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2008-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20081118195039

DNAうんぬんじゃなくて、女にとってその男が他の女に渡したくないヤツだからに決まってるだろうw

そういう趣旨のことをDNAがうんぬんいうエセ科学好きの女はいるだろうさ。

国だかどこかの病院だかが中絶したり離婚した女たちにアンケートみたいなのやってその中にいろいろと書かれていたのがあったと思うから、一度ネットで調べてみると増田が言ってるようなことも一部の意見だってわかるぜ。

離婚中絶者ってめちゃくちゃ離婚経験なし・未婚・中絶経験なしのマジョリティを無視してると思うんですが。しかも日本じゃねーのかよ……文化違うんだから一緒にするなよ。

結局男がどうこうでも自分が云々でもないよ。日本は。

結婚したらまわりが「子供はまだ?」「早く作らないと年取ってからだときついわよ?」「早く孫の顔を見せろ」「子供がいないと半人前」一人目が生まれれば「二人目は?」「次は男の子女の子ね!」「一人っ子はかわいそう」という周囲の抑圧に追われて産むか……となるか、もしくは周りのみんながやってるのにできない自分は欠陥品と思いたくないから作るか、まだ作るかどうか考えてないしもう少し先でもいいし、別に子供がいてもいなくてもいいと思っていたけどできたから産むかとか、将来のことを考えて面倒みてほしいから産むか、まぁそういう消極的な理由がほとんどだろ。産まない理由はいくらでも挙げられるけど産む理由なんて「できたから」それだけだよ。でもそれじゃだめだよって言ってるのがあの十一箇条で、ただそれを言われてしまうとできたからというほとんどの人にとって最大で唯一の理由付けが弱くなるんだよね。まぁ中絶しろとは言ってないのでできたらそのくらいの気概を持ちなさいよという風にも読めるけれども。

まぁ中にはいるよ。男を手放さないために子供作る人も。子供が好きだからっていう理由の人もいるけどね。理由なんて人それぞれ、ほんとうにそれぞれ全く違うんだからあなたが勝手にみんなそうだろwっていうのはなぁ。まぁ一部の人はそうなんでしょとしか。

手放したくなかったら殺すのが一番いいんじゃない。誰の手にも渡らないし、一番いいときの記憶だけ残ってるし。ストーカー殺人ってそういうのでしょ。

まぁでも普通の人はそんなことしないけどね。子供作るより結婚する方が早いし。どんなに浮気をされてても結婚してて離婚届に判を絶対に押さないと言えば離婚はできないわけだし、途中までうまいこと演じてだまして結婚までたどり着けば別に子供いなくても男を手に入れることくらいできるよね。

正直な、結婚したいからコンドームに穴あけましたとか平気で言える女という人種がいることに男としては恐怖を覚えるね。

なんつーか創作見過ぎだと思うぞ。もしそういうのばっかり周りにいるなら住む世界を変えてみるといいんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20081118194209

何を読み取ったのか知らないですが子供は授かり物なので優劣とかないとおもいます。

http://anond.hatelabo.jp/20081118193912

ひどい発言や行動をしないという意味での相手の選別は大事ですよね。

2008-10-18

妻をなめるな

http://anond.hatelabo.jp/20081018212017

 一度離婚の危機があった=妻に不満を持っている。

 ここ数年セックスレス=ほかに女が居る。

 この2つの項目だけで「夫は浮気中」と看板掲げているようなもんだ。

 奥さんは、みんな知ってる。

 でなければ、セックスレスなんてあるわけない。

 処女のうちなら男無しでも問題ないが、それなりに熟練したあとで干されたら、体のほうがうずいてきてなんでもいいから男ほしーになっちゃうぞ。自分がそうなんだから男ならなおさら……と思うだろう。

 奥さんはどう性欲処理していると思う?

 他の男と付き合ってるのかな? 

 仮に奥さんに他の男が居るとして「あなたとは夫婦でいたいけど、欲望は別の男に満たされたい」と言ってきたら、その関係は認めるんだよね?

