はてなキーワード: うへぇとは
※トラバはしてますが話題はマイコーじゃないです。マイコーにハマった若者のちょっと迂闊だったかなって発言に対して、ちょこちょこ考えてみたって文章です。ちなみに私自身は、マイコーは大好きです。
http://anond.hatelabo.jp/20091107102619
そもそも「マスゴミ批判」っていうのがあまりにも短絡的なんだよね。もちろんマスメディアがアレなのはみんな知ってるけれども、じゃあ無かったらどうなる?ていうかマスコミ以外はゴミじゃないの?それって、庶民の第四の権力に対するルサンチマンじゃね?とかとか、いくらでも(一定以上教養のある)オトナは考える。
ニコニコのマイコー動画を観ると「マイコー=神」「マスコミ=神に対する反逆者、ゴミ」という安直なコメントが目立つけれども、あそこのサイトは年齢層が下がるほどアクティブユーザー率が高いので(そもそもニワンゴの親会社であるドワンゴはガキんちょに着メロ買わせて儲けまくって会社だった)、教養ある人は苦笑いで見てます。
そして、その賢い人たちはニコニコが非同期型コミュニケーションであり議論が成立しえないことは理解しているので、それに対する苦言は動画上ではしません。荒れるだけだって分かってるからね。よって、あそこには声のでかい極論ばかりが残ることになる。
マスゴミって単語そのものが2ch内でも痛いとされている板、それをコピペしてるアフィブログ、ニコニコ、それぐらいでしか盛んに使われていないので、気をつけた方がいいです。教養ってもんは文章内の単語のはしっこから判断されます。
国語のテスト(笑)とか言ってたんで中高生かと思ってたら、大学は通ってんのか。うへぇ。
ブコメへ。
「国語のテスト」と表記するのは高卒がいるからだと思う。現に私は高卒。 / 一般的人に教養はいらないような気がする。配達員が大学の資格持っても……あればいいけど、使うことはない。大卒資格よりも免許の方が大事
なんていうかな、決してあなたをバカにするわけじゃないんだけれども、ああ高卒の友人に「教養」を語るとこうなるよな、と懐かしい思いがした。(最近は大卒でもそうなんでホント学歴差別で言ってるんじゃないです)
まず前提として、「教養」ってんのは純然たる知識量とは比例しないんで、「大学教育を受ければ教養人」「院卒なら教養人」「読書人なら教養人」ってんのとは違うんですね。
具体的に名前を挙げると失礼かもなんですが、小飼弾さんとか私の数倍本を読んでいるし、先日出された本では「IT界の知の巨人」などと言われたりしていますが、率直に言えば彼は無教養なんですよ(多分ですけどいわゆる教養人はみんなそう思っていると思います)。無論それは彼が大学中退だからとか、最終学歴は中学だからとか、そんなことは問題じゃあないんです。端的に言うと、彼は「いくら本を読んでも学ばず、知識量そのものが増えつづけるだけ」のマシーンのような方でして、特に社会科学、人文系に関する発言はそれはもうボロボロです。
小飼さんを馬鹿にしても意味がないし、彼はオープンソースだのPerlの世界だので頑張ってるから後の戯言は笑って聞き逃してやれよとも思うので話題を戻すと、じゃあ「教養」とか「知(知識、ではないよ)」とか「常識」ってなんなの?っていうと、一言で表現するならば「だまされない力」「主体的に判断できる力」「他者の意見を受け入れて、それの薫陶を受けつつも、鵜呑みにはせず、考えを止揚させていける力」といったところでしょうか。
つまりですね、「マスゴミは糞だ、信じるな」と言われて「そうだな、糞だ!」と言ってるようじゃダメなんです。いわゆるメディア・リテラシーといってマス・メディアの情報の真偽を自分で判断する力を、増田さんはロクに持ってないですと暴露してしまっているんですね。
ネウヨの話をもうひとつ挙げるならば、「民主なんかが政権を握ってしまった、日本オワタ」「麻生さんがよかったのに」ってんのも、全然ダメじゃないですか。けれども、じゃあ民主があの支持率通り素晴らしい政党かといえば、それも違うじゃないですか。
あなたは教養なんていらないと言ったけれども、残念ながら間接民主制において経済学の知識と政治学の基本、各政党、政治家の特徴に関する知識が皆無なまま生きていくのは、実はかなり危険なことなんですね。私は高卒でも中卒でも、職人のような技ができたり、人望があったり、そういう人間は尊敬しています。が、そういう人だとしても、教養なんか無意味かというと、そりゃあった方がいいと思うんですよ。
年収200万代の知り合いが小泉の郵政選挙で自民党に票を入れたとき、「おいおいお前は共産党に入れた方が絶対に得すると思うぞ」と思いました。私はその時は自民でしたけど、それは率直に言えば金があったからであって、彼の場合左翼政権下の方がとりあえずうまい飯は食えるってことが分かっていない。
何度も言うように「知識」があっても考えられないやつはバカなんですが、「考えるために必要となる知識」はないと困るんですね。本来「教養」とは、よりよく生きるため十分条件ではないですが、必要条件ではあるのです。(必要・十分条件をもしご存じないならばググってください)
話が散漫になってしまい、申し訳ない。「教養」という言葉に関する認識が違ったようなので、できるだけ多めに例を挙げてみたのですが、うまくいったとは言いがたくてごめんなさい。
もちろん勉強することと他のことをするのはトレード・オフ(知らないならググってください)の関係にありますので、そこらへんの兼ね合いは各自にまかせればいいと思っていますが、ある程度は勉強、した方が得だと思いますよ。やっぱり。
http://anond.hatelabo.jp/20080407154245
この問題には、ほとんど興味がなかったのですが、そんな突っ走っている連中がいるんだ?
