今回の五輪に批判が高まったのは、「なぜ、私たちは自粛や行動変容が求められているのに、オリンピックはやるのか?」という問いだ。それぞれにとって大切なことや、人生をかけてきたことが失われている中で、どうしてオリンピックは特別なのだろうか。開会式はこの問いに十分答えてくれなかった。一応医療従事者は出して、感謝はしたけれども、式典はほとんどアスリートについてばかりだった。コロナでアスリートは大変だった、アスリート、アスリート。それで五輪の意義、世界の連帯がといわれてもちゃんちゃらおかしい。アスリートたちが集まって、アスリート同士で連帯ができたとしても、私たちとアスリートの間に溝があるのだから、世界が連帯するということが難しくなっている。
じゃあ、どうすれば良かったんだって?うーん、溝を埋める方法は思いつかないけど、せめて、溝があるということを、無視しないでほしかった。溝があるということを認めて、バッハ会長が頭を下げてお願いすればすこしはマシ。バッハ会長が来日した時に、「24日の8時に、東京でオリンピックをやるために来たんです」といったのが癪に障った。そこは「やらせていただく」だろう。オリンピックはこれからだし、閉会式やらもある。バッハ会長には、コロナ禍での開催を引き受けた国民に対し、頭を下げたうえで帰ってほしい。
見てから言おうぜっていったけど復興五輪は俺の感性では一瞬も把握できなかった
国民はお出かけしているし五輪楽しんでいるしな。 国民の敵であるコロナ脳と医療関係者が騒いでいるだけなので。 コロナ脳と医療関係者はバッハに謝罪すべきかもしれない。