はてなキーワード: ひとりじゃないとは
働きはじめて2週間が過ぎました。
いまは充実していて、毎日が楽しいです。
ほんの3か月ほど前まで、こんなにも楽しい毎日があるなんて想像もできませんでした。
わたしが外に向かって一歩踏み出せた、はっきりとしたきっかけはありません。
22才の時、専門学校を中退して、そのあとも仕事が長続きせず、ひきこもっては出、ひきこもっては出を繰り返してきました。
ひきこもっているときは、昼と夜が逆さになって、ほとんど煙草とネットだけが生活の友でした。
わたしの人生はもう終わってる。
このまま消えてなくなりたい。
そんなことばっかり考えていました。
去年の秋、未遂もやってしまいました。
でも、今わたしは生きてここにいます。
どんなに落ちぶれても、静かにじっと見守ってくれた家族。
どん底の時に繋がってくれていた友達。
「マイペースでゆっくりやっていけばいいんだよ」というメッセージをいつも送り続けてくれた先生。
わたしはひとりじゃない。
わたしは支えられている。
命を捨てようとした時、やっとそのことに気がつきました。
周りを見渡せば、感謝したいひとたちに囲まれていて、自分はほんとうにラッキーだし、幸せな人間だと思います。
友達が言ってくれたのですが、
神さまは背負えるだけの荷物しか背負わせないのだそうです。
自分のところに何か途方もない大きな問題がやってきたとしても、それはあなたに背負える内容だというのが神さまからのメッセージなのだそうです。
もし逃げたり、目を背けたりしても、それがあなた自身だから大丈夫。必要な時に必要なものが必ず現れるから。
雨はいつか止むし、夜はいつか明けるし、季節は移り変わる。
良いことも長くは続かないように、悪いことも長くは続かないのだと思います。
明日なんて来なければいいと思っていたのが、
明日を信じられるようになったことです。
ささやかでいいから、明日に希望を持てるようになったことがいまいちばんうれしいです。
いま苦しんでいる人に伝えたいのは、生きることだけはあきらめないでほしいということです。
明日のことはほんとうに誰にもわからないから。
http://anond.hatelabo.jp/20100123005026
つづき
無謀な旅に出たのはそれを書きたかったからで、半月も日本中を車で旅して、それでもまだそうかと聞かれれば、僕はうんとうなずく。それでもうんはいまは少し控えめで、バックシートの同乗者との旅が楽しくなり始めている。後部座席の右側の窓は全開で、海風に髪をなびかせて真っ青な海に向けて、彼女は表情をあかるくしてシャッターを切る。バックミラー越しの横顔には昨夜の凍えきっていたおもかげはなく、蒸し暑いとさえ思う風にはしゃぎきっていた。
それだけで満足してしまう。
写真の評価をしっかり伝えたのが良かったのか、安心して撮って良いのだと思ってくれたのか。
雑誌の旅行記みたいなサイトを作りたい。そう旅の目的をはなすと彼女は僕の書いた文章を読みたいといった。彼女はしばらく読みすすめ、これは私には無理と情けない声でいった。僕は慌ててブレーキを踏み、路肩に車を止めた。振り返って言った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕はもうあなたに写真を撮って貰うって決めているんです。あなたの写真がいいんです。すてきじゃないですか、なにが無理なんですか」
「でもこの旅行記、格調高いし、大人っぽいし、私こんなに知識ないし」
うつむく女の子をみて、僕はあっと思い当たる。
意気込んでひとり旅にでた僕は、だれからもそしられない旅行記にしようと、堅固な文体で書いてしまっているのだ。本人からすれば少し堅いかなぐらいであるのだが、慣れない人からみればそれはきっと要塞でも見上げているような心地になるのだ。
