はてなキーワード: 魔物とは
いや、そのりくつはおかしい。不幸な自分が隣にいたとしても、その場いっときの気は紛れるかもしれないが、最終的には気が滅入るだけだ。同じように、自分も相手によって一時の満足は得られるかもしれないが、その流れのまま自分を幸せにすることなんて絶対にできない。元増田の言う幸せなんて一時のまやかしに過ぎない。
絶対にしてはならないのは、相手に自分の幸せを委ねること。これをすると、やがて心の中に「相手の望む自分」というわけのわからない魔物が棲むことになる。そして、どれだけ似たもの同士だといっても必ず存在する、相手と自分のギャップを見いだしてしまった時、自分を見失ってひどく戸惑うことになる。
だから、どっちが先かというとまず自分の幸せが先なのだ。だけども、自分の幸せだけに偏ってもろくなことはない(ここは元増田と同じ意見)。
駅に向かっていると、正面から高校生カップルが。ナオンがめっちゃかわいい・・・のに、男は俺と同様冴えない感じにしか思えない。
ま、まさか、こいつが伝説のブタッキー(本名:中森学)!?ギャワー、ナオンがブタの腕に絡みついたー!!ブ、ブタが許せん・・・。
地下鉄に乗ると、何故か正面の美少女(マジでかわいかった)にガン見される。な、何か悪いことしましたか?さりげなく股間をチェック。
あ、そうだった。今日はボタンフライだからいつもみたいにファスナーが勝手に下がってる仕様ではないんだった。じゃ、じゃあ一体・・・。
っていうかこの娘、降車駅(一緒だった)までずーっと俺をガン見し続けてるんですけど・・・見るのはいいけどみられるのはちょっとなぁ。
よくよく考えてみたら、ガン見されてたのは股間の魔物じゃなくて俺のガンメンだった。じゃ無きゃ目が合うわけないし。
デパートでちょっと試食をつまんで家に帰りました。
読書中毒なのかも知れない。
本を読みたくて会話おざなりになったり、約束すっぽかしたりしまくってる。
昔もヤバかったけど……何とか本から逃げられたと思ったのに、また戻って来ちゃった。
読むから悲しくなるのに、読むからやるせない想いを抱くのに……読みたくて読みたくて、ページをめくる手を止められない。そして、辛いのに、その辛い想いごと忘れてしまうのが恐くて、いつか幸せな結末が訪れるんじゃないかという気がして、何度も読み直して読み直して、変わらない結末に、もっともっと悲しくなる。
そう悲劇。悲劇を求めてる、渇望してる。なのにもう辛い思いは抱きたくないよ。大団円を見たいのに。
あ、そうじゃなかった。こんなのはどうでもいいんだ。
本は魔物、いちどハマってしまうと、たとえ一時的にやめられたとしても、ふとした拍子に再びはまり込んでしまう。創造を想像する快楽に。そして本にはまればはまる程、その物語に心動かされる程、現実は色褪せて、心はあちら側に引きずり込まれていってしまう。どうしよう、そこにあるのは抜け殻。
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「失礼します」
こんこんと2回ノックをしてからドアを開け、僕は面接室に入った。むだに広く、がらんとした感じの部屋だった。綺麗に拭かれたガラス窓の向こうにはヒルトンホテルが見えて、その向こうには都庁が靄のようにけぶる小雨の中に建っていた。
僕は背筋を伸ばし、用意された椅子のある場所まで歩いて立ち止まると面接官に対し、深くお辞儀をした。そして「ぶっ殺してやる!」と威勢良く啖呵を切ると、席に着いた。そして椅子に腰掛けると、おもむろにゲロを吐いた。これで第一印象はバッチリだ。
面接試験では、まず面接官にインパクトを与えることが重要だ。面接官は一日に何十人もの大学生を相手にしているから、同じような問答の繰り返しには飽き飽きしているのである。僕はゲロを吐きつつも、自己紹介を始めた。「亜細亜大学法学部卒の山西です!人を不快な気分にさせるのが得意です!趣味は飲尿です!」
面接官は僕の自己紹介を聞いた後、しばらく黙って僕の履歴書に目を落としていたが、やがておもむろに顔を上げて言った。「どうしてウチの会社に入ろうと思ったの?」
こういった類の質問に対して、例えば会社の大きさだとか職場環境だとかを、志望の理由として挙げてはいけない。それは消極的だし、保守的な回答である。
「それは…」 僕は少し間をおいてから、「亀の甲羅を利用した占いの結果です!」と元気に言ってそのあと間髪入れずに屁を2回こいた。
こういった発言をすることによって、普段から現実世界を離れて、スピリチュアルな呪術の世界と深い関わりを持っていることをアピールできるし、また、そのあとに屁をこくことによって屁の臭さをアピールすることができるのダ。
そんな風な問答がいくつかあり、やがて面接は終わった。帰り際に面接室の壁を思いっきり殴って、それから「このクソヤローども!オマエらなぞヌゲルゲスに喰われちまえ!」と言って、最後に「失礼します」と言って丁寧に頭を下げてから退室した。
