つまり、科学が今後発展するに従って、全ての宗教的奇跡は「この奇跡は、○○(関係者)によるこの行動が、
○○現象(科学現象)をひきおこすことで達成されたものです。なので、この奇跡は本当の奇跡なのではなく、
単なる科学的帰結です」といった説明がなされるようになるのだと、個人的には信じている。
いや、それは宗教や宗教的儀式を信じているということではない。
例えば、宗教的儀式で病気が治った、みたいな典型的な奇跡は、宗教的儀式によって治ったのではなく、
儀式と関係ない誰かの病人に対するひょんな行動がその治癒につながった、と科学的に解釈される日が来ると思っているのだ。
つまり、宗教的奇跡には、宗教的儀式とは関係ない行動があり、それが奇跡とされる行動に繋がったのだと、科学的に説明される日が来ると信じているのだ。
すなわち、全ての宗教的奇跡は、非宗教者から嘘扱いされて全否定されるのではなく、
科学的視点から「科学的現象であって、奇跡ではない」と分析され、理解される日が来るのだと思っている。
科学は、宗教的奇跡を科学的現象と変化させ、それらを包含するものなのだ。
むちゃくちゃ稀な現象、一回しか起きない現象は「科学」にはなりにくい 歴史は繰り返す、と言うけど中華王朝の興亡にしろバブル経済の生成と崩壊など、似たような現象は人が知る...