「あ、いえ。でもこの文章堅すぎて、こんなの読んだら息詰まってしまいます。そんなところにぱっと明るい写真がほしいんです。あなたの写真は色彩豊かで、大胆な構図で、ダイナミックで、この動きのない旅行記をきっと生き生きとさせてくれる」
僕は、思いつく限りの美点を話す。これでもプロの撮った写真を見続け、それを文章の隣にレイアウトし続けていたのだ。もしそんなプロ達に混じっていても僕はきっと彼女の写真を選ぶと思う。
「それにWebサイトなのです。雑誌ではないのですから解像度も必要ないですし、僕はフィルム・スキャンもやってましたから、若干色味が狂っても直せますし」
すこしだけ顎が上がり、僕は安堵して息をつく。
「ちょっと安心しました」
「撮れないって言われたらどうしようかと思いました」
彼女はふふと笑う。
「そんに気に入ってくれたんですね、私の写真」
それで僕は、旅行記に載せる写真を彼女に撮って貰う事に執着心が生まれ始めている事に気づく。なぜだろうと思い、色味だろか、構図だろうか、被写体の選択だろうかといろいろに理由探しをするが、きっとセンスみたいな所かもしれないと無難に着地する。美感の好きと思うところが似ているのだ。そこの波長が合うのだ、きっと。
バックミラーの中の、撮った写真をノートPCで確認する姿を見ながら思う。
(出来れば、ずっと一緒に撮ってくれないかな、三ヶ月に一回でもいいから)
まだまだ若いのだし、これから音をたててめきめきと上手い写真を撮るようになる。そうなればちょっとした写真家になるかもしれない、プロというまではいかなくても。そうなってしまってからではもう届かない。今のうちに出会えたのは幸運で、コンビを組んでいれば、有名になっても昔のよしみでほんの少しだけならつき合ってくれるかもしれない。
そんな打算さえ生まれてくる。
それぐらい僕は参っていた。
二つめのトンネルを抜けてちいさな港を右手に(カシャリ)、まばらな民家の間を抜けて海岸沿いの道を行くと、海一面に養殖場が広がる(カシャリ)。のんびりと車を走らせ地図を片手にちらちら見ると、牡蠣の養殖場との記載がある。
「すごーい」
「牡蠣だって。そういえば松島近いですし、松島といえば牡蠣ですし」
(カシャリ)
「こんなにたくさんあると迫力ありますね。あ、船が出てる」
(カシャリ、カシャリ)
はしゃいでシャッターを切る彼女の横顔はまだ無邪気で、疲弊する職場や修羅場の数々ですさんだ心にほっと暖かい場所が出来るのを感じ始める。夏の海風を全開に受けながら、真っ青なひかりを浴びているとなにかがほどけてくる。ああ、そうか僕はひとりじゃないのだ。そう思うとほっとし、なにかこれまでずっとひとりで戦ってきたような気がし、その戦いには様々な理由があったのではあるが、それさえもどうでもよいことのように、それよりもこの彼女との旅が楽しくなってきている事に気づく。
海風の中を、岬を目指して、おんぼろのスズキを走らせるのは楽しい。
バックミラーの中のちいさなカメラマンが嬉々としてシャッターを切るのを見ているのは楽しい。
こんなにも楽しいものかと、内心動揺している自分がいることに気づく。
「ふう、夢中になりすぎちゃう」
何度か息をし、そのきれいな眼がこちらを射貫く。
僕は、ええだか、ああだか、そんな曖昧なことをいい、その笑顔からあわてて視線をフロントガラスに向ける。胸がどぎまぎしていた。あまりのかわいらしさに動揺しているのに気づく。何重にも防壁を築いていたはずが、いつの間にか彼女はその内側に立っていた。
(この子、どうやって入ってきたんだろう)
いや違う、目下の問題はそこではない。彼女はちいさなカメラマンで旅行記に載せる写真を撮ってくれる。その写真はすてきで彼女との旅は楽しい。でも、そこで彼女が僕の気持ちに気づいたら? いま、落とされてしまった事に気づき、僕がくらくらになっている事を悟られたら。
彼女は車を降りるかもしれない。
極力、感づかれないようにしなければならないのか。
