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はてなキーワード: 茶の間とは

2009-05-09

PS3WebブラウザFLASHゲームを遊ぶ

・・・という使い方があまりプッシュされていないのはなかなか勿体ないのではないかと。

ちなみに我が家ブラウン管テレビで「星探」や「鍵のち扉」をやってみせたら家族に大好評だった。マウス必須だったけど、USB接続マウスなんて我が家には1つか2つは余分に転がってるので特に問題もなかったし。

その他、脱出ゲームやTD系ゲームの類を、茶の間家族とあーでもないこーでもないと言いながらやるのも良いかも知れない。

参考
星探
http://nekogames.jp/mt/2007/05/post_16.html
鍵のち扉
http://escape-game.com/dak.html

2009-01-26

ニコニコ動画不快コメントは「茶の間のオカン」である。

前に「他の人が演奏してくれた音源に、うp主が絵をつけてみた」という趣旨の面白い動画を見ていたが、コメントの中に「演奏うp主がしている」と誤解しているのが少なからずいて、その度に「投稿者コメぐらい読めや」とギスギスしたコメントが飛び交って大変であった。

そのうp主が普段は「演奏」と「絵」を両方やっていたので誤解されたのだろうけど、「コメントくらい読んでくれよー」とその時は思った。しかし最近その認識が変わった。あれは「茶の間テレビを見ているオカン」である。

つまり

テレビで何か出てくると解説が入る前にオカンが「何だろあれ」と言ったり、ぼうっと見ているためコーナーが終わった後にオカンが「あれ終わったの?」と言ったりするようなものである。

これをネットに置き換えれて考えれば、動画の説明コメントを読まずにコメントしたり、動画の内容を把握せずにコメントしたりする人は「ディスプレイの前のオカン」である。怒りも自然におさまろうというものである。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081111053810

いっぽうその頃,

カシオFX502Pになんかの雑誌で手に入れたゲーム(セグメント表示)プログラムを必死に打ち込む俺。カセットのイヤホンジャックプラグを挿さないままフルボリュームでピーヒャラガッを茶の間にお届けしてしまう俺。

2008-10-19

昼ちょっと前に起床。テレビをつけたら、『笑っていいとも!』がはじまるところ。最初のコーナーが長引いている。「テレフォンショッキング」の時間が短くなるんじゃないかと、毎回勝手にいらない心配をする。

テレフォンショッキング」が終わるころ、やっと布団を出る。トイレに行く。茶の間で親と適当にしゃべる。部屋に戻って、布団をたたんで、座布団に座ってテレビタモリはいつも早起きで大変だなあ、でも、それだけの金はもらってるんだろうなあ、案外割のいい仕事かもしれないなあ、とか考える。

読みかけの本を読みはじめる。10分くらいで飽きてきて、中断。テレビの上に、せっかく買ってきたのにまだ読んでいない本が、7,8冊ある。どんどん増えていく。

 アコギを弾こう、と手にとってみると、弦がゆるゆる。「弦を毎日ゆるめておかないと、ネックが曲がる」と誰かから聞いて、昨日の夜、さっそくゆるめて寝たんだった。面倒臭えなあとかなんとかブツブツ文句を言いながらチューニングする。チューニングし終わってジャカジャカ弾いてたら、3弦が切れた。アコギの3弦は、もうストックが無いんだった。あーあ。仕方がないから、エレキギター用の4弦を張ってみる。鳴らない。ビャンッ、ビャンッと頼りない。タモリのせいだ。

ギターにも飽きてきて、腹も減ったし、そろそろ朝飯でも食うか、と台所へ。冷蔵庫を開けたところで、今ごろやっと目覚まし時計が鳴る。…目覚まし時計のくせに、オレより遅く起きるな!心構えが成ってない。5分前行動するくらいの気持ちでやってほしいもんだ。タモリを見ろ、タモリを!

納豆ご飯、みそ汁お茶を、なんとか無理していっぺんに持って部屋に戻ったら、扇風機につまずいて、あやうく全部こぼすところだった。タモリのやつにスキを見せると、こういうことになる。油断禁物だ。

古い扇風機だから、倒れた拍子に金網がとれて、それでもしぶとく回っている。そんな扇風機を見てたら悲しくなってきて、テレビタモリに向かってリモコンを投げつけてやろうかと思ったけど、リモコンが壊れたら嫌だからやめた。

笑っていいとも!』が終わって、チャンネルをそのままにしておくと、『ごきげんよう』がはじまってしまう。あれを見てると、なぜだかものすごく恥ずかしくて、背筋に寒気が走って、外へ飛び出して走り回りたくなる。どうにも耐えられなくて、「あっ!」と声を出してしまうときもある。

