世間で評価されているものを理解できない時、何らかの蓄積を理解できていないと考えるべきかもしれない。
世間の評価には理由がある。歴史かもしれないし、物語かもしれないし、金銭的価値や社会的価値かもしれない。
一度、その評価の裏にあるものを理解しようとすることが大切だ。
例えば、ある映画が高評価を受けているとする。自分には全く響かない。だけど、その映画には長い歴史や深い物語が詰まっているかもしれない。あるいは、その映画が大きな社会的意義を持っているかもしれない。
だからこそ、それの何に価値があるとされているかを慎重に検討する必要がある。その上で、自分にとってどう価値がないかを言語化する必要がある。
「なんでこんなものが評価されるのか理解できない」と口にする前に、その理由を探る。自分の見解を深める。それがアンチの務めだ。
ただの否定は誰にでもできる。そこに知性が伴わなければ、単なる騒音に過ぎない。
世間の評価を理解し、それを否定するための知識を蓄える。それが本物のアンチの仕事だ。評価を否定するためには、その評価が何故生まれたのかを理解しなければならない。
世間の評価を理解し、その上で自分の意見を形成する。それが本物のアンチの姿だ。理解した上で否定する。それが真のアンチの務めだ。