背筋を冷や汗が伝うのがわかる。
道は小さな港を駆け抜けてすぐに山間へそれを抜けるとまた小さな港、牡鹿半島のドライブはその繰り返しで、めまぐるしく景色が変わる。彼女はそんな移り変わりの速さに夢中で、シャッター音がいきいきと響く。手元の地図を見ると、目当ての岬である黒崎はもう目と鼻の先で、そこから大きな港を抜けてすぐだった。
「間に合いましたね。暗くなる前にたどり着けましたよ」
バックミラーを見ると夢中でシャッターを切る姿、鼻歌をうたい、表情を輝かせてカシャ、カシャと目の前の光景を切り取っていく。まるで声さえ聞こえていないようで、海風に溶け込むように髪をなびかせる、それを見るだけでも思わず頬が緩んでしまう。
軽自動車はささやかな港町を駆け抜け、半島の最南端へと向かう。
海は青く右手には、対岸に大きな島が見える。
牡鹿半島はその東西を大きな島に挟まれている。その緑が海の色に鮮やかに映える。周囲の樹々のにおいが風に混じる。八月を過ぎた平日の夕方近くの半島はひとけも車通りもなく、この光景をひとり、いやふたりじめしている心地になる。ぽんこつのエンジン音だけがこの景色の中に孤独で、秘境へいくでもなしに世界にたったふたりになった心地になる。
(しかし、いったいなんでこんなことになっているんだろう?)
わからない。
最善と思える選択肢を選んでいるうちになぜかこんなことになっている。
かわいい子が写真を撮ってくれて旅もしてくれるんだ、それでいいじゃないか。
そう、それでいいはずだった。
半島の南端で折り返して少し高いところにある駐車場のある展望台にスズキをとめる。
彼女には新しいメモリーカードとバッテリーを渡し、僕は早速彼女の写真をチェックし始める。鮮やかで躍動感のあるスナップに、僕は夢中になり、そして幸福感に包まれる。
「いいじゃん」
何枚か、おそらくサービス精神なのだろうが、旅行誌にありがちな紋切り型の構図を見つける。
(こんなことしなくていいのに)
僕はノートパソコンの電源を落とし、頭の中に渦巻くうれしさとそれをあらわした言葉が浮かび上がってくるのをあれこれと選び始める。エンジンを切り、車を降りると海の香りが風となって包み込む。ふっと息を吸い込んで、こんなにわくわくしたのは初めてじゃないかとふと思う。
(どこいっちゃったんだろう?)
僕は彼女を探した。
・女の子ひろった
http://anond.hatelabo.jp/20100116012129
・これこそ逃避
http://anond.hatelabo.jp/20100119221742
・すごい彼女
この論を読むにあたっての前提
・「バカ」とは単に学力に限らず、知的活動全般(コミュニケーション,芸術なども含む)における能力が劣っている人物を指す
・「美人/ブス」をx軸、「賢い/バカ」をy軸とし論を進める。(「学力/EQ(学力以外を暫定的にこう括る)」というz軸は議論を煩雑にするので省略する)
・「不幸」の定義が非常に曖昧ですが、「幸せが少ない」よりも「苦しみが多い」寄りのニュアンスで捉えてください
自意識を植え付けられた現代人に共通すると思われる欲望の一つとして、「自己承認欲求」というものがある。これは己が他者から承認されたいと思う欲望である。これが満たされない場合、人間はフラストレーションを募らせ、不安定な状態に陥りやすい。
しかし、当然ながらこの自己承認欲求は万人に対して保障されているわけではない。ここの自己承認欲求の不均衡が起きる。そして、危険なことに、この自己承認欲求を満たすために女性には安易な「性」という交換価値が与えられている。
しかし、「性」を交換して得られる自己承認欲求は概して薄っぺらく浅いものであることが多い。「性」と交換に承認を得た女性たちは、結果的により深い、より切迫した欠乏感に苛まれる。
