はてなキーワード: ういとは
わざわざ相手が自殺してたなんて書く必要あるか?
そういうことは胸にしまっておけよ。
書くにしても「問題は無事解決しました」でいいじゃん。
たいてい一度は言われたことがあるんじゃないでしょうか。
音楽に特に興味の無い人が「ライブなんて全部一緒」と考えるのは間違ってはいないと思う。
でもね、ほんとは違うんだよ。
基本的にイベントってのは生ものなんだ。
具体的に何が違うか、自己満足だけど、自分なりにまとめてみた。
セットリスト=曲目のこと。通称セトリ。
自分の好きなバンドは、ツアーをやるときは基本的に2種類のセトリを作って回してることが多い。
たまにライブではなかなか聴けないレア曲をやったりもするので、
それが聴けた時は泣いてしまうくらい嬉しい。(ていうか泣く)
自分が行ってないどこか他の会場で突発的にレア曲をやった、なんて聞いた日には
次のライブでやってくれる確証なんて一切なくても、ライブがどうしても待ち遠しくてしょうがなくなる。
会場によって音の質も違う。
あのライブハウスは音がいいとか、あそこは音が割れるから嫌い、とかの好き嫌いも人によってはある。
あと小さなライブハウスと大きなホールだと、当然ながらステージへの距離も違う。
キャパ500人弱のライブハウスだと目と鼻の先に好きなバンドが居る。
それこそ最前列だと触れちゃう距離だ。
その代わりモッシュ(押しくらまんじゅう)の餌食になるのでアザが出来たりする事も多々。
何千人も入る大きなホールだとステージ上のセットが豪華になったりする。
雰囲気を出すためにスモークが焚かれたり、ステージの後ろの巨大なスクリーンに映像が流れたり、
ステージからの距離はちょっと遠いけど、その分遠くから見てる人も楽しませようという気合いが伝わってくる。
当たり前だけど、バンドも人がやってることだから、バンドマンの体調・精神状態でパフォーマンスも変わる。
ツアーの初めの方には無かったアンコールが最後の方では定番になってたり、
MCの内容が変わっていったり…。
他にも、機材の調子が悪くて音が出なくなったりすることもある。
機材トラブルはバンド側としては困ることだけど、そういうのを共有するのも結構面白いよ。
首都圏はノリがいいとか、地方は大人しい人が多いとか、バンドの出身県はいつもアツイだとか。
ノリがいいと言っても、悪ノリする人やダイブする人も居たりするので、ノリがいいのが全部いいって訳でもない。
観客のノリとバンドのノリがぴったり合ってる、もしくは相乗効果でどんどん盛り上がっていくライブはすごく楽しい。
手拍子が揃ったり、一部合唱になる部分で間違えずに歌えたりすると観客なりにも達成感がある。
それでバンド側が気分良くして、会場全体で盛り上がれたら、そのライブは間違いなく忘れられない良いライブになるはず。
いろいろ書き連ねたけど、結局のところ最後は「好きだから」っていうのが強いと思う。
例えば「遠距離恋愛中の恋人と年1回会うだけで満足か?」っていうのと同じ。
どうしようもなく好きだから、何度でもライブが観たいし、CDも欲しいし、ライブDVDやグッズも買うんだ。
ライブが終わって、もう次の日には次の公演が楽しみでしょうがなくなるんだ。
好きなバンドを追いかけるよ。
好きなものを好きだと言い続けるよ。
何かさせようと言う時に攻撃を混ぜ込む人
そういう人は基本的に他人が虐げられてたり酷い目に遭ってても無関心で、同じ事が自分の身に降りかかってから初めて問題提起するような自己中だから、感情的で身勝手だよな。
そして被害者意識が原動力だから攻撃的だ。
中小サラリーマンなら、自分とこの会社の取引先なり顧客なりを追ってけば、何らかの利益団体に辿り着きそうだが。
もしくは親兄弟なり親戚筋なりの関係で、自分が得しそうな団体見つけられそうだが。
自分の利益が何か分からない、他人が信用できないってだけな気がする。
