「ごった煮」を含む日記 RSS

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2010-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20100809233203

生活ギャグという分野をずっとやってきて、この辺で集大成みたいな作品を書きたいと思い立ったわけです。SFあり、ナンセンスあり、夢も冒険も、その他何もかもブチ込んだゴッタ煮みたいなマンガをと…。それがドラえもんなのです。だから一つひとつの作品に、いろんな要素が重複して入りこんでいるのです。

昭和56年 小学館刊 『藤子不二雄自選集3 ドラえもん ナンセンス世界1』より

http://www.fujiko-f-fujio.com/word/word7.html

ということらしいので、作者基準だと、ギャグSF等を含むごった煮マンガということになるのかな

2010-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20100112071018

英文の雑誌を買えばいいんじゃねーの。

アートでも音楽でも映画でもごった煮文化誌なんかいくらでもあるよ。『i-D』だっけかな?

そんなことに金使えねーみたいな話? だったら英語学習なんてやらなきゃいいよ。

語学学習なんて、金かけなきゃ身につかない。ネットでタダで、なんで大嘘。

そもそも何で英語学習するんだ? 海外に行ったり、翻訳を待つことなく原著を読んだりするためだろ。

つまり英語コンテンツを消費するために学習するんだから、そもそも金使うために学習してんの。

そこをケチる、もしくはそんな金ないんだったら英語なんて学習する必要なし。ジャンプでも立ち読みしてろ。

2009-10-09

女の世界はめんどくさそうだなあ

あらゆる情念をごった煮にした闇鍋みたいな感じ。

表面だけ理論武装で化粧してるのもいるようだが。

2009-08-01

潔癖症は度を超すと人生の幅を狭める

偏見で汚い物事を嫌う潔癖症偽善者がよくいるが、最近とくに増えてきているのではないかと思う

統計がないのでなんとも言えないが、もし増えているのだとすれば憂慮すべき事態である

典型例の1つとして、ガキにケータイを持たすなという論者がいる

可愛い子には旅をさせよという健全教育理念を持った親は、今やマイノリティであり、

気狂いじみた過干渉教育マママジョリティなのである

あろうことか父親までもが、ガキ嫌いもあってか、それに付和雷同しているから、もう手に負えない

俺の母も教育ママキモいくらい干渉してきたが、父は寛大で器が大きく、信頼できる父親だった

また、俺の世代だと、核家族化がそれほどでも無かったので、祖母に甘えることだって出来た

祖母はお小遣いをくれたり、ガミガミ言う母をたしなめたりしてくれたものである

これに類する現代人的潔癖症というのは、この紙幅に書き足りないくらい、他にもたくさん例があり、枚挙に暇がない

文明が豊かになり、生活が便利になり、選択の自由が出来たことで、それが潔癖症の温床となり、

かような現代人的潔癖症患者が大量繁殖したものと思われる

そのような患者・・・これは患者と言って良い・・・は、人生において数々の制約や衝突を被ることになり、

あとあとの人生の幅を大きく狭めることとなる

すべて自業自得である

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ブクマコメ

「潔癖性」を度を超して嫌う「潔癖性」に陥ってないかな

それは何かに対し否定的な人に対して否定的な態度をとる時に共通する構造だから、無理のある批判

過干渉は教育学でも問題視されているから「度を超している」わけではない

結局、この文章から何かを察知できないという事は、根源的に人間理解が異なるんだよ

俺なんかは「感覚麻痺」と呼んでいる

そういう人が最近多いことは確かだ

ガキにケータイ持たせるなという人の多さに疑問を抱いたことが無いとすれば、根本的に感覚が異なるということだね

上のコメントにも見られるような形ばかりの批判をする人は、たいてい感覚麻痺してて、安直にすぐに価値を相対化してしまう人が多い

なるほど、任意の価値Xに対して、その反対の価値Yを持ち出し、X-Yという対立軸を作れば、なんでもかんでも相対化してしまえる

それでもって、中庸が一番と主張すれば、いかなる価値Xの絶対性をも崩すことが出来る

例えば、Xが人を殺してはいけないというものであれば、流石に相対化されにくいけれども、

近年では選択の自由が広がったため、多くの価値が相対化されやすくなっていることは事実である

なんでも相対化される背景には、様々な価値観が共存するごった煮社会になり、何が正しいかの感覚麻痺していることがある

感覚麻痺しているから、簡単に相対化してしまえる

すぐに相対化してしまえる人が何よりも厄介なのは、相手を理解せずに勝手に相対化する点だ

今回の例で言えば、「ガキにケータイ持たせるなという人の多さに対する疑問」を理解できない人が勝手にそういう考えに対し「放任主義」というレッテルを貼る

ここに大きな問題がある

実体験や知識に基づく詳細な理解が無いまま、対立軸を作って相対化し、形ばかりの批判をする

自分で何かおかしいということに気づかないといけない

一言で言うと、理解なき批判は悪ということ

なぜ学校勉強が必要かというのも、実はこの面が大きい

実体験はさすがに難しくとも、せめて知識面だけでも、土台となる知識を身につけることで、将来の人生での知識の実りを大きくし、

それにより、きちんと理解ある批判が出来るようになる