典型例としては、「ヤンキー娘が男をとっかえひっかえした挙句に妊娠して高校中退」のようなものである。この場合、彼女は「勉強ができない」という劣等感や、不幸な家庭環境による愛情への飢餓を、「性」というエサに群がる男性から求められることによって補おうとしたものと考えられる(ヤンキー娘の家庭環境が不幸とは限らないという反論に対しては、前提条件で挙げた「バカ」が知的活動全般を含むという点に注意を喚起しておきたい)
しかし、概して、このような過程を経た出産、それによって形成される家庭というのは同じ末路を辿りやすい。これが文化の再生産・階級の固定である。彼女の、「性」をエサにして自己承認欲求を満たすというプライドのファストフード店は、妊娠・出産というクライマックスを経て閉店に追い込まれる。生まれる子供が女子であれば、その子供も「バカ」で「美人」である可能性が高い。
では、「バカでブス」の場合を例にとってみよう。彼女たちも「自己承認欲求」が満たされず、苦しい時代を余儀なくされるという点ではバカな美人と同じである。しかし、この場合、彼女たちには交換価値となる「性」がそれほど高い価値を持たない(まあそもそも若いってだけでブスであろうとデブであろうと性的価値はあるんだろうなとも思ったけど、飽くまで二者間の比較において)
よって、どうなるか。彼女たちは男性たちから得られる浅薄な愛情すら受けられず、非常に厳しい環境で生育することになる。最初は男性から求められるバカな美人を見て羨望に身を焦がすこともあるだろう。しかし、やがて気付くのである。あんなことをしても何にもならない。
器質的に同等の知力を持つと仮定した場合、大人と子供では大人のほうが賢い。なぜならば、それはそれまでに培われた経験、そしてそこから得られた「情報」が存在するからである。よって、「子供でバカでブス」よりは「大人でバカでブス」の方が賢い。そしてこの場合の「経験」は必ずしも自分自身によってなされる必要はないのである。バカなブスはバカな美人の失敗を見て学ぶ。
ここで、「でば、バカな美人であっても、経験によって己をブラッシュアップすることは可能なのではないか」という質問が成り立つ。それは正当な反論であり、その場合は「美人」というカードが役に立ち始めることもあるだろう。しかし、彼女たちの場合、それ以前に妊娠や結婚において、人生の再チャレンジにおける不利なカードを引かされている可能性も高いのである。
バカなブスは少しだけ賢くなって漕ぎだしていく。
バカな美人は錨を下してしまったため港から離れられない。
そのような意味において、「バカで美人」よりも、「バカでブス」のほうが、不幸に「なりづらい」という結論が成立する。
以下は余談
平たく言えば「同じバカならモテるよりモテないほうがむしろ幸せなのでは…
幸せが言い過ぎなのだとしたら受ける傷は少なくて済むのでは…」ということを加護さんについて考えて思ったのでした(彼女はそれで生活の糧を得てるから上の論には必ずしも当てはまらないけど)。しかし、「モテ」を分水嶺にすると知的能力云々のあたりがややこしくなるので(「モテる時点でバカではないんじゃん」等)今回は容貌を用いました。
とりあえずイメージとしては、
「高卒派遣OLひとりでバラエティ番組を眺めながら食べるオリジン弁当の夕食」
と
「ヤンキー上がりシングルマザー母子家庭でワーキングプア水商売はじめました」
の対比としてイメージしてもらえるといいと思います。
それでも「ひとりじゃないだけ後者のガマシ」という人に関しては私とは価値観が違うとしか言えない。
「賢くて美人」と「賢くてブス」とを考えた場合は、個人的にそこに(不幸になりやすいかどうかという点において)あまり差はないんじゃないかと思います。幸せになるために踏まねばならない手数の多さという意味では「賢くてブス」のほうが上だろうけど、それをきちんと踏襲するというニュアンスも「賢い」にはこめてあります。