テレビは面白くないから消して、音楽を聴くことにした。昨日買ったばかりの、ホフディランアルバムを聴こう。うん、かっこいい。1曲目は、そのまんまどこかで聴いたことがある気がしないでもないけれど、かっこよければすべてOKだ。タモリにも聴かせてあげたい。

遅めの朝食を終えて、横になる。動くのが面倒臭い。1時間くらい自分と戦って、やっと立ち上がって歯を磨き、顔を洗う。また横になる。テレビをつけたら昼のドラマをやっていて、ついつい最後まで見てしまう。そのままの勢いで、ワイドショーも最後まで見る。ワイドショーを見ながらまた自分と戦って、番組の終盤になって、やっとヒゲを剃る決心がついて、ダラ、ダラと剃る。本を読んだり、アコギを弾いたり、レコードかけたりしながら、またまた自分と戦って、夕方になってようやく立ち上がって、寝癖を直しに洗面所へ。ここまでで、起きてから4時間もかかっている。いつものことながら、自分が情けなくなる。あぁ、タモリ

PM5:45からバイトだから、いつもPM5:00には夕飯を食べる。PM5:00という約束になっているのに、うちの親はいつも、「片づかないから、早く食べちゃいなさい」とかなんとか言って、PM4:30にはもうばっちり夕飯を準備してしまう。

「早く食べな」

「食べな食べなって言うのは年をとった証拠だ」

「ゴチャゴチャして片付かないから、いいから早く食べな」

「さっき朝飯食ったばっかりだから食えねえよ」

「じゃあ食べるな」

「急いで食うとウンコが硬くなるんだよ」

ウンコが硬くなるのもタモリのせいだ。

バイトまでまだちょっと時間があるから、アコギを弾く。新しいことを覚えようとしないから、弾く曲はきまってオアシス奥田民生だ。そろそろ飽きてきたな。

 「だれかギター弾いてるんですか?外まで聞こえてますよ。息子さんですか?なかなか上手いじゃないですか」

 玄関先で声がする。新聞の勧誘だ。親のご機嫌をとっている。でも、残念でした。ご機嫌取りも、無駄努力ですよ。うちの親は巨人ファンだから、あの新聞しか読みません。タモリになんとかしてもらえよ。

ちょっとのつもりで横になったらそのまま寝込んでしまって、起きたのがPM7:30。バイトは完全に遅刻だ。仕方がない。電話して休むことにした。読書テレビギターレコード読書テレビギターレコードで一日が終わる。気がつけばもう、日付も変わって朝方だ。タモリはもう、とっくに寝てるんだろう。もうすぐ起きる時間かもしれない。

週に5日間、文句を言わずにクルクル働いて、休日ささやかに遊ぶ。すばらしい!僕もタモリさんのような、立派な勤め人になりたいです。どうすれば、なれるんだ。

2008-09-06

人を否定しなきゃ自分を肯定できないなんて惨めなだけと彼女は泣いた

「と彼女は泣いた」っていうのは昔の歌のフレーズで何となく借りてきただけです。

私に彼女がいてその女性が泣きながら何か言ったってわけではないです。

私は女。

私には幸せ癖がない。

今日も一日自分をほめることができず

自己嫌悪を数えて終わった。

父の顔には笑い皺がある。

私の顔には眉間の皺がある。

現在私は仕事に就いていて普通に働いてはいるけれど、

人と上手に関われないことをとても苦しく感じていて、

人の優しさや好意をたびたび踏みにじってしまう。

私は思い通りに物事が運ばないと不機嫌になり、

黙りこんで一言もしゃべらず不機嫌さを周囲にぶつけてきた。

自分でもそんな人間でいたくないのに、

なんで自分の気分を抑制できないのか、

自分の事さえも思い通りにできないことに苛立ち、みじめになる。

みじめさがつのると思い出す場面。

まだ多分、幼稚園にも通っていなかったのじゃないかな。

茶の間に敷かれた絨毯の赤い色。古いふすま。

私を叱り終えて茶の間から出ていく母。

叱られるべくして叱られたのかまでは覚えがない。

(いつも母は気分で怒っていたり優しかったりしたから)