学校勉強をするのは、職業で役に立つからではないよ

そうではなくて、さまざまな物事に対し、しっかりした理解に基づいた態度をとれるようにすること、それにより、多くの物事との接触を可能にすること

ここに、学校教育意味がある

ちなみに、俺は学校先生をやっている

2009-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20090425141330

仕事上のコミュニケーション力に絞って考えてみたよ。

会社内の業務上でのコミュニケーションって、上司、同僚、部下、とあるけど、分けて考えていくよ。

上司とのコミュニケーション

上司のオーダーに対して期待以上の成果を挙げれば評価が上がる。

その為には上司が求めているものがなんなのか、的確に把握しなければならない。

ここでよく間違えるのは上司が正解を持っていて、正解を持っていけば評価されると考えること。

まずは上司も正解なんかわからずに仕事をオーダーしている、

なんとなくこんな成果に繋がるといいなあ、と思っている場合がほとんどだと認識すること。

なので、正解に繋がる仕事よりも正解に至る過程や仮説を複数提示するのがコミュニケーションポイント

また、いいタイミングを見極めて仕事の途中でチェックやアドバイスをもらうのもいい。

流れでいうと、

仕事を受ける→複数の仮説を立てて、提案をまとめる→上司にチェックを受け、アドバイスをもらう

アドバイスを含んで提案を絞り精度を上げる→上司にチェックを受け、アドバイスをもらう

→さらに精度を上げて仕事完成

こんなイメージか。

リア充の人はコミュニケーション力が高く、上司をうまく使う。言いたい事を言わせる。

言われたこともうまく受け止める。いわれてないことも「空気を呼んで察知」して、仕事に反映する。

なので出来上がった成果も上司に認められやすくなる。

上司タイプを見分けるのも重要。細かくチェックしたがる人には細かく見せる。

結果だけもってこいという人にはここぞという時だけチェックを受ける。

部下である事をわきまえ、上司にとって価値のある部下となるべくフォロワーシップを発揮すること。

同僚とのコミュニケーション仕事につながりがある場合)

まずお互いに領域を決めておくこと。

一緒にアイデア出しをするのか、分担するのか、などなど。

上司と違って同僚にはポジションパワーがないので、かえって難しい。

公平になるように配慮しなければならない。決してライバル視したり競争相手だと見ないこと。

うまく得意なことが違っていれば補い合うことが出来るけど、

苦手なことが同じだったりすると、辛い。でも協力してやるしかない。

同僚と一緒に仕事をする時はどんな相手でもリスペクトして、よいところをみる事をお勧めする。

ダメなところを見つけて優越感に浸っていてもいい仕事には繋がらない。

仕事の成果が出るようにすることが大切。

昼ごはんを食べる、飲みに行くなどのコミュニケーションも良い。

そのときは、相手の話を聞くことが最も重要

自慢話でも愚痴でも、何でも聞こう。自分の話をするよりもまず聞くこと。その為にはどんどん質問しよう。

そして、聞いたことから相手がどんな仕事の仕方がすきなのかを想定して

自分仕事と相手の仕事を分けていく。

相手が使えないやつでも文句はいわない。補って支えて一緒に成果を出せばよい。

こういうところは不思議なもので大抵上にいる人間にはわかるものだから、

必要以上にオレオレアピールをしなくてもよい。

さりげなく質問されたら意見を言うなどの立ち居地でデキルやつかどうかはわかるもの。

同僚(仕事のつながりが薄い場合)

とにかく顔をつないでおく。

いつどこで一緒に仕事をするかわからないので、無関心ではいない事を示すこと。

宴会イベントにはこまめに出席。ここでもポイントは人の話しを聞くこと。

自分の顔を売る事よりも人の顔をおぼえておくことのほうが価値がある。

部下、後輩とのコミュニケーション

とにかく関心を持つこと。放置しない。構ってやる。助けてやる。

出来の悪いところには目をつぶり、いいところをのばす。

話を聞いてやる。勘違いしてるな、と思ったら軽く諭す。

本気でだめなやつなら上司が何とかするので、さりげなく上司に報告しておくのもよい。

まとめ

ということで、会社内のコミュニケーションとは案外シンプルなもの。

職位による力関係も明確で、やらなければならないことも決まってる。

勘違いしないでもらいたいのだが、会社に正直で誠実な奇麗事の人間関係を求めないこと。

会社聖人の集うところではない。ごった煮である。

ごった煮の中で、自分の役割はなんなのかを見極めるのも重要

肉なのか大根なのかにんじんなのか。はたまた薬味のねぎなのか。

これだけのコミュニケーション力があってもそこそこにも出世しないとしたら、

仕事上での能力が不足しているか、よっぽど会社がだめかどっちかなんじゃないかな。

ちなみに、能力がなくてもコミュニケーション力があるとマネージメント系では生きていけると思うよ。

番外・リア充の人たちはコミュニケーション力が高い

努力してたり自然に出来たりいろいろだけど、リア充コミュニケーション力が高いよ。

個人的にはプライベートでは非コミュ・非リア充で構わないと思っているけれど、

仕事の上でだけは多少の努力をして会社というコミュニティで充実して過ごせるといいよなと思う。

仕事拘束時間ってそれなりに長いし、一般的に大企業なら転職するより勤め上げて退職金もらったほうが

生涯年収も多いからね。

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