ただ、not for meの増田や他の増田やブクマカの言語化した面白かった/面白くなかったという気持ちを読んで行って、徐々に何がダメだったのかわかってきた。
さよなら絵梨は他の人が書いてるようにとても"余白"の大きい作品だと思う。
解釈は読んだ人に委ねます、といったスタンスで作品自体が明確な答えを用意していない、あえて見せないようにしている。
自分は自己肯定感が低いので、自分に解釈を委ねられてもその解釈を信じられない、間違っていることや頓珍漢なことを考えてしまうのが怖い。
たぶんこの手の作品が好きな人は前提を自分で決めながら自分の解釈に自信を持うことができる自己肯定感が高い人なのだと思う。
そして、それが否定されることを恐れていない、というより否定ではなく"議論"として捉えることができるのだと思う。
自分は自己肯定感が低いので別意見が書かれると、「私の考え方はこうだけど、そういう考え方もあるよね」と思うより「自分が間違っていた」と思ってしまう。
さらに、その"余白"を埋めるために事前知識が必要というのも自己肯定感を落とす要素なので嫌いだ。
自分はこんなことも知らないのか、とダメな自分が見えてしまうから。
そして、極め付けは作品が曖昧だから苦手的なことを書くと「解釈は人それぞれなんだから思った通りで良いんだよ」って言われる。
そういう作品だから無理なんだよ!ってところを優しさやフォローつもりで言われ、更なる断絶が浮き彫りになる。
余白を各々埋め合って、それを互いに話しながら新たな発見や考え方を知って楽しんでくださいねって類の作品は確かに明確な答えを求めるタイプの子には向いてないかもしれない 最近...