オタクってのは「何が好き」かじゃなくて、「どうするのが好きか」かと思うが
目的を目的としてるのはオタクじゃなくて、目的を手段化してるのがオタクなんじゃね?
たとえば
魚が好きって見るのとか食べるのが好きで毎日してるのはオタクかってちがうって感じするわ
魚が好きだから逆算的に魚にたどり着く情報になんでも興味をもったり
(結果、魚が好きなのか魚を目的として相対的に魚があるという情報の収集に興味をもつ)
(アイテムにはデザインとして魚が用いられているけれどもそれ自体は魚とは関係ないもの)
魚に対して通常ではないアプローチを試みる
(魚「の魚としての身や見た目」ではなく魚自体の存在や魚の生活(魚目線)について行動する)
魚と人間の関係性という「目的」ではなくて、その「目的」のための手段、理解や飼育や啓蒙、それにまつわるモノやコト
人がそれを魚と呼んでいるものの位置づけと情報について興味や嗜好があることかと思うけど
映画オタクは、出演者の関係や生活や出演の裏話とかもその人柄や歴史もあわせて
自分が手段として持っている映画の話をして、自分という価値観を語りたいわけなんじゃね?
何にしても、そいつが「歩く○○だ」みたいなことになるってことがオタクなんだとおもうが
数だけこなして使い道を知らなかったり使いどころがなかったり使えない人間は
オタクってのが装備を使える状態で持ち歩いてる人間戦車みたいなものだとするなら
ただの輸送車みたいなものだと思うので、数ってのはオタクというには必要な要素じゃないというか
数はもちろんあっての、その上での話なんじゃねえのかな