2022-05-15

第二の大衆

第二の大衆とは、大衆集団でありながら、その大衆ではないという否定した、または否定された人たちによって生まれ大衆である

これは最初に生まれ大衆否定し、しか大衆性質全てを否定することはできず、大衆が持つ特徴、属性はそのまま持っている。

また、第二の大衆大衆によって否定されたという特徴がある。大衆から否定された、大衆へのカウンターとしての大衆である

簡単に思いつく第二の大衆とは、インターネットによって生まれた、5ch(2ch)である

彼らは、大衆から否定された哀れな存在であるが、また大衆を恨んでいる。そのことが彼らを大衆側に立たせず、大衆文化を恨むことにつながる。しか大衆の特徴を完全に否定することは叶わず、彼らもまた操作対象になる。

彼らは操作される大衆を見下すわけだが、彼らもその見下す特徴を持っているのだ。

第二の大衆は、大衆によって排除されることによって生まれる。

例えば、風評被害というのは、大衆批判するための言葉だが、この言葉を用いるのは大衆によって否定された人たちである。(否定された者たちは事実という言葉を使い、大衆を見下す。)

そうなれば、第二の大衆の仲間入りである

つまるところカウンターカルチャー的であると言える。カウンターカルチャーは文化による対抗であるが、大衆に対して、対抗することは新しい国民を作ることぐらい難しいく、つまるところ自浄力を持つためには、大衆批判する内部の大衆必要なのであるが、その役割を担うのが第二の大衆であり、彼らは一部メディアによって操作される。

しかし第二の大衆が不幸なのは、彼らは大衆によって否定されたが、その否定の原因は大衆にはない。つまり大衆否定したところで彼らが救われることはない。統治者による大衆コントロールするための仕組みに過ぎない。

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