2023-05-17

「檄」が現役で使われていた時には「檄を飛ばす」は慣用句でもなんでもなく実際にそういう行為をしている場合のみを指していたはずだよね。

まり、檄を使わない決起の呼びかけや叱咤激励を「檄を飛ばす」とは言わなかったはずだ。

檄というもの過去遺物認識されるようになってはじめて「檄を飛ばす」は慣用句としての用法を持つようになったと考えるのが筋だろう。

その時、「檄を飛ばす」はどのような意味を持ち得たか?ということが問題だ。

本来檄文において激励は決起を促すこと前提の手段だったと考えられる。激励のみが目的檄文というのは存在し得ないだろう。

慣用句意味が、その本来動作目的(決起召集)に焦点を当てたものになるのか、手段(激励)に焦点を当てたもののどちらになるものなのかは微妙問題だとは思う。

ただ、激励のみの檄や決起以外を目的とした激励をしていた檄の事例が容易に挙げられないことを考えると、決起の意味が優勢かな。

あとは結局、慣用句として成立した当初、どういう意味で使っていたのが多数派だったか証拠をあげずには、雑学書のみならず辞書NHK文化庁採用している説に反論してみたところで安直な反権威主義しか映らない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん