2024-09-11

ロックであること

ロックは常に反逆者であり続けた。

反体制であることがロックの証だった。

体制伝統押し付け旧態依然とした価値観押し付け、不平等押し付け大衆言葉には耳を貸さなかった。

そんな父権を振りかざす体制に敢然と異を唱えるのがロック役割だった。

 

しかし今、体制大衆言葉に耳を傾け、不平等是正し、新しい価値観への脱皮を促すようになった。

体制は、妙に聞き分けのいい、子供に優しい大人になってしまった。

敵対する父権というエディプス・コンプレックスが失われた時、ロックは何に対して反逆し、何に楯突けばいいのだろう。

 

日本ロックは今や何かに楯突くことをやめ、愛の歓びや美しい努力や出逢えたキセキばかりを唄うようになってしまった。

拓郎や尾崎が魂を振り絞って呻いた、切実な訴えはそこにはない。

 

ロックは何かを成し遂げてしまったのだろうか?

ロックは、定年退職したオジンのように、もはや何も社会に貢献することがなくなった抜け殻なのだろうか?

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