ネットで二郎完食!みたいな写真見て、もやしが浮かんでたりするといや完食しとらんやないかって昔思ってた。自分が食いに行った時は律儀に「完食」してた。
最近はまあ面倒臭くなって、そこまでの完食ポリシーに対する情熱は薄れてきた。味噌汁のシジミの中身を食べないのは未だにちょっと解せないけど。ほなパエリアの具も出がらしだからって全部残すんかい。
食べ物を残す残さないのポリシーとは別にとして、はっきりと認識出来るレベルで食えるものがまだ残ってる状態を完食って呼ぶのは違うよなって思う。顕微鏡で見ても茶碗に米の成分が残ってない状態は無理にしたって、やっぱ米粒残ってたら完食とは言えないだろって思う。おれの言う状態まで「完食」すべきだとかそういうのとは別にして、単に言葉の使い方として。
まあ人並みに社会性はあるので、便宜的に世間一般の感覚に則って完食の状態を認めるようにしてるけど、やっぱちょっと気持ち悪いなって思う。
この言葉の使い方に対するこだわりと苦言を共有したくてたまらない。でも世の中言葉の意図を邪推する人が多いし、「こういうのって完食じゃないよね」って言ったらおれの言わんとする趣旨を付け加えても人の食い方に口出しするウザい奴と勘違いされそうで怖い。実際言葉一つに拘泥するウザい奴ではあるし。