最近七歳になったばかりの娘がいて、彼女の物心がついた頃、何となくでも過去の思い出を話せる頃、っていうと三歳の頃からになるので、そうか彼女にとって人生の半分はもうコロナ禍なのかと。
「with コロナ」っていうと一般的には、多少の感染は諦めましょう、自粛しすぎず経済回していきましょう、みたいな事を指していると思うのだけど、彼女にとっては今の自粛している状況がすでに with コロナになっているんだなって。
どういうことかと言うと、彼女の発言や行動を見る限り、現在の手指消毒励行・常時マスクな環境がすでに当たり前になっていて、なんら不便と思っていない。そもそもコロナ禍以前の彼女の世界はほとんどが家族と共にある時間で、そこには大きな変化がないから当たり前と言えば当たり前なんだけどもね。小学校の行事や授業の内容に関しても、自分たちからすればずいぶんと残念な状況で時に悲しくなったりもするのだけれども、彼女たちは違う。なぜなら現状が彼女たちにとってデフォルトだから。
だから親として心掛けているのは「あれが出来なくて残念だね」「こうだったら良かったね」と、そもそも彼女の人生に未だ存在していないものを嘆くののでは無く「コロナでもこれが出来て良かったね」「そんな工夫で上手くやってるんだね」というポジティブな言い換え。コロナ禍以前の人生を多く知る大人がどんなに残念に思っていても、彼女の人生の半分を残念なものと評価するような事は避けるべきだと思う。
潔癖至上主義の社会になったらこれまで以上に少子化が進んで崩壊していくかもな。濃厚接触しないと子供は産まれないんだし。小さい頃から極端な衛生観念叩き込まれた子たちがどう...
それは…。あり得るな。うっかり消毒を忘れると娘に怒られる。