はてなキーワード: メインストリームとは
http://anond.hatelabo.jp/20070923141352
喘ぎ声とは実にけしからん。もっと音質とか声の表情を調整できたら、、、げふん、げふん。そんなはしたない事は許しませんよ!
一時期、初音ミクの「あほの子」路線がささやかれたが、あんまり流行っていないようで、私が見る限り、昨今のメインストリームは「○○を歌わせてみた」(歌手置き換え系)、「初音ミクを描いてみる」(ドロー系)、「踊りを覚えたようです」(動画系)の三つだ。声優としてのデビューのはずが、かなりビジュアル路線でも影響を広げているのを見かける。どうやら彼女は単なる発声プログラムではなく、自由にいじくれるキャラクタ(フィギュア?)として確立してきている。
歌方面では単なる有名ソングのカバーだけに留まらず、OSTER Projectの「恋するVocaloid」や、(作者知らない)「みくみくにしてやんよ」など、初音ミク用にオリジナルキャラソンも出現している。また、ニコニコ動画という、動画メインの場所で発表されるせいか、ちょっとしたアニメーションを含む作品も数多く見られる。「おっくせんまん」や「エアーマンがたおせない」で培われた(?)アニメーション技術が今後、どのように活かされるのか期待される。
初音ミクはあまりギャグ系が多くなく、「ビッグブリッジのししとう」、「グラディウスを歌わせてみた」くらいしかめぼしいものを見つけられていない。(ちなみに、私はニコニコ動画アカウントを取らない派である。)真面目に歌っている作品がほとんどなので、お父さんも安心です。(歌の出どころがエロゲだったり、ギャルゲだったりというのは気にしない)
先のエントリで述べた「初音ミクはダッチワイフとして、市場に受け入れられたのか」に関しては、あまりそのような心配をする必要がなくなったと認識している。どちらかというとハルヒやこなたのような、どこかのアニメのヒロイン的な存在として受け入れられていると考えられる。だからこそ、「ご主人さま」とか喘ぎ声とかパンチラとかは二次創作の傍流であると私は思いたい。
で、エロいのはお父さん許しませんよ。夜中にこっそりと二人だけでなんて絶対許しません。門限は6時です。健全な交際をしてください。
http://anond.hatelabo.jp/20070725104549
このラインナップで一体自分はどんな人物像とイメージされるんだろうか…とふと思った。
よし、ちょっと想像してみる。
未読:エイリアン9、ハチミツとクローバー、銀の三角、暁星記、きみはペット、大奥、大平面の小さな罪、宇宙家族ノベヤマ、敷居の住人、
……結構多いな。まぁ多少は調べたので勘弁してくれ。
ぱっと見、中高生の並べるタイトルじゃないな。かといってあまり年寄り臭いようにも思えない。感覚的には20代半ばくらいかな? いや適当だけど。
性別は男。ちょっと理屈っぽいって言われないか? あるいは微妙な疎外感とか。対人関係もそんなに苦手じゃないけど、本当に気の合う数名の友人以外とは盛り上がりきれないとか、そういう感じの。でも、一人でいるのもそんなに苦にならなかったりするとか。仲間内での評価は「ちょっと変な奴」。
あと、マンガヲタでマンガ専門でもないな。本当の(一番夢中になっている)趣味は別にありそう。アニメよりも読書の方が好きそうな気もするが……。なんかメインストリームから若干外れたものが好きそうな気がするんだよな。音楽なら邦楽はあんま聴かないで、別に気に入ったジャンルがある感じ。
いや、根性論だよ。
そういう経営っぽい文句でいうとアドビさんはソニークライシス的「MBAの会社ごっこ」で事業コアを失いかけてるだろといいたい。
Acrobatはどうだったか。競争力があると製品展開を広げてハリボテで値を吊り上げたら他社の参入を招いてグダグダのゴミ状態。
そして今度はクリエイティブでの大型合併かと思いきやシナジーも無いまま合理化もできない状態でグダグダ。
そして時代はブラウザプラットフォームってんでライト~メインストリームユーザーは保守コストの低いオンラインアプリケーションへ。
そこでまたアポロとか手形振りだして口先介入でグダグダ。アドビのサイトに行けば一連のシステムがクズだって良く分かるだろ。とりあえず動くもの売ろうぜ。
で、オレ様の財布的にはなんでライセンス形式にしたりスイート製品買った奴の方が損するんだよふざけんなよボケがと、アップグレードの度になぜか端数のソフトのライセンスがダブつくんですけどとかいろいろ。
おかしくなったのはCS出した4年ほど前じゃないか?
