ケーキを切れない非行少年少女というか、同じ日本語を喋っているようで互いに考えていることが違ってるのでは?
例えば、これは赤いよね、と一方が言って、うん赤いね、ともう一方が答えても、二人が見ている赤は脳内で本当に同じ赤なのか?
まあ、ここまでくると脳内の視覚野から画像を抽出するために脳にプローブ埋めたりなってきちゃうけど、
例えば、姑息って言葉に卑怯という意味があるという間違った日本語がもう広まってしまっているけど、姑息にはその場しのぎみたいな意味しかない
姑息な手段というのは、その場しのぎの手段であって、卑怯な手段という意味はないのであるが、間違った日本語の方が定着しつつある
話がズレたが、彼と彼女の会話が成立しないのは、実は国語力というか、日本語レベルの齟齬があるのではないだろうか、
とそんなことを考えながら布団に入っているので余計に眠れないのである