そんな複雑な話じゃないような。
具体的な自分好みの可愛い彼女像がわからないけど、理想や現実など関係なく自分にあった人、一緒にいて楽な人が全ての人間にとって実は理想だったりはするけど。
ただ人っていうのは基本的に社会性があって、その見栄の中で生きてる。
だからどうしたって理想的って言うと世間的に理想形の外見と性格を持った人を選んでしまうというか。
俺はこの人が必要だ、と思えるかどうかであって、そこに過分な要素を付け加えるわけでもなし。
多分「理想の彼女ができない自己が許せない」、という心象風景とこの過分な見栄の部分は相当関連性がある。
自分にも他人にも実は何かを要求しながらコミュニケーションを取ろうとしてる。
つまりは自分のイメージが完ぺきじゃないから対人恐怖してしまったり、水準に見合わないからいらない人が寄ってきたという感性が働く。
競争原理が内面に働いてるのに気づかないと、なんか人とうまくゆかない、というぼんやりとした印象を抱えることになる。
例えばキャリアやスキルならそれに見合った仲間ができないのは不満だろう。
それはよく分かる。
でも単純な人間関係の場合大多数は自分のやりたいこと、知りたいこととは無関係なので、普通に暮らす分には自分が望んだような人間関係なんて形成されないと思う。
>>どっちかと言えば俺なんて大したことない、という捨て去る部分が残ってる それ。 で、自己肯定感とか何とかの話にたどり着いたが、ほとんど効果を感じていない。 堂々巡り。
いや、肯定じゃなくてむしろ捨てる方。 例えば自分のイメージと違うこといわれてたら大小嫌じゃん。 だけど人気者ってそういうの気にしない人多いんだよ。 自分のイメージ通りに他...
確かに捨てることができていない。 捨ててしまうと何も残らないような気がしているが、何も残っていない自分すら認めましょうってことなのだろうか。 やっぱりよくわからない。
基本的にそれ。 なにもない自分もやんわり許してあげましょう、と言う話が自己肯定の本当の姿。 世の自己肯定メソッドは曲解されてると思う。 で、そうなると無個性なのかといえば...
>>なにもない自分もやんわり許してあげましょう これは今現在できていない。 自分好みのかわいい彼女を手に入れることができていない自分はどうしても許すことができない。 この...
そんな複雑な話じゃないような。 具体的な自分好みの可愛い彼女像がわからないけど、理想や現実など関係なく自分にあった人、一緒にいて楽な人が全ての人間にとって実は理想だった...
半分ほどは理解できたのだけど、残り半分ほどがどうにも理解できない。 ただ、自分が何に不満を感じ、何を満たしたいと考えているかはなんとなくわかった。 これからの行動や心がけ...