 まー、それで子供が出来たりしたら「夫の子」として戸籍に入るわけだから、世の男どもは「自分がよその奥さんに手を出すのはいいけど、よその男が自分の奥さんに手を出すのはけしからん」とか言うわけだが。

 逆の立場になってもOKならば、まあ、何事も経験とやってみるのもいいけれど。

 もし、奥さんが黙って離婚届けを出してきたら、黙って判をついてやる度量は持とうな。

 追記。

 自分がやって良いことなら、奥さんもやって良いことですよね?

 って話なんだが。

 感情的な話し方じゃわからないのかなあ。男ってめんどくせーな。

2008-09-28

さよなら

この夏に離婚した。

あと2,3日で数年間過ごした家から引っ越す。

相手とは、もうずいぶん口すらきいていなかった。

できるかぎり顔も合わせたくなかったので、帰宅する時間をずらし、

リビングにいることも極力避けた。

お互いの存在意識的に消していたと思う。

そんなかんじだから、離婚届を出すときも必要事項をすべて紙に書いて説明した。

淡々とことは運び、夫婦ではなくなった。

離婚後にやらなければならないことが多すぎて感傷などに浸るひまもない。

あっけなかった。

あまりにあっけなくて、離婚したという実感がちっともわかなかった。

この週末は、ひたすら荷物の整理と片付いてなかった仕事に追われた。

まだ完全に片付いてないのだが、ちょっと休憩を取ろうと部屋を出たら

ドアの外に手紙が置いてあった。

手紙には、今までありがとう的なことと、体に気をつけてくれといった内容が書いてあった。

あんなに相手のことがいやでいやで、早く離婚して、

相手の存在そのものにおびえる生活から抜け出したかったのに

どこにでもある言葉が書かれた短い手紙を読んだら、少し泣きそうになった。

きらいになったり、口もききたくなければ顔も合わせたくないと思っても

ここにくるまでに相手と過ごした時間があったのは事実だ。

この先、私がいったい何年生きるのかわからんが、ほんの数年間でも一緒にいた人。

出会って、好きになって、ずっと一緒に生きていくのだと思っていた。

だけど、互いの道はもう二度と交わることはない。

離婚届を出しても、苗字が変わっても、あまりピンとこなかったが

今さっきこの手紙を読んで急に実感がわいてきた。

これでほんとうにさようなら。

私は、やっとさよならできる。

2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080724035950

プログラマーお仕事

あたし・・・実は・・・プログラマーなんだ。

ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。

でも、どうしても言えなかったの。

あたしがプログラマーだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。

わかってる。わかってるよ。

プログラマー初級シスアドを通った人だけがなることができる、カスタマープロフィットに関わるシリアスビジネスだって。

でもね・・。

でもね、全然ちがうんだよ。

あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。

あたしは汚れている。

あたしのキーボードは、汚れているんだよ。

プログラマーになったとき、すごく嬉しかった。知り合いのハッカーになったような気でいたの。

あたし馬鹿だから、お客様ビジネスを作るんだ!なんて、本気で思ってた。

でもね、全然違ったんだよ。

元請から言い渡された Sヨ の詳細設計仕様書は全く別のものだった。

お客様ビジネスを、まるでビル・ゲイツのように平等に助けるようなものじゃなかった。

あたしたちプログラマーに課せられた任務、・・・・それは、デバッグ だった。

生きるべき仕様と、それ以外のバグのふるいわけ。

そして、それを見守ること。

ねぇ知ってた?

