うー(オンドゥルルラギッタンディスカー)
おかしいやろ。
可愛いは作れる。
これが岸田メルを中心に組み上げられた2010年代のオタク萌カルチャーだったはずだ。
ウマ娘はその時代に産湯に使った生粋の平成末期オタクカルチャーの申し子だったはずだ。
その中身はおじさんによる可愛いの量産であるべきであり、モーションキャプチャーの原型もおじさんによるべきだった。
バビ肉文化の集大成としてのモーションキャプチャー利用による女体化こそが可愛いに憧れるおじさんにより生み出される現実の可愛いを超えたフィクションの可愛いを貫かなかったのは何故だ?
おじさんが中に入っているからこその安心感、おじさんによるおじさんの幼稚園であることの信頼が何故裏切られたのか?
必要なのか?
中身にリアル女が?
リアル女の作り出す可愛いは所詮「私ってかわいい」でしかないのだ。
それはモーションキャプチャー先のキャラクターに魂を託した「俺は可愛くないが、だが俺は可愛いを知っている」という周年の果に生まれる究極のネカマパワーとは相反するものだろう。
ウマ娘よ。
お前は魂を見失ったのだぞ
骨格が違うと面倒なんじゃ
かーっ穢らわしーっ 三次元女の骨格を反映してチンケなリアリティに逃げるなぞオタク文化の敗北じゃけん