弱者男性は、身だしなみを整えようとしない、風呂に入らない、勉強など上に上がるための努力をしない、女性に攻撃的、と偏見で決めつけられること。
弱者女性がいるなら弱者男性も同程度いて、その原因もおなじようなもの、本人も同等に抜け出すための努力をしている(あるいは同等に学習性無力感にはまっている)、という想像力がはたらかずに偏見で批判する人が多い。
なぜか弱者男性にだけ公正世界仮説が適用されて、その境遇にいるのは本人に落ち度があったため、と断罪される。
だから「弱者男性の弱者性を認めろ」の反論は、「なぜ弱者女性が存在しないと思うのか」ではなくて「弱者女性だってこれこれこういう偏見被害を受けている」であるべき。
あと、弱者男性も弱者女性も異性から嫌われないように努力すれば「無害なモブ」になることはできる。
そこから異性のパートナーを得るためには、男性から女性に積極的に声を掛けなければならない。
それが無害なモブごときのくせにワンチャンあると夢見て私を口説こうとしてきやがった、と加害行為にとらえられるのが、弱者女性に比べて弱者男性は加害をおこなうと見られる原因。