この世界には、あるんだよ。こんな日本のど真ん中にね、平然と、あるの。

どうなっても大丈夫バグっていうのが。

プログラマーはね、それを見守るの。

プログラマー六本木ヒルズホリエモンで、勝ち組特権階級の象徴だからね、

そこにあるだけで、まるでビジネスが行われているかのような錯覚を起こさせる。

あたしの仕事は、そうやって、平等にビジネスが行われているかのように見せる暗幕みたいなものだったの。

ソフトウェアなんて、全然、救えなかったよ。

救う義務も権利も、この任務にはなかったの。

例え、その仕様がどうすれば助かるか、明確に解っていたとしても、

あたしたちは元請の命令が無いかぎり、何一つのコーディングもできない。

苦しいとサポート電話をかけ続けるクレーマーがいても、

あたしたちにはパッチ仕様変更も与えることはできないの。

ただ、ただ、走って火消し屋を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。

でもね、この国の「火消し屋」は非常に貴重な存在

火消し屋は稀有な存在

夜なんかになれば、一つのフロアにどこからともなく現われるの。

たくさんのプログラマーたちが、一人の火消し屋に群がっていた。

先生、コアを吐いている人がいます!」

先生、表領域が苦しい人がいます!」

先生サニタイズが弱い人がいます!」

先生デッドロックでもがいてる人がいます!」

懸命にプログラマーたちが叫んでた。

でも火消し屋は一人。

私も声を荒げて「苦しい言い訳をするプログラマーがいます!」って叫んだの。

でも、ここでもふるいわけが始まる。

人員レベル、難度、納期。そんなものが現象と一緒くた になって命令が言い渡される。

「とりあえずスタックトレースを」

と言ったきり、火消し屋は朝までチームのもとに来れなかったの(お客さんのところに言い訳に行った)。

その日、10秒ごとに Mantis の履歴が増えた。

「苦しい、苦しい、まだ苦しい」

「もう少しだけ待ってください、今火消し屋、来ますから・・」

何度も火消し屋のもとに走ったけど・・・。

火消し屋は、今にも心臓の止まりそうなお客さんと仕様と納期の折衝にあたっていた。

あたしは火消し屋に背中側から叫んだ。

「null チェックを入れても、まだぬるぽみたいなんです!」

「ガッ!」

コメントアウトの行数を上げた。でも駄目だった。QA からの質問は止まない。

そのバグだけじゃない。

トイレに連れて行ってください(コンプライアンス的な意味で」

「基板が焼けたから替えてください」

「エスタロンを飲ませてください」

「ブートが走らないんですが」

「眠れません」

デバッガを走らせる。

忙しさにコードが荒くなる。

残業時間が 400 越えたプログラマーエレベーターに乗って外に出て行こうとする。

遠くのフロアで、缶コーヒータバコの売り切れ音が聞こえる。

必死にあたしもふるい分けた。

今、一番検収ハネられる危険があるバグから、一番仕様満たしてないバグから、手を差し伸べなきゃ。

「いつになったら納品されるんだ!」と言われても。

「単価高い」と言われても。

私は頭を下げたり、ちょっと言い争ったりもしながら、

バグが、バグが、バグが」と言う人のとこに走ったよ。

家から家族が消えていた。離婚届をかいていた。

あたしはカーネルだ!と思った。

一刻を争うバグ対。火消し屋に聞いてる時間は無かったの。

あたしは火消し屋の指示を待たずにロジック検査をした。差分プログラミングの extends だった。

急いで火消し屋に連絡した。

「差分プログラミングの extends です。継承元のコードいじっていいですか?!」

「いや、コードを見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」

コードは胸を掻きむしるようスパゲッティしていた。

「待てません!リリースします!」

あたしは火消し屋の指示無くパッチコミットした。バグの症状はスッと納まった。

それは駄目なことだったけど、一人のバグを救ったことに、あたしは浮かれてたの。

貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々と自席に戻ってきたの。

自席の・・・・

自席のモニターの一台の波形が、フラットになってた。

あたしは急いでスタックトレースに飛んだよ。

でも、亡くなってた。

ログを吐けないプロセスさんだった。

システムコールも呼べない人だった。

あたしは、その日、目の前の苦しいバグに夢中で、ps なんか見てなかった。

それでもね、・・・あたし、まだ、プログラマーなんだよ・・。

火消し屋は QA に「いつ何があってもおかしくない COBOLer の書かれたコードでしたから・・」と時間稼ぎの工作をしていた。

QA のテスターは「ありがとうございました」と額に青筋を浮かべてバグレポートに「仕様です」と書いて取り下げた。

そして、あたしにも「プログラマーさん、ありがとね」と言ったの。

大好きな、ソフトウェアだった。