そういう人が極論に辿りつくんだろうか。
その顔その体型だともっと似合う服があるのにいつもどこか垢抜けない格好をしている人がいて、もっとこういうの着た方がいいんじゃないと勧めてみたら、
「そういう服は自分に似合うと思うけど、それを着てしまうと近寄りがたい印象になる。そうなるのは嫌だからそういう系統の服は着ない事にしてる。
人あたりの良いイメージの服を選んでいたら結果的にこういう感じになってしまった。」と言われた。
その人が似合う服を着ると近寄りがたい雰囲気になってしまうというのは確かにその通りだ。
自ら選んでダサめな服を着ていたという事にはちょっとびっくりした。
自分に似合う服が自分の人生に望む結果をもたらさないなら、わざと外したセンスを選ばなければいけない事もあるんだろう。
しかし他人としては、似合う服を着てほしいと思うんだよなあ。
外見の作りがいい人なら特に…。
ああ、もったいない。
どういう作品を読みたいかによる。
異能バトル・萌えバトル・冒険ファンタジー・戦記ファンタジー・SF・恋愛・コメディ…etc.
表紙は釣りなのであまり参考にならない。
スタイルが抜群によくて流行の服をまるであつらえたように着こなしちゃうとか
センスが抜群によくて道行く人がはっとするようなコーディネートができちゃうとか
そういうんならどんどんやれー応援すっぜ!と思う。
でも、一般的にはそこまで行かないじゃん。
たとえば、流行り始めのちょっと奇抜なデザインの服を着たときに、
美人だと「あぁ、こういうの流行ってるのかな」と思ってもらえるんだけど、
ブスは「なにこいつ変な格好。ブスが奇抜な方向に走ったかw」になるんだ。
かわいい系だとしても、「かわいいね、服が。」とかに終わるのがオチ。
髪型もそう。
ブスだと「バックだけシャン」「後ろから限定でおk」「顔を合わせたら残念」になる。
がりっがりがり
削る音が響く
(あれ…そういえば…)
こういう事が何度かあった
(あれ…そういえば…)
(あいつ…なんか言ってた…)
(ミンナガオレヲコワガッテルッテイッテタ)
「あの言いにくいんですけど…バイト中にブツブツ言ったり、急に怒った顔したり、笑いだしたり…もう本当まいちゃってるんですよ…」
(ソウイエバボクハ)
遠くで鳴るサイレンを聞きながら
僕は夢につく
今朝、夢を見た。それは自分の今置かれている状況がいかに私を救ってくれたかを示すものだった。
祖母が死ぬ直前という設定だった。
ヒステリック・深情け・延期癖、無関心・趣味への過度の没頭、暴力・コミュニケーション能力欠如、甘え・自殺企図の繰り返し・盗癖、被害妄想・視野狭窄、自己中心的・KY、過度な技術者気質。
数年前まで、私はそのほぼ全てに染まっていた。そして自分がそういう状況だったと、今この日記を書くまで思い出しもしなかった。
しかし、今のある程度まともな人格は、今の彼女と、自分を下宿してくれている祖母のおかげである。
彼女は、合理的に考えること、自分のモニタリング、ジョークや他のたくさんのことを教えてくれた。
祖母は、私の中にある、バランスの取れた様々な人格を草の根レベルから手直しすることを手伝ってくれていた。
イコライザーのおかしなプリセットをひとつひとつ直していくという感じだ。家族のことを客観的に見られるようになったのも、精神的に落ち着いていると回りから評価されるようになったのも、かなり祖母のおかげである。
私はそういう先天的なひどい人格を、この2人に頼ることでうまく調節してきたわけだ。
そこに今日の夢である。家族の中でまともな人がひとりも居なくなってしまう。と恐怖感を覚えた。
生きている間に、イコライザーの設定を覚えていかなくてはならない。強くそう思う。
それに恩返しもしたい。
外国人、少数民族、女性、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)でもなく
創価学会員でもない.