内情は知らんけど。
とにかくひねくれた若者で、
さぞ音楽が好きそうにデカいヘッドホンをつけて街を歩いたり、女のヒモのような存在にあこがれて、そんな生活をしてみたりもした。とにかくマイノリティに憧れた。映画も音楽も、まあなにもかも"大衆的な"ものはダメだと思っていた。学校で会う、普通のダサい大学生のことは完全にバカにしていて、外で会う同じようなマイノリティ(のふりをしていただけかもしれない)な価値観を持つ友人と、とにかく"一般"を小馬鹿にしていた。
変わったきっかけがなんだったかはわからない。学校には行かず友人もいないため留年して現実を見たからか、まずまず長い旅行(という行為がまたかっこいいだろうと思って)をしたことかも知れない。わからないが、ある時ふと、「ああ、そんな細かいことまで、誰も見てくれてはいないんだなあ」とおもった。
どんな音楽を聞こうが、どんなアートが好きだろうが、そんなことは他人にとってはどうでもいいのだ、と。センスが良いとか悪いとか、そんなことより大切なことはあるのだなあ、と。今思えば当たり前だけど、そのころは自分の聞いている音楽や見ている映画や、そのスタイルというものに自意識を持っていたのだとおもう。なにも自信を持つものがない中で、それだけが人に認めてもらえるとおもったのかもしれない。
とにかく、「俺は特別だ」というような自意識がすっと消えた。そうしたら、なんでもできるようになった。社会復帰をして、ある組織のリーダーをやった。思ったより向いていて、1,000人の前でスピーチをする機会なども与えられた。冬になり、本屋で就職活動のコーナーにいくのも恥ずかしくなくなった。その後の就職活動も万事うまくゆき、みんなが入りたいという企業からいくつもオファーを受けた。結局、日本のド真ん中のような会社に入った。どんどん社会のメインストリームに近くなっている。これからもそう進むのだとおもう。
それでも、昔好きだった音楽や映画の好みはかわらない。家でそれらに耽溺するのも昔と変わらない。ただ、昔のようにあからさまに主張をすることはなくなった。今思うと、あのときふと気がついたのはパブリックとプライベートの区別がついた、ということなのだとおもう。それが大人になるということだと、今では思っている。まあ、若いうちからわかっている人のほうが多いんだろうけどね。
工学系と非工学系の間って、ものすごい溝があると思う。
工学系って主に既知の知識を応用したらどういうシステムができるかを考えるスタンスで、非工学系は既知のシステムの仕組みを調べるっていうスタンスだと思う。
メインストリームとしては要は正反対に近いわけで。
大学の学部を選ぶ時に興味とかが大きく作用すると思うけど、工学系に進むか、非工学系に進むかは多分本人の根本的な興味の対象によって分かれるような気がする。
よく、応用か理論か、とか言われるけど、そうじゃなくて、既知の知識としてベースにあるものを基本にするのは同じでも、向いてる興味の方向性が全然違うんだと思う。「なんでこれはこうなってるの?」というような領域を向いているのか、「これをいじったら面白くなりそう」という風に向いてるのか。思考や興味が開いてるのか、閉じてるのか、と言えるのかもしれないけど。
そういうのを考えずに、なんで工学系に進まなかったの?とかいう質問を非工学系の子にするのは全く以てナンセンスだな、と思う今日この頃。もちろん逆も然り。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/contents/dai5/5siryou3.pdf
問題点を考える上での参考にどうぞ。
個人的には(映画に比べて)圧倒的なパイの小ささがメインストリーム足りえない理由だと思うな。資料にもあるとおり、演劇全体の年間の観客動員数が一千万人に対し、映画一本ヒットすれば同じかそれ以上の動員数があるわけで(その形式上、同じリソースとコストをかければ動員数は映画のほうが確実に多くなるわけで、パイの小ささはそこに起因する)。それに、メインストリームになる必要はない(なるべきではない)と考えてる人もいるだろうし。