このシステムが立ち上がる頃から知っていて、αリリースから知っていて。

「自分は寂しがり屋だから、最期は dankogai に手を握ってもらいながらホッテントリ入りしたい」と言っていた。

あたしが新人の頃から知っていて、viカーソル移動が苦手だったのも知っていて、

Xenix はわしが育てた」が口癖だった。

「まぁ、・・・歳だったし、運用中にも止められないって言ってたからなー」

と火消し屋があたしの背中ごしに言った。

あたしは GC モニターの記録を見てたの。

その記録には、波形が Full GC 後もヒープ使用量が右肩上がりとなりメリリークするさまがしっかりと記録されていた。

高負荷だから死んだんじゃない、そこにはメモリリークで死んでくプロセスがあった。

でも、そんなこと全部まるめこんで、kill んじゃって仕方ないっていうプロセスが、そこにはあったんだ。

似たようなことはざらにあった。

何人ものプログラマーが、自社ビルの屋上の端から零れていったよ。

でも、あたし・・・プログラマーなんだ。

誰も、辞めろって言わないの。

火消し屋は鉄火場にブチ込まれただけだから、言わない。

顧客は実情がわからないから、言わない。

プログラマー同士は実情がわかってるから、言わない。

IPA はきっと、全部知ってて、それ込みで「それが10年は泥のように働けということだ」と言うかもしれないけど。

いや、言わないか。IPA は、何も言わない。きっと。

救えたかもしれないバグを、プログラマーは一番わかってる。見えてしまう。

PM の指示が適してないのも、判断が遅いのも、仕様変更履歴がのってないのも、全部わかってる。

それでも「あの時!」と、自分の行動と判断を何度も振りかえる。

その向こうにはいつも「あのとき、こうしておけば」が、くっきりと見える。

でも、救えなかった責任も、見過ごした責任プログラマーには問われない。

プログラマー仕事は、責任を負うことじゃないから。

プログラマーって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。

プログラマーなんて、なんの仕様検討も許されていないのに、

パッチ一粒すら出せないのに、

設計一つ指示できないのに、

テストパターンに関わることなんて、一つも独立してできないのに、

テスト部門が持たされてるのはプログラマーコールだけなんだよ。

どんなに辛くてもプログラマーしか呼べないなんて。

そしてあたしたちは色んなものを抱えて、バグの前に立つ。

火消し屋が来ること、来れないこと、

できるデバッグがあること、ないこと、

SIer未来、残された時間

色んなことを知りながら、本当の意味世界を変えられるコーディング力もないままに、

さも救いのギークが舞い降りたかのような顔で。

IT ギョーカイが崩壊していく。

全然止められない速度で。

その日○製作所の城で、あたしは見てるんだ。

沈んでいく汎用機の命を。

それがね、2008年プログラマーお仕事



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不謹慎かつ日本語崩壊でサーセンwwww

医療な人とコンピュータな人ってネット上見てる限りにおいては親近感抱いてるっぽいよね。

2007-10-16

家族って何ですか

私には血縁上の家族がいます。父、母、姉がそれです。

しかし、私の中では姉だけが家族と呼べる存在なのです。

父に関連する一番古い記憶は母がパチンコ店に電話し、アナウンスで父を呼んでもらい電話越しに喧嘩をしているものです。

私の父は酒とタバコを嗜む人でした。

母や私、父方の親戚がいくら言っても酒とタバコを続けていました。

そのうち父方の親戚が、父が注意されても酒を飲み続けるのは母に責任があると言うことを迂遠な言い方でなじるようになりました。

私は小学生だったのでそういった話しは理解できませんでしたが、雰囲気で母と父方の親戚にあるわだかまりのようなものを感じておりました。

そのことで父と母は度々言い争いをしていました。

そして、そんな家の雰囲気がイヤだったのか、姉は市外の高校に通い寮に入り家をでました。

それから、姉が実家に帰って来ませんでした。

その頃になると父は手が震えるようになっておりました。

詳しいことは分かりませんがアルコール依存症ではないかと思います。

その事により親戚は母を責め、それによって更に母と父が喧嘩をするようになりました。

私は家を出ていった姉が酷く羨ましかった。同時に頼る相手の居ない孤独を感じるようにもなりました。

中学になった私は成績が悪いと母に烈火のごとく怒鳴るようになりました。また、父や親戚の愚痴を私に話し、父との喧嘩が頻繁に起こるようになりました。

そのころから、父は会社休み、父の実家で酒を飲むようになりました。それにより、親戚から電話で父が仕事もせず酒びたりで恥ずかしいから父の実家から連れて帰れとの電話が掛かるようになりました。また、仕事に行かないために会社からも呼び出しの電話が掛かるようになりました。