エレベーターで1階まで降りてロビーを抜け、ビルの外に出ると雨は止んでいた。僕はひらきかけた傘をとじて、風の中を歩き出した。
適性云々が何か納得いかんので重箱の隅をつつくよ。
剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使いは魔物を剣で一刀両断にはできない。人には適性がある。それは、決して数直線上で簡単に語れるものではなく、無数に、四方八方に広がっているものだ。数学が得意な奴もいれば、走り高跳びが得意な奴もいる。
君達が語っているのは、頭の良さではなく“適性”じゃないのか。
ゲーム脳とは言わないけれど、ゲームはゲームであるために適性という仕様があるだけでそれを現実に当てはめるのはどうかと思うよ。例えをつつくのもあんまり良くないと思うけど、現実における適性の定義があやふやすぎるよ。花咲か天使テンテン君みたいにみんなサイダネでも持ってるのかよ。
適性というより能力と志向性の問題の気がするよ。
ただ
頭の良さをこう定義する。
頭の良さ=『自分の適性を見極め、それに向かって正しい努力をできる能力』
こう定義すればA君は頭が悪いと言えるし、確かに人生がうまくいっていない。A君が頭の良い人間だったなら、数学を専攻しているはずだ。
の部分における"頭の良さという能力はメタ"という部分はその通りだと思うよ。そもそも、頭が良いって能力じゃなくて評価だと思うんだけど、みんな自分が頭が良いっていいたいせいでカオスだよ。
評価だけあって元々が好悪に基づくものだから○○師は馬鹿とか頭が良いとか出てくるんだよ。尊敬できない奴はみんな馬鹿だし、嫉妬する価値もない奴もみんな馬鹿だよ。
最終的に何がいいたいかっていうと、思春期にはみんな「世の中には馬鹿ばかりだ」って思うよねっていいたいだけだよ。セカイ系万歳だよ。
頭の良い人論が白熱しているみたいだけれど、頭の良さってつまりはなんだい?
今までの議論を見ていると、やれテストの点がとれるだけじゃ駄目だとか、大事なのはコミュニケーション能力だとか、思考と行動のバランスだとか言われている。議論されるべきは、“頭の良さ”というひとつのパラメータの話であるのに、さも“頭の良さ”の中にいくつものパラメータがあるかのように語られるのは、“頭の良さ”というものをなにか別のものにすりかえられてるような気がしてならない。
君達が語っているのは、頭の良さではなく“適性”じゃないのか。
剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使いは魔物を剣で一刀両断にはできない。人には適性がある。それは、決して数直線上で簡単に語れるものではなく、無数に、四方八方に広がっているものだ。数学が得意な奴もいれば、走り高跳びが得意な奴もいる。
数学が得意なA君が、いくら走り高跳びの練習をしたって、走り高跳びが得意なB君には勝てない。適性がなければ努力は報われない。もし、A君が大学に行ってまで競技を続けて、体育学部かなにかに入ってしまったら、それは悲惨だ。A君はきっと「なんでこんなに努力しているのにB君に勝てないのか」だとか、「こんなはずじゃない。俺はB君よりできるはずだ」とか思うのだろう。悲惨だ。
A君はもっと早い段階で気付くべきだったのだ。高校時代で走り高跳びと決別し、大学では数学を学ぶべきだった。そうすればA君は偏屈な感情も持たずに、人生を過ごしていけただろう。
そう、問題はいつ気付くかだ。適性がないものに固執してはいけない。
頭の良さをこう定義する。
頭の良さ=『自分の適性を見極め、それに向かって正しい努力をできる能力』
こう定義すればA君は頭が悪いと言えるし、確かに人生がうまくいっていない。A君が頭の良い人間だったなら、数学を専攻しているはずだ。
もしあなたが何かをやっていて、それがうまくいかないとしたら、それはあなたに適性がないのかもしれない。
しかし、ここで誤解してほしくないのだけれど、適性がない部分も、努力によってある程度は伸ばすことができる。そして、社会には求められる仕事の本質的な適性以外の能力がある程度必要とされる場合が多くある。(コミュニケーション能力なんてその最たるものだ)
よく世間では、勉強に適性がある人のことを頭の良い人と呼ぶことが多い。それは社会がある段階まではそのようにできているからに他ならない。生活の大半を占める学校でテストの点数で評価されているからだ。もし学校が走り高跳びで成績をつけたら、あるいは早口言葉のうまさで成績をつけたら、と想像してほしい。
君達が今まで考えていた頭の良さってなんだい?
はてな村に多く存在する人たちが属する社会が求める適性が、頭の良さとして今まで議論されてきた。
社会が求める適性を持っていて、それを伸ばした人間が成功する。もし、社会が求める適性を持っていないなら、自分の適性がどのように社会に活かせるかを考えたほうが良い。なにもせずに既存のシステムに自分をはめてしまうと、成功するのは難しい。