この時点で国民のかなりの割合がふるいにかけられてる.
色々ツッコミどころあるが,
上記の点で普通の人ではないし
普通の人でも普通でない人でもそういう援助を当てにせず立派にやっている人はいる.
結局のところ,
って,言っていると読んだが,それが今の政治の問題と気がついていない人の典型.
こういう人が,
勤め先の勤務部署の仕事柄、いろんな会社と一緒に仕事をしたりすることがある。(どんな企業と一緒にやるかはぼかさせてほしい)
だいたい、そういう仕事を始めるには最初にプレゼンなんかをしてもらうわけで、まあ、今までにいろんな業種のいろんな会社にプレゼンをしてもらっている。たぶん、ゆうに100社はやってもらっている。
で、それでわかったことをほんの少し。
プレゼンってのはだいたい、2,3社、へたすると7,8社くらいに同じ案件について、どのように仕事をしてもらえるのかってのを話してもらうわけなんだが、意外とそこで大きく差が出たりする。
ま、そんなのは社会人だったら、誰だって経験はあるだろう。やる方もあるだろうし、受ける方もあるだろう。
で、そんな中で1社選ぶわけなんだが、その1社に決めた後が面白い。
面白いのは、断る会社に電話なり、メールなり、直接会うなりして連絡するとき。
だいたいの会社は「弊社のどこが悪かったですか」みたいな聴き方をしてくるので、まあ、どこどこがどうで、とかできるだけ真摯にでも、嘘も織り交ぜながら答えるわけだ。だって、全部話すと決めた会社の手の内までばれちゃうじゃん。
そうすると「うちの○○戦略や○○システムには絶対に自信があって、再考をなにとぞ」みたいなことを言ってくることがままある。
まあ、何のかんのいいながら、断わるわけだ。
でもって、決めた1社(A社としとこうか)との仕事が始まって、それが何らかの形になったりして、表にでたりするわけだ。
まあ、最初から全部うまくまわるわけもなくて、いろいろトラブルがあったり、売り上げとか稼働率とかがうまくいかなかったりすることもあるわけだ。
そうするとしばらくして、件のプレゼンで負けた会社(B社)が来たりする。
で、「A社さんとの△△うまくいってませんよねえ」なんて言ったりする。
「まあ、まだ色々トラブルがあったりしてねえ」と僕も答えると、そこでドヤ顔を決めながら、B社の人間はいうわけよ
「先日、プレゼンさせていただいた弊社の○○システムなら、そういう課題は全部解決させていただきます。△△で問題となってるあれこれは、云々カンヌン」
で、今までの○○システムとか○○戦略とかいうやつをちょこっと手直ししたやつを、もう一回説明してくる。
たぶん、こいつら、腹の中では「だーかーら、うちが正しかったんだよ、ほれ、もう一回説明してやっから、とっとと非を認めて乗換えやがれ」って思ってるんだろうなあと、そのドヤ顔プレゼンを聞くわけよ。
まあ、そんなプレゼンで覆るわけもなくて、「でも、」○○じゃ、A社の△△で出来てた××に対しては対応できませんよねえ」なんて言うと、それはそれ、これはこれなんていいながら、また、なにとぞーとか、言って帰っていく。
で、結局、こちらとしてはA社とコツコツと仕事をチューニングさせていくってのが、普通の対応。
でも、負けた会社でも違うことをしてくる会社がある。C社としよう。
最初はおんなじ。
「A社さんとの△△うまくいってませんよねえ」なんて言ってくる。
「まあ、まだ色々トラブルがあったりしてねえ」と僕も答えると、そこからが違う。
「そこで、ちょっと考えてみました。何が問題になってて、どうすれば解決できるかを」なんつって、前回とはまーったく違う切り口を作ってくる。
しかも、その切り口は今やってるA社とのシステムだったり、戦略だったりを上手く使いながら、いわば、部分対応的に問題を解決するというやり方。