その為、父を父の実家から連れ帰るのですが、父はしばらくするとやはり父の実家お酒を飲むということを繰り返しました。

中学3年のある日のことでした。帰宅した僕を赤い顔の父がおかえりーと言ってへらへら笑いながら出迎えました。

そのとき、私は怒りと悲しみで胸が一杯になったのを今でも覚えています。

私は高校生になり地元高校に通うようになりました。

父は中学時代と同じように酒を飲み続けおりました。

ある時、父が糖尿病となり入院し酒を止めるよう医師に言われ酒を止めるようになりました。

しかし、半年後には再び酒を飲むようになり会社を辞めさせられました。

父の仕事先の知り合いと一緒に会社を興し、真面目に働くと父は宣言しました。

私と母はそれを信じ喜びました。

その知り合いと会社を興しましたが、やはり再び酒を飲むようになり仕事をせず、知り合いと喧嘩をし父の実家で酒びたりとなりました。

そして、数社の銀行から督促状が届き分かっているだけで数十万円の借金をいつの間にかしていました。

このことを父に尋ねると、「何故勝手に俺宛ての手紙を開けるのだ」と怒ってきました。

次に返すあてがあるのかと尋ねると「お前には関係ない、お前に迷惑掛けたか?」と言い放ってきました。

私はその傲慢な態度と言葉に怒りがこみ上げ、殺そうと思いました。殺して自分も死んでしまおうと…。

壊してしまいたかった。消したかった苦しいだけの現実を、未熟な自分自身を…。

出来なかったのは自分の保身と姉を巻き込むことになることとやはり父親だったからだと思います。

その後、父と母は離婚することになりした。

離婚する際、父方の親戚から祖母から父が相続した田畑、家、土地は我々の思い出であり、先祖代々守ってきたモノであると言う話しを聞かされ、所有権は我々にあり父が死んだ時には私が相続するなと言う話しを聞かされた。また、養育費などもお金がないので出すことは出来ないと言ってきました。

挙げ句、こちらも父については迷惑を掛けられており父の被害者である主張し始め、終わりには金銭的余裕がなく慰謝料などを要求してもムダだと言うニュアンスを込めてきました。

このお前達に一切の金銭を渡さないと言う主張を3時間程度に渡り聞かされました。

私はこの一連の騒動により父と言う存在を消しました。

そして、父と繰り返し言い争い毎日のように愚痴を言う母もまた母と言う存在から遠く離れた存在になりました。

その頃、姉には結婚を考えていた方がいたのですが、相手の親から離婚した子供結婚などとんでもないと反対され姉はその方と別れることになりました。

常に思うのです。

私には私が嫌いな父と母の血が流れており、そんな両親の子供である私は酷く醜く不完全な人間なのではないかと・・・。

最近、母から父が酒を止めて仕事をしているらしいと言われました。父は白内障で失明するかもしれず、足が痺れて苦労しているらしいとも聞きました。

どうすることが良いのかわかりません。

父を許したいが許せない心。

全てを投げだし自由に生きたい気持ち。

姉にこれ以上迷惑が掛からないよう全てを私が引き受けて生きるべきだと言う気持ち。

誰かそばに居て欲しい気持ち。

その人に迷惑を掛けるので独りで生きるべきだと言う気持ち。

バラバラになった家族が同じ食卓で食事をすることはもうないのでしょうね。

離婚するとき父と母の話し合いとはとても言えない話し合いが行われました。その話し合いを見て吐き気がしました。涙が止まりませんでした。

離婚届保証人の欄に自分の名前を書くことが辛かった。

親という存在に失望した。何故執拗に僕に人間の醜悪な面を見せるのか。

好きでいたいのに、嫌いになりたくないのに、親という存在であって欲しい、家族でありたい。

2007-09-16

指輪の話

※最初に書いておきますが内容はかなりきわどいかも・・・

不快に思われる方は、どうかご遠慮ください。

結婚する前のお話です。

彼(今の主人)は3年ほどニート結婚指輪を買うお金も無くて婚約指輪はお姑さんからいただいたもの。正直指輪、当時嬉しかったです。でも本当は彼からほしかった(←我儘です^^;)

結婚指輪2と婚約指輪がセットになった初売り広告を目にしました。彼ではなく、自分の貯めた貯金を崩してこれを買おうかと思いました(確か30万だった)何度もみつめてました。

でもね、気乗りしない彼。それはナゼ?

