半身を起こさないと鼻をかめないことを初めて知った。重力は涙を頬に伝わせるだけではなく、体内にも平等に働いていて、寝たまま鼻をかもうにも、喉の方に鼻水が落ちてしまう。
ベッドで泣き伏せるのに、枕に染み込むと乾きが悪そうだからタオルケットに涙を吸わせようとか、鼻水がタオルケットに付くと面倒だから鼻をかもうとか、頭のどこかで現実的な事を考えている自分が嫌になるが、冷静さが頼もしくもある。まだ我を失っちゃいない。
枕を濡らすなんて言葉もあるが、相当追い込まれていないと、文字通り枕を濡らすことはないんだろうなと思う。てるてる坊主のようにタオルケットをかぶり、鼻が詰まって耳の感覚がおかしくなってきたら身体を起こして鼻をかみ、ティッシュを枕元のゴミ箱に捨てて、またタオルケットをかぶる。子供のように後先考えずに泣けたら、もう少し気持ちが晴れるんだろうか。
泣き止む準備ならできているが、身体が追いつかない。頼んでもいないのに、涙と鼻水が次々に生産されて、身体から出ていく。なぜかロケットえんぴつを連想する。次々に押し出された芯が、ペン先から飛び出していく。頼んでもいないのに。
自分の情けなさが途方もなく悲しくて、それで泣いているのに、泣いていることが情けなくて、泣き止むことができずにいるのも情けなくて、情けないことが情けない。堂々巡りよりも悪い。同じところを回るのではなく、ドリルで穴を掘るように、回転しながらどんどんと奥に進んでいる感覚。こんな場所に来るつもりじゃなかった。
回転といえば、このまま寝てしまう前に、扇風機を止めないといけない。せめてタイマーをセットしないと。次に鼻をかんだときにでも。