今回の件は、中国が経済的にも目立っていて、この間まで共産国で、現在でも実質には共産党一党独裁による気まぐれな資本化政策が行なわれいるので、国際的に叩かれているだけかと思っていました。
事実、中国のチベット政策と似たようなことは、ロシアもアメリカも行なっております。もっと歴史的にみれば、イギリスやフランスといった、今日の中国バッシングを率先して行なっている国々でこそ同じような政策を取っていました。アフガニスタンやクルドの人々は、今現在、かつての彼らの所業の犠牲を今でも受けています。こうしたことは、アフリカでもそうですし、パキスタン-インド-バングラディッシュにおいても今現在、苦しんでいる人たちがいます。
そういう風に、中国だけを叩けばそれで済む話ではないのに、何故に中国だけが槍玉にあがっているのか理解できない。という感想を持っているので、この問題にはあまり興味がありませんでした。
しかし、日本においてもネット上だけでしょうか、問題に乗っかってお祭騒ぎをする連中が増殖しているというのは、違和感を通り越して恐怖にすら思います。
Nifのフォーラムとかパティオと同じ臭いがして、マジでクサい。
何だ、近藤つーのは、Nifとかの時代の人か? いや、それより若いだろ? つーことは、やっぱ日本文化? うへぇ。
さて。
優越感ゲームって言葉を聞いた時「ちょっと違うんじゃねー」と言葉の定義を考えたが、最近はそもそもその現象に“中身がない”ってことに気付いて「ああ、こりゃ確かにゲームだわ」と実感した。
中身が多少でもあれば「優越感・ゲーム」というニュアンスではなく「自己上位承認の取り合い」(必要なのは、相手に認めて貰うことであって、相手を打ちのめすコトじゃ無い)と思うんだけど。
今は、相手を打ちのめして、相手より上に立つ「ゲーム」なのだから。
ウォーシミュレーションだってルールはあるんだが、このゲームにあるルールは「相手を打ちのめせればなんだっていい」ってだけのこと。
ソースが不確かだから伏せるが、著名な小説家(故人)が、著名な詩人を「アイツの詩は嫌いだ。だって、奴はハゲなんだぜ!」と罵ったことがある……と聞いた。
凄い。これは反論できない。この小説家からすれば「ハゲ如きが詩をろうじるなど言語道断」といった趣だ。
つまり「うっせぇ! 黙れピザ!」というのもなかなか趣深い反論である。
何しろ「俺はエライ お前はエラくない」を宣言するのだから、必然的にそうなるだろう。素晴らしい戦術だ。
その一方で、気の利いたテーゼなんかしたり、人のテーゼに同意したりしながら状況を乗り切る(kanoseの人みたいに)と、対話する相手には事欠かない。
「うっせぇ、ピザ!」もその内に芸になる。気に入らない奴に、ピザラベルを貼るという、素敵なブロガー(pgrの誕生だ。
よかったな、この方法でもステークホルダー(pgrにはなれるはずから、やってみてはどうか。
俺はやらない。無意味だから。金を稼ぐ手段は別にあるしな。そういう承認要求も優越感もイラネ。あー、金が貰えるなら……いや、めどいから止めておこう。
http://anond.hatelabo.jp/20070424170219
そんなもん、アルミナム・グループとか、イエロー・バルーンでどうやって盛り上がれっていうのかね。たまたま脇にあったCDだけれども。
「私、アンユージュアルウィーも持ってるよ」
「それはすごいですね」とか?
俺がCD持ってる時点で少なくとも一万人以上は知ってるじゃん。全然マイナーじゃないし。
でも相手がその一万人の一人だとは普通は思わないわけじゃない。だから知ってる前提で話なんかしないじゃん?
だいたいぼくは音楽好きってヤツのノリが嫌い。
【追記】
http://www.arch-records.com/id_BEAT25.html
アンユージュアルウィーが再発されてる!?うへぇ。
相手の中身を変えるより相手自体を替えたほうが楽ってこと
相手側を変えるきっかけに自分がなれるなどと夢想してはいけない
これに執着しすぎて、人生を無下にしてしまった人が数多く居るっていうのは、悲しい事だよなぁ。
でも負けない! まだ頑張る!