茶の間に残された私はめちゃくちゃに気持ちが乱れていて、

泣きわめきふすまに向かって何かを投げた。

「ふすまを破いたり壊すようなものを投げると

 また母が飛んできてさらに私を怒鳴りつけるに違いない」

投げたのは肌布団か何か、布製の柔らかいものだったように思う。

その場面が一気によみがえったあとは

眉間の辺りに消化しきれずに残った澱のようなものが漂っているような気がする。

そんなものは実際見えてないのに忌々しさだけがあって、ますます皺が深くなるじゃない。

お母さん、私はお父さんとお母さんに本当に本当に本当に感謝しているよ。

いま私が30半ばで独身であることを思うと、20代前半で私を生んだお母さんは

お父さんと一緒にがむしゃらに一生懸命に私と兄を育ててくれて、本当にすごいことだと思う。

でも、お母さんのような人にはなりたくないってずっと思ってきたし今でも思ってしまう。

なんでなんだろう。悲しい。

悲しいのだけれどやっぱり、お母さんの事を私、誇ることをためらってしまう。

ずっと一緒に暮らし続けてきて、これ以上お母さんと一緒にいたら

私はどんどん腐っていくような気がして私は家を出ようと決めた。

自分が望むように家にとどまらない私に向かって

引っ越しのその日もお母さんは近所中に響き渡る声で私を罵ったよね。

離れて暮らし始めてから叱られることも感情をぶつけられることもなく、

たまに訪ねたり一緒に出かけたりするのを通して、

母は普通の人よりもずっと弱い人なのかもしれないって

客観的に見えるようになった。

お母さんには悪気なんてなくって、ただ無邪気で単純な人で、

むしろ私達兄妹のわがままをいっつも叶えようとしてくれて、

本当に私達を大事に大事に守ってきてくれたんだよね。

なのにお母さん。

私はこんな年齢にもなってお母さんのせいだ!ってまだ時折はらはらと泣いているよ。

でも本当は私はお母さんの事が好きじゃないのではなくて、自分の事が全然好きになれなくてつらいのだよ。

2008-03-07

他人のふるまいが許せない社会

平城遷都1300年祭・マスコットキャラクターについて

内容の当否は別にしてメールで抗議している人々の品格の無さに驚く。

20代

[性別] 男

[メッセージ]

センス無いわ。さっさと廃業したら?

↓あんたの書いたキモイマスコットの評価を知ると良い

http://blog.livedoor.jp/・・・・・

この人が提示しているURLはおそらく、「痛いニュース」だろう。

しかし普段の「痛ニュー」は、モンスターペアレントクレーマーなどを侮蔑すべきDQN行為と認定するような編集方針があると思う。

これは「痛いニュース」を見て、他人のDQNな行為に呆れるような人でも一歩違えば自分がDQNクレーマーになってしまうということを示しているのではないだろうか。

もう一つ。

J-CASTニュース : 読売記事で「会社員」ブログ炎上 「炎上して当然」発言が引き金

21世紀の今になってイソップ童話なみの教訓話が実話で見られるとは思わなかったが、それはともかく

この会社員は、ブログで騒ぎをあおり、不用意発言は「炎上して当然」と言った、と記事で紹介していた。

この騒ぎで、「会社員」がブログに書いた過去の記事が次々に非難の対象になった。07年7月26日ブログ記事で、マクドナルドドライブスルーの車が邪魔になって駐車場に入れないと店のスタッフ恫喝し、看板を何度も蹴り上げていたことが分かった。また、08年2月17日の記事では、自転車同士がぶつかりそうになり、高齢者男性が転んだにもかかわらず、そのまま逃げたことを告白していた。

会社員」は、読売の記事で、「(自らのブログで)相手の名前や住所をさらしたこともある」とされていた。ところが、2ちゃんまとめサイトに自分の個人情報がさらされた。すると、3月1日ブログ記事で、「私の発言がハンドというペナルティだとしても、個人情報ネット上にばら撒くのはルール違反です。レッドカードです」と訴えた。

この会社員は他人が行った不用意発言や不道徳な行為は「炎上して当然」だとしながら、自分が同じような理由で炎上した場合は大目に見てくれという。

こうした事例は今の日本社会道徳意識が非常に端的に表れている例なんじゃないかと個人的に思っている。

産経新聞企画溶けゆく日本人」に出てくるようなワガママ人間を目にすれば誰だって気分が悪くなる。しかし、そういうワガママ不快感を抱く人が沢山いるのは間違いないのに、かといって日本社会モラル全体が向上したという話は聞かない。

これを考える鍵が上に挙げたクレーマー炎上ブログの例にあるように思える。

要するに他人の言動が自分にとって不快か否かだけが重要なのではないか。ミーイズムを憎悪するミーイズムとも言えるのかもしれない。「お前たちは私が不快にならないように振舞え」というふうに。

(個人的な経験から言っても、他人のモラルに厳しい人が自分にも厳しいモラリストだった試しがなかった)