そもそも、(前提で述べたような極端なケースを除けば)「美人」と「ブス」という分け方が極めて恣意的なものなので、この場合の「美人」というのは単に「多くの人がその人を美人と思う」という事実に過ぎず、また「ブス」も然りです。そして、重要なのは、「需要の多寡は必ずしもそのものの優劣と比例するわけではない」という点です。
よって、例えば「ブス」だったとしても、自分を需要する層というのを的確に判断する能力があれば、それは決して弱いカードではなく、単に使いどころの難しいカードであるに過ぎないのです。むしろ、場合によって強いカードにもなりうる可能性を秘めているのです(RPGで、人魚のキャラが陸上戦ではHP少なくて弱いけど、水中戦では無敵みたいな感じ)
以上をまとめて「不幸になりづらいランキング」を作るのであれば、
という図式が成立するのではないかと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090909210938
児童福祉法によれば、未就学児が保護されない状態は「保護責任者遺棄」となります。
子供が小学校に上がっていれば、遺棄とまでならないので無問題です。
個人的には子供を表に放り出しておいて誘拐されたらどうするんだと思います。
母子家庭なら地域の民生委員さんが見守っているので、連絡を取ってみてはいかがでしょう。
その母親が、ほかの人に構われることによって(自分はひとりじゃない)と力強く感じてくれるか、(外野が余計なお世話だ)と感じるかは、個人個人の資質によるのでわかりませんが、本当にひどい状態になってから通報されても誰も救われないと思います。今なら、少なくとも子供は救えます。
ただ、やっぱり、いろいろ難しいと思います。うちの近所の子も夕方になると家を出されるらしく「ママー」と大声で泣いています。そこは祖父母両親、その子の姉と大所帯なので、たぶん、虐待はないだろうと静観しておりますが。通報ってやはりやっかいごとに首を突っ込むわけで、おっくうですよね。
仕事を休むようになって数ヶ月たって「苦しすぎる。助けて」というメールが来るようになった。
他のひとたちと一緒に、そのひとのところに遊びに行ったり、電話をかけたりした。
仕事中に突然届くSOSメールにも、みんなで連携して同報メールで対応した。
「くるしい」「さみしい」「起き上がれない」「どこにいるの?」という問いかけに
「ここにいるよ」「ひとりじゃないよ」と必ず誰かが応えた。そんな毎日が三ヶ月以上つづいた。
医者にはちゃんと行って、薬も飲んでいるようだったけれど、
本当に感じている心の苦しさを診察のときに話しているようには見えなかった。
医者なんて薬を処方するだけ、それよりも友達のほうがうんと助けになってくれる。
ともだちはそう言った。
ある日、ひさしぶりに会った家族から「病気になるなんて弱すぎるからだ」と
言われてしまったという話を聞いた。
切れて、怒鳴りあったあげくに痙攣の発作まで起こしたとか。
ふだんはおとなしいともだちだから、それを聞いて驚いた。
同じころに、いろいろと落ち込む出来事が重なったらしい。そのころから電話を要求するメールが増えた。
いつもあなたの力になりたいと考えている、というこちら側からのメッセージが重すぎる、とも言うようになった。
ただ、うんうんとあいづちをうちながら話を聞いてほしいということらしかった。
こちらが仕事やいろいろな事情で忙しくしている時間でも、すぐに電話がほしいというメールが来るようになった。
手が空いている誰かが、電話をかけた。まるで子供をあやすように対応しなくてはならなかった。
批判や意見めいたことは、いわれたくない。ただ、自分が望んだときに話を聞いてほしい。
それがともだちの望みだった。
でも、誰もが都合が悪くて、電話がかけられない日もあった。
みんな、だんだんと疲れてきていた。
