジャスラックに纏わる伝説で一番凄かったのがオーケン事件。ググると結構出てくる。
大槻ケンヂが自分のエッセイに筋少時代の曲(高円寺心中。もちろん本人作詞)の歌詞を引用したんだけど
製本後いきなりジャスラックが「知的財産権は我々にある。使用料をよこせ」って言って来て
かなり頭に来たけど事を荒立てるのもアレだから素直に支払った。
その後、印税明細が来るのだが何故かジャスラックからの印税が一円も無い。
一応、ジャスラックの名目は「中間マージンとして摂取後、アーティストに一部印税を支払う」んだから
オーケンが払った使用料の何%かは還元されなきゃいけないハズなのに1円も還って来ない。
ジャスラックに「歌詞使用料が振り込まれてるはずだろ?つか、払ったのオレ自身なんだから間違いない」と問い合わせるも
「知らない」「わからない」の一点張り。