で、だいたい、こういうプレゼンをしてくる会社は、よくできたシステムとか戦略を作ってくるので、案外採用することも多い。
もちろん、A社の方もそのまま運用し続けるので、全然問題はなくまわったりする。
そういうC社はだいたい、その後も自分が作った切り口をもとにガンガン攻め込んでくる。
で、気が付いたら、A社に発注してた案件の年間費用のうち結局、半分近くがC社に払われるようになったりする。
で、そうすると次のプレゼンの時には、結局、A社じゃなくてC社が勝ったりするわけだ。
そういうC社みたいな会社、昔は欧米の会社よりも日本の会社に見られたような気がする。
欧米の会社は、あまりそういうのには興味無くて、一撃必殺みたいなやり方が多かったように思う。
だから、B社みたいにぐちぐちとは言ってこない。次のプレゼンの機会を待ってるような感じ。
でも、今は日本の会社は逆にC社みたいなのをやってこなくなった。
中国、韓国に限らない。台湾やシンガポールやタイやインド、マレーシア、とにかくアジアのやつらはねちっこく仕事を取ろうとする。
そのために手を変え品を変えを怠らない。
もちろん、一つ一つの戦略だのシステムだの企画だのは、まだまだ稚拙だったりする。
でも、B社みたいなのばっかりになった今の日本の会社よりも、一緒に仕事をすると圧倒的にきもちよい。
ちなみに、日本でもずっとC社みたいなことをやってくる会社も、もちろんある。
ま、やめとこう。
わかる人には多分、わかるはず。
いや東京から来たらそりゃ田舎かもしらんけど、地味にあちこちに面白い店あったりするんよ!
外の人間の知らんおいしいものもいっぱいあるんよ!水が軟水だし、風が関東ほど乾燥しとらんけー、冬場の髪肌にええんよ!
というか、休みはどんくらいあるの?
土日出勤上等とかでなければ、なんか習い事いくとか趣味サークル入るとかしてみるのもええかもしれんよ。
もともとやってる趣味があればそっちでもいいし、スポーツ経験あったらムダにあちこちある体育館で市民サークル的なことやってると思う。そういうのだったらたいして金もかからんし。
あとは、やってたらmixiの地域コミュとかにもぐりこんで、オフ会出るとか。
会社辞める辞めないは別として、やっぱり会社の人としかしゃべらんちゅうのは精神に悪いけんね。
もし転職するとしても、会社&プライベートのほかにもうひとつバッファになる場所を確保するノウハウちゅうのは絶対また役に立つことだから、適宜探してみてください。
気持ちが落ち着けるようないい友達できるように、祈ってます。
生まれてから、初めて手を握ってもらったときのこと。
暖かかったなぁ。優しかったなぁ。
二度とこの手を離したくないと思ったもんなぁ。
でも、離れてしまう。
そういうことの繰り返しがあるから、寂しいんだ。
衆議院、参議院、地元自治体の議員と調べてみると、マイノリティとの繋りを特に打ち出してなくて、「庶民派」とか「中小企業の皆さんの味方」とか、そういうのを売りにしている人、結構みつかるはず。
上記の記事を読んで言いようのない不愉快さを感じた。
はっきり言って「たまたま上手くいった例」の一つに過ぎない。
たまたま運良く東京に出られて、たまたま上手くコミュニケーションに合流できたラッキーな人ってだけでしょう。
出会いの場も沢山あるだろうし、おそらくそういう人たちのローカルなネットワークもいくつもあるんだろう。
自分に合わないコミュニティであっても、探せばすぐに自分に合うコミュニティが見つかるのだろう。
一方地方はどうなのかと言えば、狭すぎて疲弊したネットワーク、しかもそこからこぼれてしまうと、もう自分の居場所はまったくなくなってしまう。
そして厄介なのがこういうデリケートな情報は田舎では格好のスキャンダルとして逆に蔓延しやすいということだ。
だから東京においで?ふざけるな。