ヌルオタのたわごとなので、ツッコミたい方はどうぞ。
少し前に、再びファンタジーが流行るっていう言説をちらちら見たんだけど、「ゲド戦記」があれな感じだったし、「ブレイブストーリー」はそれな感じだった。いや、見てないけど。評判の話ね、評判。
俺には最近の若い衆の感性は分からんけれども、団塊Jr世代としては、正統ファンタジーの世界観…というか、いかにもRPG的な(といえば良いのか?)ファンタジーの世界観みたいなものにはなんか、いい加減、限界を感じるというか、正直、陳腐さしか感じない。
もちろん、欧米の肉を食っている連中が作ったファンタジーにはある程度の説得力がある…「ロードオブザリング」やら、「ハリポタ」やらには。連中の身の丈にあったファンタジーだから、それなりのリアリティの裏づけがある。(でもぶっちゃけあんまりたいしたことないよな、みたいな部分もある)
日本のファンタジーの場合、一般認識として良く知られるようになったのは、ドラクエとかロードスとかゲームからである訳だから、リアリティの部分では、どうにもこうにもならないというか(結局、ベルセルクで一番評価された部分はリアリティだと思う)。さらに言えば、日本の場合、アニメとかマンガがメインストリームだし、リアリティ問題というのはかなり大きいと思ったりとかしていた。(かといって、実写の時代劇を求めているわけではないんだけれども…)
まあ、例外的に、アニメの「蟲師」とか、良い作品もあったけれど、ああいう(後期(笑)の宮崎駿のにおいを感じるような)土着的なアプローチもあるけど、あれは、90年代後半の残滓というべきもので、流行るんだったら、また違うアプローチのファンタジーではないかとは思っていた。
まあ、そんなことを思っていた訳だが。
そんなときに、漫画版「皇国の守護者」とライトノベル「ジョン平と僕と」を読んで衝撃を受けた。
(以下、ちょっとだけネタばれするので、注意!)
まず、「皇国の守護者」だが、従来のファンタジーの枠を超えている作品であることは誰しも認めざるを得ないと思う。まず、舞台は、土星のような輪のある地球とは別の惑星らしい(輪は夜、地上からは光って見えるので、「光帯」と呼ばれている)。で、竜がいる。(弱いながらも)魔法もある。じゃあ、ベタベタのファンタジーか?まったく違う。それらはあくまでも脇役だ。これは戦争の漫画である。具体的に言うと、テクノロジー的には明治維新より少し前(+竜や魔法)のレベルで戦争するのだ(蒸気船が実用化した程度のレベル)。そして、主人公の名前は「新城直衛」中尉(日本人名!)。強大な侵略者はドイツやロシアみたいな名前の人物たち!彼はそいつらを相手に絶望的な戦いをしたたかに切り抜けていく。すごい!燃えるぜ!
もう一方の「ジョン平と僕と」も、ちょっと変わったファンタジーだ。ほとんど、現代日本に近い世界だが、魔法が日常的に使われる世界。まあ、使い魔とか魔法の仕組みの説明とか、お約束があるものの、何よりすごいのは、その「呪文(のシステム)」だ(と思う)。ネタばれになるので書かないけれど、こういう身近な材料を使ったオリジナルの世界観って大事だよな、と再確認させてくれるものだ。で、主人公の重(しげる)少年も一生懸命戦う。もっとも、読後は、失恋に似た味わいがあったが…。
とつらつら書いてきて思ったのは、俺自身のファンタジーのツボというのは、「身近な材料を使ったオリジナルの世界観」の中で、「一生懸命戦う」ことだと思った。「感情移入を阻害しない程度の異化作用の持つ独自ルールの中の世界の中」で、知恵と勇気を振り絞り、ぎりぎりで戦う。彼らの「一生懸命さ」、「ひたむきさ」に心打たれる。マジで泣いてしまった(…年だ)。
今でも、「独自の世界観のファンタジー」が次に来るのではないかという言説が一部であるが、さて、どうなんだろう。来年、どういう作品が出てくるのか楽しみだ。