しかし、ふと、このアプローチは同性同士で結婚したいという思いを持つ人のため、多様な考えを認めていこうという社会のために正しいアプローチなのだろうかと思いました。
同性婚ができないのは問題だ、という問題意識を逆からみると、異性同士でしか結婚できないのが問題だということです。
「同性婚を認める」というアプローチではなく、「異性同士でしか認められていない結婚」をやめるというアプローチが正しいのではないか。
つまり、結婚という仕組みをなくすことが本質なのではないか、ということです。
「同性婚を認めてほしい」という気持ちは、文字通りの要求というよりかは、「異性間の結婚しか認めれられていない」ことへの違和感なのかなぁと。
今後も、例外(という言葉づかいはあまりよくないですが、法的な例外という意味で)を、ひとつひとつ認めていくことが前提になっている気がします。
性別以外にも、年齢や人数など、結婚への制約は他にもあります。時代が、価値観が変わったときに、それらをまた同様に認める運動をしないといけないのでしょうか。
実際に、結婚後の名字についても、より自由が認められるように活動してくださっている方がいます。毎回これをくりかえすのでしょうか。
まず「正しさ」について説明してもらわないと 人のことを間違ってると言う前にね
クンニ✋(👁👅👁)🤚のない結婚はダメです
税金の無駄なので法整備する必要ないよ 勝手に事実婚してればいい