まさに自分がそう。
インターネットを見ていると思うね。世の中すごい人ばかり。いや、すごい人しかいない。
さっきなんてTwitterでガンプラを組み始めて数ヶ月なのに熟練のモデラー並みの作品作ってる若い人を何人も見かけた。
趣味にそこまでの熱意をそそげ、かつそれを結実させることのできる彼らのような人間が大勢いる現代。そもそもの熱意がないヤツは論外だし(熱意がないがゆえにニュートラルな視線で物事を見れる人もいるがその人達は除外。熱意がありすぎるが故に空回りしてしまうオタク・タイプでも才能が全ての社会なので才能があればOK。ない場合は論外だが。)、熱意があってもそれを結実させられないヤツも論外である。ガンプラにしても前述の才能のある若い人たちがいる反面、稚拙な改造や下手な塗装をしてキットを台無しにしている中高年もいて人生の悲哀を感じた。
才能があり、それを結実させられる人間と自分とでは人間としての差が大きすぎる。無能が有能の手を煩わせることはあってはならない。無能な自分は「社会に出れば案外変わるかもしれない。なんとかなるかもしれない」なんてヤワな期待は捨て、ニートになるべきなのかもしれない。ニートに向けられる社会の厳しい視線に耐えることこそが無能な責務なのかもしれない。