自分の車を買い替えたいと30万は車の頭金に(入籍してたのでいちおう夫婦だったし)

当時友人からとても深い悩みを打ち明けられ熱心に相談にのっていて 主人を一番に据えていませんでした(身内にがまんさせるとこ、あります)

・・・・ぶっちゃけすぎですが包み隠さずいえば夫婦生活を優先せずに話しにのっていたわけです。

入籍してしばらくして、様子がヘンなことに気がつきました。

婚約祝の品(お姑さんの指輪)のお返しとして

奮発して買ったコート(おきにいり)を着て外出、帰ってきたのですがどこにいってきたの?という問いに対して不明瞭。おかしい。

女のカンが働く。

お姑さんに相談。まさか、と本気にしてくれない。

でもやっぱりヘン。

後日、証拠が上がる。

相手の方との待ち合わせ、自分の特徴をコート(私のプレゼントしたもの)着てるからとか知った日には落ち込み&怒りが湧き上がる。 着ていくな??!(怒

で、家族会議。最初、しらばっくれていたけれど証拠を親御さんに提示しましょうかといってからは急に開き直り、私が構わなかったからと。エッチをさせなかったから出会い系に走ったという。

私にとって結婚してすぐに別れることは非常に恥でした。両親が住んでいるど田舎の家に出戻りでもしようものなら部落の人から陰でなんと言われましょうか。目に見えています。

それからもう、恐怖で。させなかったら他の人にいくのだと。

する!といえばしたくなくてもしました。ムリは、いっぱいしてました。※長い年月をかけて回復、今は今日はちょっと、っていえるようになりました。

結婚式に必要だからと、シルバーリングを買いに行きました。

眠い、と機嫌が悪かったのでめっちゃ気を遣っていました。ずっと、ずっと顔色とか窺っていました。

思い返していまここに書いてない辛かったことやとても楽しかったこといろいろあるんですけど 好き、だったんですよねぇ。

大幅に脱線しました。指輪の話です。

”間に合わせでシルバーリングだけど、10年後にプラチナリングを買ってほしい”

って約束しました。相手も買うよ、と了承←当時車ほしさから

でも、忘れるにはらたいら3000点(クイズダービー

”買ってくれなかったら、別れるからね?シルバーリングの効力は10年だから。目の前かいなくなっちゃうよ?”ともいいました。

一度で忘れること必須の人なのでその後何回かいってあります。

でもきっと重要視していないだろうなぁ。忘れてて買ってくれないとおもう。

へんなところで頑固なのは昔からで 決めたことを押し通してきました。

そのとき相手との関係ではなく 小さな約束、守られたい覚えていてほしいことが守られるかが私にとって重要です。

ヘンですよね。自分でもわかっているんです。でも、守られたい。

結果が出て翌日書置きと離婚届を置いて突然去るのか 次の日もそれからずっと傍に居るのか。

訳のわからないのは得意です。

今のところ決定事項であり 覆すつもりはありません。

残りは6年とちょっと。

クリスマスイブ指輪を持って主人が現れる・・・ちょっぴり期待してます。

2007-03-15

こんな発表があったら日本各地ではてなユーザーが見事なコケをみせる

昨日結婚ネタが出ていたので思いついた。

こんな重大発表アレ

はてなシリコンバレーで作ったよーできたよー的な発表があって、何ができたんだと思って見に行ったら

だったら、なにつくっとるんじゃーい、と突っ込む。そして

もあったりなんかして、副産物のほうがでかいわ!とコケて10分ぐらい立ち上がれないと思う。

こんな重大発表でもアレ

アメリカっぽく!

…自分のダイアリーに書こうと思ったけどアメリカ人の人に怒られたらやだからこの文章は増田においとこっと。

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