ともだちを支えきれないあせりも出てきた。
もしかしたら、入院してきっちりと治したほうがいいんだろうか。
いやいや、実家に連絡したほうがいいんだろうか。
そういう相談をしたけれど、みんな素人だからはっきりとした答えは出せなかった。
迷ううちに、ともだちの要求どおりに連絡をとるのが難しくなっていった。
泥の中でにょろにょろ逃げるうなぎをすくっているような感じだった。
ともだちの絶望感をひろってもひろっても、一時しのぎにしかならないらしいと、
みんな思うようになってきていた。
そんな日が続いて、ともだちの日記にメッセージがあるのを見つけたときも、
気軽に反応するのは、とてつもなく難しくなっていた。
ともだちは、みんなから「見捨てられた」と思っていたらしい。
苦しんでいると書いたのに、それが否定された。
「薬ちゃんと飲めば大丈夫」「長くかかるかもしれないけどゆっくりいこう」とか、
支えてくれようとしているのはわかるけれど、
上から指導されているようで、そしてそうやって受け流されているようで、それが苦痛。
そんなふうに感じたらしい。
みんな疲れていたけれど、それでも何人かが電話をかけた。
さいきん来たメールには、
そのことにこんなに心を傷つけられたのに、
いまだに何のフォローもないことに毎日絶望していると書かれていた。
フォローがない?
でも、ともだちのなかでは、それはもうなかったことになっているらしい。
電話が鳴らない完全な孤独の中で過ごしたその一日に、ともだちのこころは完全に囚われているようだ、と
電話をかけた子が、溜息とともに教えてくれた。
ともだちの日記をのぞいてみると、
「家族にも友達にも見捨てられた」と書いてあった。
そんなこと、誰も言っていない。
どんな言葉も、ともだちにはもう届かないようだった。
自分の信じたいことだけを信じて、見たいことだけを見ているようだった。
やっぱり病気なんだ。目の前につきつけられた気がした。
電話をかけた子に対して、電話口で激怒して、連絡をくれなかったことを責めて、
(子供がいて、仕事があって、なかなか電話できなかったといっても、それは言い訳にすぎないと怒ったそうだ)
けれどそのすぐあとで、また電話がほしいというメールを送ってきたという話も聞いた。
怖くて連絡が取れなくなってしまった。
良かれと思ってやってきた対応は、実はまちがっていたのだろうかと思って、
昔おなじ病気になって、いまはもう治ったべつのひとに訊いてみた。
「きついけど、まわりに頼ってるうちはぜったい治らないから」とそのひとは言った。
かわいそうかわいそう、って言ってもらえるのは心地がいい。
だから、言われるままに連絡したら、かえって駄目なんだよ、と。
気がつくと、考えている。
今も孤独な暗闇のなかで耳をふさいでいるともだちのことを。
助けられないのがふがいなくて、くやしい。
毎日が楽しくない。眠りも不規則だ。何をしてもこころが晴れない。
ともだちとおなじ病気になりかけているのかもしれない。
追記:
たくさんのブクマとコメント、TBをどうもありがとうございました。
とてもびっくりすると同時に、いただいた言葉を読みすすむうちに涙がとまらなくなりました。
こちらがともだちの日記をときどきのぞいているのと同様に、あちらも友人グループの日記を見ているようなので、
自分のところにはぜったい書けませんでした。
どんな刺激がどんな結果を生むのかわからないし、といって、かかえているのが苦しくて苦しくて、
ホッテントリ経由でときどき読むだけだった増田におっかなびっくりで書くことにしました。
仲間うちでどうしようどうしようと言っているよりも、外の意見を聞いてみたいとも思っていました。
コメントでいただいた「素人が医療行為をしてはいけない」について。
最初に、ともだちが「さみしい」「助けて」という言葉を投下しはじめたのは、携帯SNSでした。
朝起きて、ともだちのところをチェックして、
