友人のほとんどは大学院に進学していたし、当時付き合っていた彼女もまだ仙台にいたので、地震が起きてからみんなの安否がわかるまでは気が気ではなかった。
関東の人が「大変だった」みたいな話をするのを聞くたびに、その程度のことが大変だったとか言ってるんじゃねぇよみたいな気持ちになる。
震度7の揺れとか、携帯電話が繋がらなくて公衆電話に並んだとか、停電のなか星がすごく綺麗だったとか、そういった経験を聞くことはできても、どこまでも想像でしかない。
あの時仙台に居たかったという思いが少しだけあるまま、そんなことを誰かに言えるわけでもないので、そのまま10年が経った。
「復興支援」といったものに積極的に参加しているわけではないけれど、このモヤモヤがいつまでもあの震災を思い出させてくれるので、たまに石巻に観光に行ったり、遠野に河童を探しに行ったり、磐梯の温泉でゆっくりしたり。
そんな関わり方をこれからもできれば良いのかなと思っている。
うるせー。 大変だったものは大変だったんだ。 誰かの大変を馬鹿にするな。 てめーのはただ、地元のやつらに疎外感を感じているだけだ。 その人が体験した震災こそがその人の震災だ...
私は神戸で大学時代を過ごして卒業後に就職で茨城県へ,で阪神淡路大震災。 その後に東京赴任から10年を経て大阪へ転勤,で数年後に東日本大震災。 なんかムズムズと後ろめたさみた...