また、少し前に「斉藤さん」平均視聴率15%超 「カッコイイ」10代支持という記事があった。

こうした茶の間反響に、担当の西憲彦プロデューサーは「ティーンが見るとは思わなかった。日本人はまだまだ正義感が強いと思った」

などというが、これも実際に正義感が強いのかどうかはわからない。

単に自分の気に入らない人間を叩いてスッキリしているだけかもしれないからだ。

現実では「斉藤さん」みたいな存在を「せっかく秩序だった社会ができているのに、それを破壊するわがままDQN」というふうに扱っているというのは、いかにもありそうだ。

2007-12-25

カウントダウン

祖母が痴呆症になった。

もっと身近な言葉で言うとボケた。

ボケって言うと「夕飯はまだかねぇ?」「さっき食べたじゃありませんか」的な物だと思っていたけど

なんか全然違った。違いすぎたから気付かなかった。僕も家族もみんなみんな気付かなかった。

ある日、家の前に誰かがいると言い出した。

不安に思った母は父と僕に外を見てきてと言った。

すこしビビリながらも見に行ったけれど誰も居ない。気配も無い。

そんなことが何度か続くと祖母の発言はすべて「気のせい」で始末されるようになった。

それでも祖母は不安げな顔で誰か居る、誰か居るといい続けていた。

気付けるはずの「芽」は他にもあった。

あそこにしまってあったあれがない、盗まれた、と騒いだり

昨晩の電話は誰からだった?とかかってもいない電話の相手を知りたがったり

それでも僕も母も父も気にも留めてなかった。今思えば気付かないほうが不思議なのに。

そんなある日、祖母が風呂に入ると言い出した。

真昼間、午後2時ごろの事。

いつもは夕食を食べた後に風呂に入る祖母がおかしな事を言うな、とは思ったものの

寒い日だったので湯船に浸かって温まりたいもかもしれないなんて呑気な気持ちでOKした。

けれどもちろん風呂など沸かしていない。

それを告げると祖母は自分で準備するから大丈夫だと意気揚々と浴室に向かっていった。

それから数十分経っただろうか。

そういえば祖母はどうしただろう。

ふと気になってトイレに行くついでに浴室のほうへ向かうと祖母は風呂桶に向かってぼんやりと立っていた。

「どうしたの?」

「ガスがね、つかないんだよ」

故障か?そう思って祖母のほうに駆け寄って風呂を見る。

元栓すら捻られていない給湯器を見て僕は唖然とした。

何年も触ってきた給湯器の使い方を祖母はすっかり忘れてしまっていた。

「おばあちゃん、僕が治しておくからこたつに入って待ってて」

僕はそれを言うのが精一杯だった。

祖母は、男の子は頼りになるねぇと言って茶の間に向かっていった。

じっとからっぽの風呂釜を見ていたら理由はわからないけど涙が馬鹿みたいに出てきた。

ゆっくりとでも確実に祖母はボケて行って、今では一日中ぼんやりと座っているだけになってしまった。

かと思えば突然しゃきしゃきと掃除なんかを始めたりする。

動くと当然トラブルも起こる。だって記憶どんどん消えていってしまうのだから。

僕は祖母が好きで、(共働きだった両親がいない時間はいつも祖母と過ごしていたから)

でも祖母の異変に気付けなかった。

母は祖母のいない場所で露骨に嫌味を言うようになった。

父はそれを知っていて知らないことにしている。

祖母はどんどん小さくなっていく。

どんどんどんどん小さくなっていく。

僕はそれを止めることが出来ない。

祖母は「体と言う入れ物」と「魂と言う中身」が別々になってしまっているみたいだ。

それがいつか完全に別々になってしまうのじゃないかとふと思った。

たとえ肉体がまだ生きていたとしても、祖母の記憶が消えてしまったら

それはある意味ではその人の死なんじゃないだろうか。

突然カウントダウンが始まったみたいで、ただ悲しい。

2007-04-23

テレビ見ないよ

http://anond.hatelabo.jp/20070423104250

バラエティはつまらないし、アニメも見ない。

出勤するまでの間だけNHK総合をつけておくくらい。

実家は、茶の間に人のいる間は基本的にテレビがついている(見ていなくても)。

姉の所も似たような感じになっている。

んーWBSとか面白かったから見たいんだけれど、このごろ寝るの早くてさ。

2007-02-28

いまさらWiiを手に入れてRimoを触ってみたんだけども、これはもうあれなんだな、俺みたいなネット依存症人間だともう通常の感覚でいうところのテレビパソコンが入れ替わっちゃってて、パソコンはなんとなく起動してるもんだけど、テレビはなんか目的がないと点けないっていう、そういう人種にとっては厳しいサービスなのかもしれないな。茶の間行ってテレビWiiの電源入れてインターネットチャンネル起動してRimoアクセスしてって手順踏んでまで「ダラ見」はしねーわ。

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