真夜中に延々とポストされた「ここには誰もいないの?」「誰か助けて」という言葉が並んでいるのを見ると胸が詰まりました。
ネットには無数のひとがいるけれど、つぶやきに答えてもらうのはとてもむずかしい。
密度が高いようでいて空虚な空間で溺れているともだちを、ほうっておけませんでした。
さみしくてどうしようもないときは自分たちにメールをするように、そうしたら一言でも答えられるから、と
誰も、それが医療行為につながるとはまったく思っていませんでした。
けれど、上に書いたように、だんだんと要求がエスカレートするにつれて、
専門知識もなく24*7専任でサポートできない素人には対応が難しくなってきました。
素人ではなく医療機関に頼るように、と言葉を尽くしてメールもしたのですが、
返って来た言葉は「そんなふうに厄介者を丸投げするみたいにして逃げないでほしい」「話を聞いてほしいだけ」。
厄介者だなんて誰も思っていませんでした。
長いつきあいを続けてきて、またこれからも続けていくであろう大切なともだちが感じているであろう不安と孤独が
一日でも早く癒されれば、とこころから願ってのことだったのですが…。
ともだちは、発病当初から(職場を休むために診断書をもらう関係もあって)医者には通っていたのですが、
「話をきいてもらえない」「薬だけ出されても」と言っているのは聞いていました。
医者に行くと、ぜんぜん具合が悪くないふりをしてしまう、とも。
もともと、調和を人一倍重んじて愚痴も抱え込んでしまう性格だったことが影響しているのか、
医師にさえ、本当の苦しさを告げると「迷惑をかけてしまう」という恐怖感をもっていたようです。
処方された薬はきちんと飲んでいるようでしたが、
体質に合わなかったのか、強かったのか、あるいは酒といっしょに飲んでしまったのか、
ろれつが回らない状態で電話がかかってきたことがありました。
実家の両親には、心配をかけたくないのか、あまり自分の状態をきちんとは知らせていないようでした。
いま、ともだちは実家に帰っています。
すくなくとも、たったひとりで暮らしている部屋で、こちらの手の届かないところで、
最悪の道を発作的に選んでしまう危険性は減りました。
友人一同、それだけは本当にほっとしています。
「診断名が違うのでは」という件について。
やはり以前にこころの病をわずらって、
いまも薬を飲みつづけいる友人(ともだちをサポートしているグループのひとり)が、
かかりつけの先生にともだちの状態を話してみたところ、
「境界性人格障害の可能性が高いので、なるべくなら接触を絶ったほうがいい」と言われたそうです。
ともだち本人は「双極性かもしれないと言われた」とも言っていましたが…
本人がどのくらいのところまで主治医に話しているかは結局よくわからないままです。
ともだちが今も携帯SNSで書いている内容を読む限りは穏やかで、すこし休んだらすぐによくなりそうに見えます。
が、実際は電話をかけた友人に悪罵を吐き、激昂して責めて、その心に深い傷を残すような状態です。
SNSの書きこみだけを読んで、レスをつけているひとたちには、
とうてい想像がつかないと思いますが…。
長々と、読んでくださってありがとうございました。
ここまでたくさんの反応をもらえるとは思っていませんでした。
お言葉をくださったかたたち、ご心配くださったかたたちに心から御礼申し上げます。
私は、大丈夫…のはずです(笑
「あなたには守らなくてはいけない家族が居るのだから、
とりあえずはそちらを大切にしないといけないよ」と友達から温かい叱責を受けて、目が醒めました。
怖くて連絡がとれなくなってしまって、ひと月が経ちました。
臆病で無能な自分を情けないと責める気持ちは消えそうにありません。
連絡もくれなくて、いちばん苦しいときに助けてもくれなくて、何が友達だと、恨みを受けるかもしれません。